釣谷幸輝…モノトーンの海の魚たち
どういう脈絡でこの頁を見つけたのかはっきりしないが、「情報 NOW-2006.7.25更新-」なる頁に遭遇。
どうやら「金沢美術工芸大学同窓会富山支部」がホームページのよう(?)。
← 釣谷幸輝「女Ⅱ」(2003 銅版画 51.5×36.4cm) (画像は、「釣谷幸輝 Kouki Tsuritani 不忍画廊」より。)
多くの情報が載っている中、何故か「釣谷幸輝 銅版画展」に焦点が合ってしまった。極小さなポスター画の画像に惹かれたのか、それとも単に銅版画に惹かれただけなのか。
そう、小生は銅版画が好きなのである。
あるいは、あの切っ先で銅版をカリカリ刻む感覚が好きなのかもしれない(ただその感覚を愉しむだめだけのために900枚の小説を書いたことがあったっけ)。
特殊な液を垂らして銅版という金属の板の表面が腐蝕する感覚。
出来上がってみないと完成の形が見えてこない銅版画。
何処か窯から陶器を出す瞬間の緊張を連想させる。
→ 釣谷幸輝「夢をみる男」(2003 銅版画 84.1×59.4cm) (画像は、「釣谷幸輝 Kouki Tsuritani 不忍画廊」より。)
釣谷幸輝(1967-)という東京生まれで現在富山県在住の銅版画家の存在を上掲のサイトで発見するまでは小生は知らなかった。初耳。
早速、ネット検索。「釣谷幸輝」のみをキーワードに検索すると、トップには、「釣谷幸輝 銅版画展」が登場。
「釣谷 幸輝 銅版画展 2005 9/3~9/11」は金沢市にある「美術サロンゆたか」で催されたようだ。
この表紙で「開 光市 新作 銅版画」を発見した…が、ちょっと際限がなくなってしまうので、チェックだけして「釣谷幸輝 銅版画展」に戻る。
夢幻的で無意識の領野に分け入るようでもあるのだが、過度にシリアスな世界に踏み惑うわけでもない。何処かいい意味で剽軽(ひょうけい)な雰囲気が漂ったりする。一歩、間違えば深甚なる世界がその崖っぷちからは覗けそうなのだが、別に怖いからというわけじゃなく、敢えて縁(へり)のところで戯れているような。
← 釣谷幸輝「The night」(2006 銅版画 21.0×14.8cm) (画像は、「釣谷幸輝 Kouki Tsuritani 不忍画廊」より。)
「アトリエ訪問 釣谷幸輝」へリンクしてあるので、その頁を覗いてみる。
「富山県は風の盆で有名な八尾の山間に建つ古民家に、作家は大きな版画のプレス機を置き、住まいと工房を構えた」とか。
インタビューの冒頭で、「油絵だと自分のイメージを直接出せますが、版画は制約の中でいかに自分の今までに無いものを作り出せるかという魅力があります。最後に紙をめくって初めて良かったかどうかとなる」と話されている。
なるほど、最後の最後は、ある種の偶然性もあって、そこがまた製作者の楽しみでもあるようだ。
「モノトーンでどれだけの深みを出せるかに興味があります」とも。
「昔、実家が魚屋で、遊びといえば釣で、帰ると魚を食べるという生活でした。だから魚に対する思い入れは強いですね。絵の魚はある意味自分自身なんです。他に描く動物というのもサカナに角が生えたり、足が出たりしたものです。卵は単純ですが、何かが生まれる創造のシンボルです。描く中で人間の無意識の部分を探りたいという気持ちがあります。それを表す為に自分だけのものではなく、誰もが共通して根本に持つシンボルのイメージに託して表現する、その為の道具だと思います」という発言が一番、興味深い。
魚というのは海という無意識の闇を泳ぐもの(「水」のイマージュであり、夢の中の性的なるもののイマージュでもあるか(08/10/21記))。
→ 釣谷幸輝「ピアズリーの天秤」(ed:20, 2001年 インタリオ 40X20(cm)) (画像は、「釣谷幸輝 版画作品 Gallery MORYTA」より。)
釣谷幸輝のモノトーンの銅版画には、マックス・エルンストでもなく、長谷川潔でもなく、オディロン・ルドンでもなく、無論サルバドール・ダリでもなく、ジュゼッペ・アルチンボルドは筋違いだし、敢えて言えばヒロエニムス・ボシュの匂いを感じる。
けれど、あくまで匂いというか感じである。無意識の闇宇宙に魚となりきってその崖の先に飛び込み、一度は沈み込んでみないとヒロエニムス・ボシュ的な高み(深み、低み)に到達というわけにはいかない。
聞き手の白石陽子氏は最後で以下のように纏められている:
真空では音は伝わらない。漆黒の宇宙は無音の世界だ。紙にのった黒のインクは光を吸い込み、深く、美しく絶対的な色だ。虚空に浮かぶ不可思議な人物や動物達の身動ぎする音も、森閑とした黒に吸い込まれてゆく。不条理ながら構築的な画面はひっそりとして、純度の高い透明感に満ちている。版画の成立が本来、聖書や伝えられるべき物語を記し、広く普及させるためのものだったように、根本に複数性・波及性を備えている。そんな特性を踏まえるまでもなく、観る者にとって釣谷さんの版画は触媒としての役割を担っており、その絵は世界の内側にも外側にも開く扉である。そして観る者は次の語り部となり、自分だけの新しい物語を紡いでゆくのだろう。
← 釣谷幸輝「支配者」(ed:20, 2005年 エッチング、メゾチント 10X10(cm)) (画像は、「釣谷幸輝 版画作品 Gallery MORYTA」より。)
文中、「版画の成立が本来、聖書や伝えられるべき物語を記し、広く普及させるためのものだったように」というくだりが気になる。
意外? でも、版画に限らず、ほとんどあらゆる媒体が(特に西欧では、そしてやがて日本などでも)聖書との関わりの中で生まれ育ったことを思えば、至極当然の話なのか。
探してみたら、「版画の歴史」というど真ん中のサイトが見つかった。
思えば、アルブレヒト・デューラーはもとより、ルーカス・クラナッハ(父)、グリューネワルトやハンス・ホルバイン(子)、ヒエロニムス・ボシュやピーター・ブリューゲルと、多くの大家が版画作品を制作したわけで、かのレンブラントだって、版画家としての側面が脚光を浴びたりもするのだ。
版画全般については後日、触れることがあるだろう。
今日は、釣谷幸輝氏の世界を楽しんだということでお開きにする。
最後になったが、「artshore 芸術海岸 釣谷幸輝の存在と状況」という頁が釣谷幸輝の仕事などを簡潔に紹介してくれていて、さすがだった。
→ 釣谷幸輝「それはいつもとなり合わせに存在する」( ed:20, 2005年 エッチング、アクアチント 10X10(cm)) (画像は、「釣谷幸輝 版画作品 Gallery MORYTA」より。)
[本稿は、「釣谷幸輝…モノトーンの海を泳ぐ」から、関連する部分だけを抜粋したもの。リンクなどは、既に無効になっている頁も多く、一部、張り替えた。尚、文中、イタリック体の部分でのリンク先は既に無効(削除?)になっている。
今日(21日)再度、「釣谷幸輝」をキーワードにネット検索すると、「Kouki Tsuritani 釣谷幸輝」という公式ホームページが浮上してくる。
二年間にこの記事を書いた時には見出せなかったはず。
また今回、改めてネット検索したら、「銅版画家 釣谷幸輝」という頁をヒットした。
← 「釣谷幸輝 銅版画展 注文の多い動物園」(2007年秋開催の展覧会のポスター)
やはり、前回、上掲の記事を書いた頃よりずっと活躍の場を広げておられるようだ。
「銅版画家 釣谷幸輝」から一部だけ転記させてもらう:
不思議な人物や生き物など釣谷氏が創り出す独特な心象世界は見るほどに謎めいて画面の奥へ奥へと人々の心を引きつける魅力に満ちている。密やかな生命感あふれるクリ―チャ―達は自身のインナースペースから生まれたもので落書きなど遊びつづけていくうちに現実の生き物とは隔絶した純正なイメージで目の前に現れてくると言う。
釣谷幸輝のプロフィールについては、下記が詳しい:
「Gallery 6坪 - 釣谷 幸輝Kouki Tsuritani」
以下は、個展へ行っての感想:
「コンチェルト2号感動の毎日 釣谷幸輝 銅版画展 「注文の多い動物園 」]
文中の画像は全て、今回、この旧稿(の抜粋)をアップするに際し、掲げてみた。
(08/10/21追記)]
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