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2008/09/05

03志村銀座サンバパレードに行って来た

[本稿は、「03/09/08」付のメルマガにて公表したもの。追われる方の迷惑も顧みず、無我夢中で追っ駆けし始めていた頃のもの。本稿は、その後、HPに掲載したが、画像の容量の問題で削除。5年前の記事。改行を変更し、一部のみ削除したが、原則的に当時のまま再掲する。いつか、当時の画像が見つかったら、画像も掲げたい…のだが、古いパソコンは故障したままなのだ…。]

志村銀座サンバパレードに行って来た」(03/09/08記)

 やあ、今日の見物は疲れました。勝手にファンになっているリベルダージというサンバチームの追っ駆けをしている(正確に言うと、ネットでのたまたまの知り合いとなったそのチームの中のSさん、Cさん二人のファンとなったのが、チームを追っ駆ける切っ掛けとなったのである。

 商店街でのサンバパレードは、チームの数が多くても三つ。それが今回はリベルダージだけ。一つだけだし、それなら前にも経験したなと思っていたが、今日は、予想外の長丁場になり、運動不足というより運動欠如の小生の身には堪えたのだ。
 但し、天気は曇天。ちょっと雨を心配したが、ネットで志村の天気を事前にピンポイントで調べたところによると、幸い明日(当日)の夕方までは降らないという。

 気温的には小生にも、そして激しい踊りをされるダンサー(パシスタと呼ぶ)にも望ましいものだったと思う。
 会場の熱気があるからよかったが、ただじっとしているとポロシャツ一枚では、吹く風が寒いほどだったりしていたかも。この前の浅草サンバカーニバルも、比較的低い気温だった。踊られる方にも、小生にもラッキーである。

 4時半近くに例によってスクーターで出発。
 現地近くには5時20分過ぎに到着。小生は、リベルダージの示す地図で勝手に国道17号線の志村一里塚から志村坂上の間でやるものとばかり思い込んでいた。それが突然、志村坂上の駅近くで17号線(下り)から左へ折れる道への角で交通規制をしている光景に出くわし、びっくりして、つい行き過ぎてしまって、結果としてパレードの出発点から百メートル以上先の歩道にスクーターを止めることになった。
 歩いて出発点である志村坂上の交差点に行き、とりあえず簡易カメラを入手。既にバテリア(打楽器隊)などの音が高らかに鳴っている。
 沿道にはいつもながらかなりのギャラリー。出発点には、特設のステージが設けられていて、誰かが挨拶をしている。それが終わると、次には板橋区長の方が挨拶し、パレードの開始を宣言。
 ここ、志村銀座では毎年、リベルダージを呼び、パレードしているのである。

 さて、沿道を埋め尽くすギャラリーの透き間を縫って小生はカメラ小僧。今回はリベルダージのメンバーをできるだけ満遍なく撮るように心掛けた。
 ところでリベルダージ一つだけのパレードの場合、毎回、チームの構成が違う。今回は、外人の女性達の応援(それとも友情?)出演の方がいたし、パシスタもいつものメンバーとは違う、数人の人たちが加わっていた。
 結構、賑やかだし、見応えもあった。

 それから、びっくらこいたのは、男性の裸のメンバーが三人と、背負い子を背負った男のパシスタ(?)が二人いて、かなり激しく踊っていたこと。ギャラリーも驚いたり、受けていた。
 男のパシスタのうちの一人は、体を茶色に塗り、顔も茶色にし、胸にはパット入りのブラをしていて、鼻筋が通っているし、体も細身なので、遠目には女性に見え、小生などは、ついパチリとやったが、撮ってから、もっと近づいてみたら男性だと気づいた次第。恐らく彼(彼女?)の写真は、バッチリ写っているはずである。
 もう一人の男のダンサーは、体が白く、女性のダンサーと同じように青色のラメ入りの華やかな格好はしているが、さすがにブラはしていない。かなり激しく踊り、茶色の男共々、ギャラリーを湧かしていた。

 ギャラリーには数人のイケイケギャル(古い! 死語かも)がいて、パシスタらの踊りに合わせて一緒に踊ったり、イエイエ! と奇声を上げていた。ノリノリって感じ。小生もその勢いに釣られてシャッターを押す。つい、ターゲットはそのギャルたち(ギャルという言葉も死語なのだろうか?)にも向けられてしまったり。

 浅草サンバカーニバルの一つ前のパレードである馬橋で初めて登場したジョーカーと称される一団の踊り手たち。彼らが、志村でのパレードでも登場した。
 黒いマントを羽織り、顔には銀色の面を片手に持ってあてがっている。ひとしきり、謎めいた踊りを踊った後、その8人(?)ほどの集団は円を描き、それぞれのマントをくるくると丸めて、お面も外し、緑色と黄色の衣装(女性は
ブラ姿。男性は腰にパンツ)に変身する。顔はやはり黄色と緑とに塗り分けられている。彼らも、出来る限り写真に撮った。

 それから、小学校の低学年(?)の女の子四人が、それぞれに旗を持ち、一団となって軽やかな踊りを踊りながら、通り過ぎていく。衣装の色も、青や黄色やと、それぞれに違う。時々、くるっと回って見せるのが、愛らしい。彼女等も笑顔を絶やさないのが健気。顔は化粧がバッチリ。思わず、ギャラリーから、「可愛い!」という声。
 彼女等は子供ポルタと呼ばれる。

 無論、サンバパレードの花形である、バテリアの一団も忘れてはならない。その中に、ネットの上での知り合いが一人、いるはずなのだが、いまだに誰がその彼なのか、分からない。
 とにかく、彼ら数十人の一団についても、写真を撮りまくった。

 そして、本当のパレードの花形であり、世の殿方の目当てでもある、パシスタと呼ばれるダンサーらが通り過ぎる。応援(?)のダンサーたちは、それぞれに華やかな衣装を纏って、にこやかに、というより、笑みを全開にして踊りまくる。カメラを向けていることに気づくと、一瞬だが、止まってくれることもある。シャッターチャンスをどうぞ、というわけである。

 さらに、まさに小生の目当てであるダンサー二人がいるパシスタの一団も最後に通り過ぎる。彼女等は、浅草サンバカーニバルで初めて披露した衣装をここでも纏って踊っていた。目に鮮やかな、何処か青い薔薇と称したくなる青い色の羽根や衣装。あの羽根は背負い子と呼ばれるらしい。
 小生は、そのネットでの知り合いの二人をメインに写真を撮りまくった。無論、彼女等も小生に気づいてくれて、小生の前で激しい踊りを披露してくれた。あの足を激しくステップさせる踊りをノペと呼ぶ。
 その踊りを踊ることを、ノペを踏むと表現したりする。

 それにしても、愛想を惜しみなく振り撒く彼女等は凄いな。余程、内から湧いてくる踊る喜びや、みんなに一緒に楽しんでもらおうというサービス精神に溢れているのだろう。
 また、踊りつづけるためには、そのための体力や筋力、そして体の柔らかさが要るという意味で踊る筋肉の柔軟性が養われているのだと思う。

 前半は6時半過ぎに終わったのだが(これは予定通りの時間)、驚いたのは、今度はステージで何人かのメンバーの単独、ないし二人、ないし数人での踊りが披露されたこと。小生は初めて(?)見るダンサーの一人が舞台の端のマイクの前に立ち、観衆に挨拶。リベルダージを宜しく! とか、乗ってるか! とか、パレードの最後の催しを楽しんでね、などと威勢良く喋った。

 パシスタらのステージでの踊りは、無論、バテリアなどの演奏に乗って。交差点の角にステージがあるのだが、道路の向い側にロープを張った一角があり、そこにバテリアの一団が居並び、演奏しているのだ。すぐ背中でサンバの激しい音が聞こえるので、体の芯から響く気がする。
 これは、絶好のカメラチャンスだったが、情ないことに、小生はフィルム切れ。こんなのがあると知っていたなら、フィルムを残しておいたのに。Sさん、Cさんも男性のダンサーと三人で踊った。綺麗だった!
 それだけに惜しかった!
 写真の撮れない小生は、目に彼女等の踊りを焼き付けたよ。
 
 しかし、なんとも、悔しい。
 実は、そのステージでの踊りの直前に、ネットでの知り合いのSさんに後で「舞台に上がるから」と告げられていたのだ。
 が、その時は、小生は珍しくギャラリーの後ろじゃなくて、ほとんど最前列に居たので(だからこそ、Sさんが小生にメッセージを告げることが可能だったのだが)、そこから抜け出すのも大変なら、ましてカメラを買って戻ろうにも、まず元の位置に戻るのは無理って状態だった。
 ああ、なんていうシャッターチャンスを逃してしまったことだろう。逃がした魚は大きい。
 そのステージショーも含めた前半の部は7時に終わった。

 小生は、一旦は帰ろうと思ったのを思い直した。繰り返すが、どうにも逃したチャンスが悔しかったのだ。
 志村や小豆沢の町をダラダラと散歩し、それから、さすがに腹が減っていたので(朝食? を朝の10時過ぎに食べただけ)、何処かの蕎麦屋に入り、天麩羅うどんを食べ、さらに散歩。いつしか時間は後半の開始時間である7時半を回っていて、演奏の音が遠くから響き始めていた。

 5時過ぎからずっと歩いたり、人込みを縫って動き回ったので、小生はグッタリしている。さすがに後半は追っ駆けでのカメラ小僧になりきれず、途中で立ち止まって、パレードが通り過ぎるのを待ち構える形で撮影。
 の、つもりが、やっぱりパレードの勢いには負けて、追っ駆けながらの撮影。
 後半のパレードは、動きが凄く速い。小生の足だとほとんど駆け足。Sさん、Cさんの姿も、スポーツカーで駆け抜けたようにあっという間に通り過ぎ、写真がほとんど撮れなかった。その代わり、ジョーカーの人たちや、子供ポルタの面々やバテリア(打楽器隊)の面々などをしっかり撮った。

 さて、最後は、後半の部のステージショー。前半はSさん、Cさんがステージに上がって踊ったので、今度は違うメンバーがお立ち台(これって死語?)で踊るかもしれず、彼女等が踊るかどうか分からず、心配だったが、なんとか上がってくれた。
 でも、今度は生憎、小生はギャラリーの最前列というわけにはいかなかったし、子供ポルタの掲げる旗が彼女等を見るのに邪魔になり、写真も撮れたかどうか、自信がない。それでも、写真をパチパチ。

 Sさん、Cさんが踊り終えて(間に男のダンサーを挟み、その男が時にCさん、時にSさんと仲良くなり、その間、他の女と親しくなっている間は、一人となっている女性がいじけながら、二人を盗み見る。仕舞いには、二人の女に媚を売る男に、今度は二人が愛想尽かしをするという設定だったと思う)舞台を降りて、舞台の傍で、彼女等の後で踊るメンバーにステップを踏みながら声援を送っていた。

 そのうちに、ポルタバンデイラ & メストリサラ 2nd(リベルダージの旗を持って踊る豪華な衣装を着た男女のペア:その2)らが踊り終わり、ほとんどステージショーの最後の頃、つまり、ポルタバンデイラ & メストリサラ 1st
(リベルダージの旗を持って踊る豪華な衣装を着た男女のペア:その1。女性のドレスの裾にも、女性の大きく開いた胸にもトランプがアクセサリーとして付けられている)の方たちが舞台の上で踊っている頃、Sさんが小生に気づいてくれて、Cさんを呼んでくれた。
 Sさんは、小生に気づくと、必ずCさんを呼んでくれる。気遣いの人なんだね。そして、二人で小生に向って(ギャラリー越しだが)不思議な踊りを踊ってくれ、あるいはノペを踏んでくれたりして、小生も彼女等の勢いと愛想に乗せられてついつい踊りの真似などを。誰にも見られていないと思うけど。

 本当に彼女等は楽しげに踊る。心の底から踊ること、人に愛想を振り撒くこと、みんなで一緒に楽しむことを楽しんでいるのだと感じる。踊る時間だけから言うと、浅草サンバカーニバルの倍になるのではなかろうか。天候が曇天で過ごしやすかったとはいえ、あの持続力は凄い。その上で、尚、笑顔と愛想を絶やさないのだ。
 
 後半のステージショーの間は、ギャラリーを挟んだ道路の反対側で、バテリアの前でハイーニャ・ダ・バテリア(ダンサーたちのリーダーであるダンサー。彼女がパレードのムードの盛り上げ役をしている)の方が踊っていた。前は舞台での踊り、後ろはハイーニャさんやバテリアたちの熱気。これがサンバなんだと感じたよ。

 さて、そんな祭りもいよいよ終わる。バテリアなどの演奏も終わるし、ダンサーたちの踊りも終わった。会場が一気に静かになる。Sさんたちが信号を渡って去ろうとする。小生はSさん! と声をかけたが、気づいてもらえなかった。そこが唯一の心残り。
 それでも、踊る喜び、それとも生きる喜びのようなものを戴いた気分で、帰りのスクーターによるナイトクルージングも、海でサーフィンでもしているような感覚を味わいながら、環七をゆったりと帰ってきた。

 小生が帰宅の途についたのは、8時40分頃。自室に戻ったのは、9時25分頃。走行距離往復で60キロ。肉体的疲労は、今までのパレードでも一番。
 でも、満足度は高く、心地いい疲労とパレードの余韻を味わっている。

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