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2008/11/09

「川中美幸コンサート」へ(前篇)

 昨日の写真日記「写真日記…土に近いかもしれない生活(後篇)」の前書きにも書いたが、「オーバード・ホール」(富山市芸術文化ホール) が会場の)「川中美幸コンサート」へ行ってきた。

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→ 開演数分前の会場。幕が開く直前には五階まである会場内はほぼ一杯になった。演歌の根強さってのが日本にはある。会場は年輩の方たちばかり。小生が一番若い方だったりして。

 小生は(日本の)男性歌手だと、春日八郎、三橋美智也、村田英雄、石原裕次郎…といろいろいる。
 女性歌手だと、美空ひばりや香西かおりとか、竹内まりや、高橋真梨子、今井美樹…といろいろ。
 この中で、現役時代は(生存していた頃は)嫌い…か、敬遠気味だったのが、亡くなられてから好きになった歌手もいたりする。
 その代表格が、春日八郎、三橋美智也、村田英雄、美空ひばりといった面々。

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← まずは、川中美幸さんの新曲の「木曽川しぐれ」(作詞:水木れいじ/作曲:弦哲也)でオープニング。今年はこの曲に力を入れている。エンディングもこの曲だった。

 なぜ、こういった歌手をテレビなどで生存中も何度も見たり歌を聞いたりできたのに、その時は嫌だったのが、亡くなられてから好きになったのか。
 あるいは亡くなった際に特集を組まれ、それらの歌手が苦労を重ねたことを改めて知ったから、かもしれない。
 …でも、生存中は、演歌の古臭さのようなもの、あるいは日本人のど真ん中を我々は歌ってますよという姿勢(があるかのような演出や誤解?)に辟易していたのが、今は亡きということで、純粋に歌手の歌として聴けるからなのか。


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→ この「木曽川しぐれ」の歌詞に馬篭や妻籠などの地名が出てくる。島崎藤村のファンならずとも、こういった地名が出てくると旅情の念を掻き立てられる。「島崎藤村『桜の実の熟する時』の周辺」や「「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと島崎藤村だけど(前篇)」などを参照。

 年齢的なことも左右していないとは限らない。三十代の半ば以降になって、上掲の歌手たちを手放しで好きと言えるし、心から凄いと感じるようになってきたのだから。
 別に小生が日本回帰しているというわけでもないし、演歌が日本の古くからの伝統に則っていると限ったわけでもない。
 見方によれば、戦後、特に昭和三十年代のいずれの頃からか創出された、日本の新しい音楽シーンなのかもしれない。

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← コントあり、芝居風ありのエンターテイメントだった。コント風な振り付けを披露しているのは、ダンサーの二人。確か、12月15日放送予定の水戸黄門に出演予定だという、役者が本業(?)の綿引大介さんと、もう一人、こちらが本格的なダンサーらしいが名前がよく聞き取れなかった。ピアニストの原さん(?)がピアノだけじゃなく、コントでも芸達者ぶりを発揮していた。

 それを一部の演歌を売る側などが日本人の心を歌うと喧伝しているだけだったのかもしれない。

 ただ、いずれにしても、昭和三十年代から平成が始まる前後までは歌謡曲も含めて、演歌が全盛を謳歌していたという事実は現前として、日本の音楽史に記述されることは間違いないだろう。

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→ 小生が入手した席は4階席の左端近く。老眼で遠方の方の様子は何とか分かるはずなのだが、さすがに遠い。デジカメでの撮影も、ちょっと性能的に望みの画像をゲットするには力が及ばなかった。二人のイケメンダンサー(やピアニストの原さん?)らが、いろんな衣裳を着て歌を演出していた。一部と二部の間に、山田太郎の「新聞少年」や「東京のバスガール 」、「ガード下の靴みがき」など、昭和三十年代のヒット曲をメドレー風に歌った。これらの歌をイメージさせる衣裳なのである。

 明治のいずれの時期以来の伝統、あるいは民謡(や浪曲)出身の演歌歌手も多いことを鑑みると、江戸時代以来のものも何かしら受け継いでいることは否定しきれない。

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← 「ロッテ 歌のアルバム [テイチクエンタテインメント編]」( (株)テイチクエンタテインメント ) 「玉置宏の名司会でおなじみ、昭和33年から54年まで続いた音楽番組『ロッテ歌のアルバム』の再現企画アルバム。古きよき時代の青春歌謡を中心に選曲。もちろん玉置宏のナレーション入り」だって。少なくとも昭和47年の春に富山を離れるまでは、日曜日のお昼、家では欠かさずこの番組を見ていた。「夜のヒットスタジオ」や「歌のベストテン」などと併せ、昭和の三十年代から四十年代などの日本の茶の間の音楽シーンは、ほぼ一色だった、という印象がある。それにしても、たまたまなのか、演歌は一曲だけ? でも、どれも懐かしい曲ばかり。今は、少なくとも民放の歌番組は全く無視。テイストがまるで肌に合わないのだ。民放はロートルなど相手にしてないのか。

 それでも、戦後活躍した作曲家や作詞家に大陸(韓国などを含めて)経験のある方が多いことを思うと、演歌に従前の日本の歌とは違う要素が相当程度に加味されただろうことも、我々が知らないわけじゃない。
 日本という島国で歌っていながら、作詞家や作曲家の思いに他ならない、大陸での茫漠たる思いを、知らず知らずのうちに、それが日本人の古くからの心なのだと思い違いしているのかもしれない。

                               (後篇へ続く)

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