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2008/09/20

アルフォンス・ミュシャの流麗なる装飾美

 好んで読む書き手の一人に鶴岡真弓(以下、例によって敬愛の念を籠め、敬称は略させてもらう)がいる。
 単に書き手と呼ぶと失礼に当たるだろうか。同氏は、美術史学者であり、ケルト芸術文化の研究家、および、ユーロ=アジア世界の装飾デザイン交流史の研究家として有名のようだ。

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→ 「Tableware」 (「装飾資料集」より) (画像は、「Alfons Maria Mucha (1860-1939) (Czechoslovakian)」から。) 上掲書に載っていた作品の一つ。

 小生にとっては特にケルトなどヨーロッパなどの古代から中世の文化に関心があり、ケルト芸術文化の研究家としての著作に興味が掻き立てられる。
 これまで著作や訳書を何冊、読んできたか分からないが、過日、読了したのは、『装飾の神話学』(河出書房新社 2000/12/20 出版)である。

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← 「ジョブ」(巻タバコ用紙 リトグラフ 1897年) (画像は、「ミュシャを楽しむために」の中の、「巻タバコ用紙 ジョブリトグラフ 1897年」より。)

 数年前に読んだものの再読。七月に富山の某図書館がアスベスト除去作業が終わっての利用可能となって、一般図書コーナーなどを閲覧、物色していて、ふと、鶴岡真弓の本を読みたい、そういえば今年に入って読んでいないと気付き、図書館内のパソコン検索で上掲書が在庫で貸し出し可能になっていたのだ。
 早速、借り出して、そのつもりはないのだが、一気読み。
「古今東西の装飾美術を駆けめぐる、軽やかな知の旅への誘ない」といった紹介がされている。日頃、ファッションにもデザインにも装飾にも興味を抱いたことはないのだが、古代から淵源する装飾となると、俄然、興味が湧く。

 ケルト関連については、もう幾つも拙稿を仕立てたので、今日は違うことを。

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→ 「Documents décoratifs」 (画像は、「The Official Mucha Foundation」より。)

 実は上掲書で久しぶりにアルフォンス・ミュシャの作品(写真)を見たからだった。
 記憶する限り、アルフォンス・ミュシャの作品の現物を見たことはない(多分)。
 ただ、本好きが高じて、(安上がりな)趣味の一つとして栞(しおり)を集めている。
 本を買うたびに書店のカウンターにあるものを貰ってくる。
 なので、集まり具合は遅々としたもの。
 しかも、懐具合が不調で、もう54ヶ月も書店からは(ほぼ)足が遠ざかっている。
 栞の蒐集も当然ながらストップしたまま。
 そんな栞の蒐集の中に、アルフォンス・ミュシャの作品がデザインされたものが数点ある。
 印刷された当時は、相当数、出回ったようで、手にした当時は、見飽きるほど目にしていた。
 その見飽きるが、アルフォンス・ミュシャの栞を見飽きるだけじゃなく、アルフォンス・ミュシャの世界への飽きに繋がっていたような感がある。

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← 「Summer 1896」 (画像は、「The Official Mucha Foundation」より。) 

 しかし、考えてみたら、アルフォンス・ミュシャについての本を読んだこともないし、上記したように実物の作品を見たことがない(はず)。
 しかも、ネットでさえ、調べてみたことがない。
 
 尤も、上掲書でのアルフォンス・ミュシャへの言及は少ない。ただ、挿画のミュシャ「装飾資料集」の画像が、あくまで白黒の写真に過ぎないのだが、デザイン的に素敵。
 見飽きるほど見た栞の絵とはちょっと違う。オヤッという感じ。
 調べてみないとって思わせるインパクトがあった。

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→ 「Zodiac」 (画像は、「The Official Mucha Foundation」より。)

 上掲書から、言及されている部分を転記する:

 百年前の一八九〇年代は装飾芸術の時代(エポック)であり、ゴーガンが後にしたヨーロッパには、しかしゴーガンに優るとも劣らない魅力的な「曲線」の使い手が、続々と誕生していた。チェコ出身の画家アルフォンス・ミュシャがポスターや産業デザインに駆使した「曲線」は、都市の人々に強烈な「生命のかたち」をアピールしたと言えるだろう。
 彼のポスターの、微笑むコケティッシュな女たちに、つよく、そしてしなやかな曲線が絡む。花の蔓(つる)は「自然」から一本の「抽象」の曲線になって、美しい様式を披露する。
 ミュシャがデザインした「曲線」のフォークやナイフは実際に作られたかどうかはわからないが、当時の人々が一本のフォークという「細部」のかたちにまで生命を見たいと希っていたことは、まちがいないのである。

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← 「Pole star」 (画像は、「The Official Mucha Foundation」より。)

 この記述もだが、挿画のフォークやナイフや皿、お玉(レードル)などがデザインされた絵が実に優雅で、小生にミニ特集を組ませる動機となった。

 アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha 1860年7月24日 - 1939年7月14日)については、今更、小生如きが紹介するまでもないだろう。
 とにかく掲載する作品を見てもらうのが一番である(以下、引用は「アルフォンス・ミュシャ - Wikipedia」より)。
「多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である」とか、「彼の出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターであ」って、この作品により「当時のパリにおいて大好評を博し、一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとした」といったことを知っていればとりあえずはいいのかもしれない。

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→ 「Lottery of National Unity 」(1912 colour lithograph 128 x 95 ) (画像は、「The Official Mucha Foundation」より。) ミュシャにはこんな社会派的な世界もある。

 日本との関係で言えば、「ミュシャの挿絵やイラストが、明治時代の文学雑誌『明星』において、挿絵を担当した藤島武二により盛んに模倣された」ことがあり、ミュシャの名を知らずとも、彼の作品世界には、その模倣も含め、かなり慣れ親しんでいるとも言えそうだ。
 ある意味、このことが、「世界的にも、1960年代以降のアールヌーボー再評価とともに、改めて高い評価を受けている」など、ミュシャの世界が素晴らしいと思いつつも、なんとなく分かりきっている感を(小生などには)齎(もたら)していたのかもしれない。

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← 「Nude」 (このPHOTOGRAPH画像は、「The Official Mucha Foundation」より。) エロチック! 

 しかし、今回、調べてみて、「1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体された。プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕された。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。ナチスはミュシャを厳しく尋問し、またそれは79歳の老体には耐えられないものであった。その後ミュシャは釈放されたが、4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた」と知って、ミュシャの世界にもっと親しみたいとつくづく思わされた。

 ミュシャについて詳しく知るには、「アルフォンス・ミュシャ - Wikipedia」のほか、作品を見るには、下記がいい:
ミュシャを楽しむために
Alfons Maria Mucha (1860-1939) (Czechoslovakian)
The Official Mucha Foundation

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→ 鶴岡真弓著『装飾の神話学』(河出書房新社 2000/12/20 出版)


ケルトや鶴岡真弓関連の拙稿:
ケルトとはウロボロスの輪の積み重ね?
リンゴ酒やケルトの文化育みし
蛍光で浮ぶケルトと縄文か
「ケルト文化」補筆
ケルト…エッシャー…少年マガジン
枯木立からケルト音楽を想う

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