「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと島崎藤村だけど(前篇)
以下の銅版画は 「小諸市北国街道ほんまち町屋館」の「本町区まちづくり推進協議会 (Web担当)」より画像の転載の許可を頂いたものです。
いずれの画像も、「明治26年に鉄道開通を記念し制作されたもの」「と伝わっており、現在、作者・原板は不明で、印刷物だけ当地に残っている物」なのだとか。
← 「布引山釈尊寺」 (以下の画像は、「小諸市北国街道ほんまち町屋館 - 神社仏閣」より。)
「小諸市北国街道ほんまち町屋館」は、「昭和40年代まで味噌・醤油の醸造業を営んでいた旧清水屋を商家の造りをそのままに活かし、会議や展示、イベントなど多目的に利用できる施設として整備」したものだという。
「7月12日(土)小諸市民祭り当日に、北国街道ほんまち町屋館への来館者が20万人を超え」たというから、かなりの人気スポットのようだ。
さて、我が町の昔日の様子を描いているわけでもない、以下の画像を掲げるのに、特に目的も意味もない。
ただ、今昔の町(村)の風景を眺め、取り留めもなく想像をめぐらしてみたいだけである。
わが町(昔は村)も、これほどの賑わいはなかったにしろ、我々の先祖様たちが働き、悩み、楽しみ、病み、恋し、村の内外を闊歩したんだろう…。
→ 「青木神社」 境内には、俳人・臼田亞浪(うすだ あろう)の歌碑「浅間ゆ富士へ春暁の流れ雲」がある。
「北国街道 (信越) - Wikipedia」によると:
北国街道(ほっこくかいどう)は江戸幕府によって整備された脇街道。正しくは北国脇往還という。追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する。善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした。軽井沢町から上越市までの区間は現在の国道18号にほぼ相当する。別名善光寺街道。
← 「鹿島神社」 「鹿島神社から見る浅間山 - めいびすのお散歩ブログ」など参照。「仙石秀久が建立して元駅前にあった。現在は、雉子平へ移築」とか(典拠不明)。鹿島神社に限らず、小諸全般について、「小諸城、富士見城、平原城、耳取城、玄江院館」が詳しい。
「小諸」というと、やはり、島崎藤村の詩『千曲川旅情の歌』を逸するわけにはいかない。
そして思い浮かんでくるのは、「落梅集」に所収の「小諸なる古城のほとり」の詩(歌詞)である。
→ 「光岳寺」 「小諸はこの傾斜に添うて、北国街道の両側に細長く発達した町だ。本町、荒町は光岳寺を境にして左右に曲折した、主なる商家のあるところだが、その両端に市町、与良町が続いている」(「島崎藤村を巡る 島崎藤村の小諸を歩く」より)。
← 「熊野神社」
「小諸なる古城のほとり」(島崎藤村作詞・弘田龍太郎作曲):
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
→ 「海応院」 「天文5年創建された曹洞宗の古刹。昔は小諸城内五軒町にあり、関ヶ原合戦の際、真田氏を攻めた徳川秀忠の宿舎ともなりました」という(「小諸市観光協会 - 海応院」参照)。
「小諸なる古城」という小諸城は、「戦国時代、武田信玄の東信州経営のために築かれた城郭。それ以前にも城として使われていたが、現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、史料的な根拠はまったくない」という。
「城跡は、市営公園小諸城址懐古園」として整備されているとか。
← 「加増稲荷」 「加増稲荷神社 - めいびすのお散歩ブログ」にて現況を見ることができる。
「藤村が小諸を中心に信州で暮らしたのは、明治32年4月から明治38年5月である。単身で赴任し、三人の子どもの父となって上京したのである」(拙稿「藤村『千曲川のスケッチ』」より)。
→ 「高等小学校」 (これより以下の画像は、「小諸市北国街道ほんまち町屋館 - 建築物」なる頁より。)
「藤村は小諸へ来る時に、イギリスの評論家ジョン・ラスキンの「近世画家論」というのを携えて来て」いたとか。あるいはその頃には既に詩に限界を感じていたのかもしれない…(拙稿「島崎藤村とラスキンと雲と…少し賢治」参照)。
← 「警察署」
当然ながら、長野県小諸市にある懐古園の奥には「小諸市立藤村記念館」がある。「小説家島崎藤村の顕彰を目的に設立された施設で、藤村が小諸義塾に赴任し小諸で過ごした期間、明治32年から明治38年の間に執筆された作品を中心に紹介している」とか。
ところで、「藤村記念館」は、馬籠宿(岐阜県中津川市)にもある。
→ 「菱野鉱泉」 (これより以下の画像は、いずれも「明治26年に鉄道開通を記念し制作されたもの」だとのことで、「小諸市北国街道ほんまち町屋館 - 風景」より。)
小諸時代の藤村については、例えば、「島崎藤村を巡る 島崎藤村の小諸を歩く」が詳しい。
「島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の”麦畑”と”序文”の一部」を引用してくれている:
しかし七年間の小諸生活は私に取って一生忘れることの出来ないものだ。今でも私は千曲川の川上から川下までを生々と眼の前に見ることが出来る。あの浅間の麓の岩石の多い傾斜のところに身を置くような気がする。あの土のにおいを嗅ぐような気がする。私がつぎつぎに公けにした「破戒」、「緑葉集」、それから「藤村集」と「家」の一部、最近の短篇なぞ、私の書いたものをよく読んでいてくれる君は何程私があの山の上から深い感化を受けたかを知らるるであろうと思う。
(「「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと島崎藤村だけど(後篇)」へ続く。)
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