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2008/09/25

五姓田義松…晩年の日本回帰は諦念? それとも…

 過日、ある方にコメントを頂き、その中に五姓田義松 (1855 - 1915) の「人形の着物」という作品に感銘を受けたとあった。
 その方には、「五姓田一族はどうやって高度な洋画の技術に到達したのか」といった問いかけもあったのだが、小生に的確な返答のできるはずもない。
 明治黎明期の画家たちの気迫といった精神論で逃げるしかなった。

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→ 五姓田義松『人形の着物』(明治16年(1883) 山岡コレクション) (画像は、「JDN -日本近代洋画への道 山岡コレクションを中心に」より。) こういう作品こそ、本物と対面しないと。

 せっかくなので、五姓田義松について調べようと思ったら、その最中、川村清雄というもう一人の先人に遭遇。

 川村清雄について、若干のメモをしたためた:
川村清雄…洋画の洗礼の果てに(前篇)
川村清雄…洋画の洗礼の果てに(後篇)

 今度はいよいよ少年の頃から天才と謳われた五姓田義松(ごせだ よしまつ 1855 - 1915) の番である。

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↑ 五姓田義松『清水の富士』(明治14年作 東京都現代美術館所蔵) (画像は、「artlog 五姓田義松_清水の富士」より。)

 五姓田義松については、「五姓田義松 (1855 - 1915)   《横浜亀橋通》」なる頁が詳しい(年譜については、「五姓田義松の経歴と作品」を参照):

 江戸の画家、五姓田芳柳の家庭に、五姓田義松は次男として生まれた。当時五姓田芳柳は、外国人達の為に肖像画を描く絵師集団「五姓田派」の初代代表を務めていた。
 五姓田義松は幼少時から絵を好み、10歳でイギリス人画家 チャールズ・ワーグマン に入門、その頃から神童、天才と唄われた。父に認められて17歳の時に分家して独立、画塾を開いて内弟子も取るようになった。その後陸軍士官学校の画学教師になり、工部美術学校が設立された 時にはそこへ入学したが、画風が気に入らず8ヶ月で退学。22歳の時に内国勧業博覧会で《自画像》《阿部川富士図》が洋画部門のグランプリ「鳳紋賞」を受賞した。

1855 江戸三田台の画家の家庭に生まれる」という五姓田義松だが、小生が81年の四月から90年の初冬まで居住していた高輪の一角からは、歩いて数分の場所に彼の家があったわけだ(初耳なのだが)。

 高輪居住当時のことや小生自身による三田台散策などは、下記を参照:
東京は坂の町でもある
春近し道行きせしは車にて

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↑ 五姓田義松 《横浜亀橋通》(1879 油彩・キャンヴァス 28.6 cm × 44.8 cm    東京藝術大学 所蔵) (画像は、「五姓田義松 (1855 - 1915)   《横浜亀橋通》」より。)


五姓田義松 (1855 - 1915)   《横浜亀橋通》」なる頁をさらに参照する:

 25歳でフランスへ渡り、当時アカデミーの会員で歴史画・肖像画の大家であった レオン・ボナ に師事。フランスのサロンでは、その水彩画で、写実と構図が評価されて日本人として初めて入選を果し、翌年も油彩画 《人形の着物》 が入選した。9年後に帰国し、明治美術会の創立に参加した後、アメリカとカナダを回った。宮内省から依頼されて制作した《ナイアガラ瀑布》や 《田子浦景図》 など、絵の幾つかは「御物」(天皇所有物)として皇居に献上された為、明治の宮廷画家とも呼ばれる。しかしこの頃からの絵の描写は平面的、日本画的になって行った。

 この経歴を読んで、あれこれ思うことはあるが、やはり最後の(彼にとっての晩年の)、「この頃からの絵の描写は平面的、日本画的になって行った」が気になる。
 これほどの天才にして、それほどの年齢でもなかろうに、画風が枯れていく…。
 涸れていくことが悪いとかどうかは、一般論は別問題として、画家としては(あるいは画業の徹底を求めてしまうものとしては)寂しいような気がする。


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← 五姓田義松『銭湯』(キャンバス/油彩 48.8×65.8) (画像は、「東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベース 作品情報 ; 西洋画 - 389 銭湯」より。) 写生なのか想像で画いたのか…。

 当時の画家を含めた日本人の中で、圧倒的に欧米の絵画を中心とした文化を、それこそナイアガラ瀑布のように浴びた彼。
 消化し切れるはずもなかったということなのか。
 それとも、日本の社会において、日本人の画家としての画風をどう築き上げるかは、画家本人でなければ分からない至難の道だということなのか。

 日本においても、先人が築き上げた古来よりの美術文化がある。
 文化や絵画を学び習得することを意識するあまり、次第に本来の自分を見失うこともあるのだろうか。
 宮廷文化の頑迷固陋な世界に思わず知らず屈してしまうこともあったのでは、などと、門外漢ならではの勝手な邪推をあれこれ逞しくしてしまう。

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→ 五姓田義松『婦人像』(明治4年 キャンバス/油彩 37.4×28.6) (画像は、「東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベース 作品情報 ; 西洋画 - 197 婦人像」より。)

 ここでは(小さすぎて)画像を示さなかったが、「五姓田 義松「パリの風景」 府中市美術館 府中市ホームページ」なる頁に掲げられている作品「パリの風景」は、もっと大きな画像で見てみたいもの。

 また、「五姓田義松 (1855 - 1915)   《横浜亀橋通》」には五姓田義松の水彩画作品(画像)を見ることのできる頁も示されているのだが、あくまで画面上で見る限り、全体として力が弱いという印象が拭えない。
 表示される画像のゆえとも考えられるのだが、本稿では画像を示すのを躊躇せざるをえない。

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← 五姓田義松『富士』(1905(明治38)年 油彩,キャンヴァス 46.8×101.5cm) (画像は、「静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:五姓田 義松】」より。) 五姓田の画業としては比較的晩年の作。若き日の迫力や気迫は見ることは叶わない。一つの到りついた境地なのだろうか。冒頭に掲げた『人形の着物』と見比べてみる? 「たっぷり2日かけて丹念にこの地から見える風景を写し取ったのがわかる。その結実が茨城県立美術博物館蔵の≪富士遠望図≫(明治36)であり、本図である。技術的には全く破綻のない、完壁な図であり、空気遠近法にも意を用い、畑や森、海と陸地、雲と空の諧調が美しく溶け合う。 横長の画面は彼がパノラマ画に興味を持っていた痕跡を示すものであろうか。性狷介といわれた義松が晩年にみせた日本画回帰がここに表れているとみてよいが、いやみのない恬淡としたそのテクニックはむしろ彼の持っている諦念をひそかに伝えるもののように思われる」。

 五姓田義松の経歴と作品などについては下記が参考になる:
五姓田義松の経歴と作品

その他、参照頁:
team-kuma service menu2006年10月
Welcome to SOGO Home Page 日本近代洋画への道
美術と社会史明治前期富国強兵と高橋由一、五姓田義松
アトリエ・リュス 日本近代洋画への道
JDN -日本近代洋画への道 山岡コレクションを中心に
mmat 日本近代洋画への道 ―山岡コレクションを中心に―
五姓田のすべて -近代絵画への架け橋- - 徒然なるまままに

                             (08/09/16 記)

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コメント

またお邪魔しに来ました。
やはり、お詳しいんですね。
私なんかほんと何も知らずお恥ずかしいんですが。
やっと五姓田義松の資料に出会えて嬉しい限りです。ありがとうございます。
やはり幼少時から天才と言われていたんですね。納得です。
後年「次第に酒に弱れ奇行に走っていった」というのはいたたまれない気がしてなりません。
幼少の頃から挫折ということを知らなかった天才の悲運なんでしょうか。
洋画を知って、最終的に日本的な平面的な画面に帰結してしまう画家は多いようなのですが、ほんとに何故なんでしょうか???
そのまま描いていれば多くの素晴らしい作品が生まれていたのに、、、と業を煮やしてしまいます。
私などには分らない絵画の奥深さがそこにあるんでしょうか。

ほんとにたくさんの資料を駆使した文章には感服しました。
勉強不足でまともなコメントもできないのですがまた研鑽を積んでお邪魔したいです。

今、神奈川で「五姓田のすべて」という展覧会が行われているので図録を取り寄せようと思っています。

投稿: デラモルテ | 2008/09/25 17:58

こんばんは。よくこれだけ調べられましたね。五姓田氏の事は初めて知りました。記事を読ませてもらっていますと、本物が見たくなりました。神奈川で展覧会とのこと足を運べたら行ってみたいです。

投稿: ピッピ | 2008/09/26 00:12

デラモルテさん

小生がネット検索を通じて得た情報をよく読まれておられますね。
「絵画が技術だけで成り立つものなのではないことを、おびただしいアカデミー絵画群を前に厳しく迫られたであろう彼は、次第に酒に弱れ奇行に走っていった。アメリカを経由して日本に帰りついた時には、すでに8年の歳月が流れ、その混乱を解決する術をおそらく持たなかった彼には、以降期待されたほどの仕事をすることは最早かなわなかった」という彼の晩年の姿を、苦悩を思うと、やりきれないものがあります:
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/collection/item/O_53_660_J.html
あまりに生真面目に摂取しようとし過ぎたのでしょうか。

晩年の日本回帰も模索の一端だったのでしょう。
欧米の絵画があまりにまともに彼に入りすぎて己を見失ってしまった…などと言うと、安易過ぎる、他人事のような見解なのかもしれない。


神奈川県立歴史博物館で、今、特別展ということで、下記の展覧会が催されている。会期がギリギリ:
横浜開港150周年記念 「五姓田のすべて -近代絵画への架け橋-」
http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/toku/toku.html

情報をありがとう!
鑑賞された方がいたら、感想などいただけたら嬉しいものですが。
図録、入手されたら、きっともっと興味深い事実に触れることもできるでしょうね。
何かあったら、教えてくださいね。

投稿: やいっち | 2008/09/26 03:55

ピッピさん

小生は、こうした記事は知らないことだからこそ調べる。
というか、こうした記事を仕立てつつ勉強している(可能なら追体験している)のです。
展覧会など(実物)を見るのが一番なのは前提の上で、せっかくネットという武器があるので、ヴァーチャルな形であっても、自分なりの<体験>をしてみたいと思っているのです。

神奈川での展覧会、会期がギリギリなので、お早めに:
http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/toku/toku.html

もし、足を運ぶ機会があったら、感想など聞かせてくださいね。

投稿: やいっち | 2008/09/26 03:59

どうもです。
出張があったり、風邪をひいたりして、コメントが遅れてスイマセン。

「五姓田のすべて」図録、取り寄せました。
内容が難しく、まだ咀嚼しきれていません。少しずつ読んでいくつもりです。
ただ、五姓田義松は16歳にして既に高橋由一から「天稟の才あり」と賞せられていることが分かりました。
「人形の着物」は残念ながら展示されていないようですが、義松が非凡の才を持って五姓田一族の最も大きい果実だったことは間違いなく、図録の青木茂氏の言葉を流用すると「あまりにも早く若く日本で一流の、あるいは宮廷画家となった義松は、父芳柳や師ワーグマンの期待のまま自由に伸びた義松は、そこで完結した存在だった。ファンタネージもパリの長い年月も、義松に何かをつけ加えることはできなかった。義松は今さら学ぶ必要がなかった」と評されておられます。
後、五姓田一族とまさに光りの中を歩いたような外光派の黒田清輝らとの違いは、元々五姓田派が職業画家だったこと、そしてその後継者たちも美術教育者として展開していったことを考えると、五姓田派が庶民に身近な存在としてその根を洋画を地道に普及させていった事にあるようです。
その点を青木茂氏は「彼らは特徴ある強力な団体は形成しなかったが、誰もの身近に近い人物、風景を率直な写生で描いて、明治の子供たちの美術観を育て、明治美術の底辺の土壌を広く深く耕して次の世代に手渡した、貴重な地の塩だった」と述べておられます。

引用が長くなってすいません。
私の駄文よりは参考になるかなと思って。
高橋由一から突然に始まったかのように見える明治美術ですが、江戸末期には洋風画として多くの作品があり、現代では掴みにくい和洋融合の土壌があって、義松という大輪の花に結実したのかなと考えています。

長くなってすいません。
見識不足ですが又お邪魔させてくださいね。

投稿: デラモルテ | 2008/10/10 01:36

デラモルテさん

コメント…というよりレクチャーかな。

とても勉強になります。

「五姓田のすべて」の図録を取り寄せたってこと自体、小生は感心する。
文庫本一冊買えない小生は、図書館の本とネットが頼りです。

引用してくれた文、なるほどと思いました。
そういった底辺というか土壌を育む地道な活動をされた方々がいる…。今の時代も実はそうなのでしょうね。

>高橋由一から突然に始まったかのように見える明治美術ですが、江戸末期には洋風画として多くの作品があり、現代では掴みにくい和洋融合の土壌があって、義松という大輪の花に結実したのかなと考えています。

全く、同感です。

司馬江漢(鈴木春重)や小田野直武、川原慶賀、川村清雄…と、いろんな人材がいてそれぞれに明治や後世につながる活躍をされた。
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/03/post_659a.html
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/09/post-c48c.html

美術の世界の伝統や土壌も脈々と受け継がれていったように感じます。


ところで、レスやコメントは、ネットではマイペースが大事だと思います。
それぞれに都合がある。
そうしないと、楽しいはずのネットが億劫になってしまうし。

小生だってレスが遅れることは間々あること。
交流は、楽しく続けたいです。

投稿: やいっち | 2008/10/10 09:48

どうもです。
なにか気負い過ぎてしまったようで・・・お恥ずかしいです。

「人形の着物」のあまりの素晴らしさに五姓田の名前が深くこころに刻み込まれてしまって、それを解明せんと試みた分けですがまだまだ見識不足のようですね・・・

教えていただいた司馬江漢、小田野直武を調べていくうち、杉田玄白や平賀源内、シーボルトの名前が散見され、どうやら日本の洋風画は実学の方面から発展していった事がようやく私にも分かってきました。ありがとうございます。
以前に府中市美術館で「百花の絵-館蔵の江戸時代絵画と関連の優品」という展覧会があり見に行きました。
そのときはただ漠然と見ていただけでしたが、そこに司馬江漢、小田野直武の名前があったことを改めて知り、博物学といった実学的分野からのアプローチだったことを今となって理解した所存です。

まだまだ分からないことだらけですね。(*´σー`)

川村清雄ですが図録を見直してみたら「人形の着物」と同じ「日本近代洋画への道」で実際に見ていたことにやっと気づいたりして・・・
東京国立博物館にもそのうち赴き「かたみの直垂」を実際に垣間見たいと思います。
この人も何か独特な画風で、やはりこの当時の日本の洋画としては異彩を放っているように感じました。

ご存知かもしれませんが、ちょうど五姓田義松と川村清雄について書かれた高階秀爾氏の本も図書館で発見できたので少し読んでみたいと思います。

またお邪魔したいと思います。
よろしくお願いしますo(_ _)oペコッ

投稿: デラモルテ | 2008/10/17 00:09

デラモルテさん
コメント、ありがとう。
勉強熱心ですね。
東京在住なのかな。
だったら、いろんな展覧会や美術館を見て回ることができますね。
富山での情報摂取の難しさを感じます。
ネット(上の仲間の情報)などが頼りになります。

幕末から明治維新、明治に掛けて、いろんな方がいろんな形で西欧の絵画と向き合い、日本人として描くことの意味を追求されました。

小生も、そのほんの一端ですが、調べて見たことがあります:
「非業の画家・川上冬崖」
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/05/post_5ad2.html
「異端の画家か 絵金!」
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/05/post_928d.html
「中川八郎:水墨画の伝統を水彩画に」
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/03/post_e2fd.html
「騎龍観音の秘密:原田直次郎」
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/02/post_8294.html
「渡辺崋山が蟄居を命じられた日」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/12/12_9202.html
「命と引き換えの自然描写:大下藤次郎」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/11/post_cd04.html
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/11/post_63b3.html
「小出楢重:日本の日常の中の裸婦像」
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/06/post_6998.html

でも、デラモルテさんのおっしゃられるように、分からないことが一杯。
いろいろ教えてもらいたいと思います。

投稿: やいっち | 2008/10/17 11:49

しばらくご無沙汰していたら、盛り上がってますね。
五姓田のすべて、の図録は美術館図書室でみましたが、かなり分厚い読み応えある図録でした。
川村清雄も、庭園美術館でやった、フォンタネージと明治の美術の図録に詳しくでていました。
普通の図書館だけではなく、美術館の図書室というのも、なかなか面白いですよ、富山にはないのかな?

投稿: Oki | 2008/10/19 20:18

Okiさん

相変わらず各地の美術展に足を運ばれているようですね。
人身事故の多発には、東京のような交通の利便性が高い地域だけに影響は大きいのでしょうね。
富山は、人身事故は少ない(皆無?)だけど、自殺の件数は多い。
帰郷して初めて知った現実で、経済的に追い詰められてという理由が主なものらしく、明日は我が身と、憂鬱な気分です。

五姓田や川村清雄のこと、できれば、貴兄のブログで採り上げて、図録その他で得られた情報をネットに注入してもらいたいものです。

投稿: やいっち | 2008/10/19 21:00

いや、僕は、図録を購入したわけではありません。
あくまで美術図書室で眺めただけなのです。
僕の基本的スタンスは、美術館は地域に開かれた存在であるべきというものです。
美術館が収集した図録などは無料で、美術図書室などでだれにでも公開されるべきと考えます。
東京では、国立近代、国立新、東京都美術館、東京都現代美術館などが資料が豊富ですが、公立の美術館は図書館感覚でライブラリーを充実させることが大切と
感じるのですよ。

投稿: Oki | 2008/10/20 22:19

Okiさん

知人に以前、聞いたことがあるのですが、美術館の展示していない在庫の作品も、お願いしたら拝見することができるとか。
どの美術館もそうなのかどうか、分からないけど。

公立の美術館は、開かれてあるべきですね。
図録などは特に、いつでも閲覧できるようでないと、美術館の存在意義が疑われますね。

と言いつつ、図書館もだけど、美術館も時間的な余裕がなくて、当分、開架のコーナーさえ、ザッと一瞥するだけに終わりそう。
書店にさえ、足を運んでいないし。
やはり、今は時間的なことを鑑みると、ネットでとりあえず情報を摂取するという現況が続きそう。

投稿: やいっち | 2008/10/21 03:27

義松の記事、とても参考になりました。
先日、ヤフオクで、義松作品が売りに出されていました。美術館にある作品と比較しても遜色ないできばえです。このような作品も美術館で公開すべきですよね。
http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n37882011

投稿: 義松ファン | 2008/12/05 23:06

義松ファンさん

残念ながら、ヤフオクには入れませんでした。
どんな義松作品だったのか、気になります。

投稿: やいっち | 2008/12/10 19:52

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受信: 2008/11/06 08:00

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