谷口ナツコ…痛々しくも色彩曼陀羅
「ヴァニラ画廊 vanilla-gallery」にて谷口ナツコ (Natsuko Taniguchi)さんというとんでもないアーティストを見つけた:
「vanilla-gallery 谷口ナツコ展「―小さなこと―」」
→ 『歯抜けた』(アクリル、油彩、キャンパス 120CM×120CM 2008) (画像は、「現代アートコレクターHILOWのblog ~ ハイロ・コレクション ~ハイロ・コレクション Vol.7 ~谷口なつこ~」より。)
谷口ナツコ(以下、敬愛の念を以て敬称を略させてもらいます)の絵画世界は、色彩感覚がぶっ飛んでいる。常人の感覚とは懸け離れている。
過剰なまでの色彩曼陀羅。横溢する血と痴と稚。
それでいて、何処かしらバランス感覚…平衡感覚のようなものがあると感じるので、鑑賞していて不安になるとか、居たたまれなくなるということもない。
同氏に近い(かもしれない)色彩感覚の絵というと、たとえば夜汽杏奈(「夜汽杏奈 ART 絵画 イラスト CG作品紹介」参照)とか草間彌生とか、作品によってはバスキアや絹谷幸二とか、あるいは伊藤雅恵(「ex-chamber museum review:伊藤雅恵 個展《9-20》」参照)とか、いろいろいるのだろうが、小生が知る限りでは、やはり今のところ谷口ナツコが際立っていると感じる。
小生が知る限りで匹敵しえると思えるのは、ぶっ飛んでしまってからのルイス・ウェイン(の猫)か:
「ルイス・ウェインの猫(その2)」
← 画像は、「2006-12-12 - mmpoloの日記 [美術]天才画家:谷口ナツコ展(1)」から。
谷口ナツコについての情報は小生は何ら持ち合わせていないので、専らネット検索に頼って、表層的なことだけでも調べてみたい。
「vanilla-gallery 谷口ナツコ展「―小さなこと―」」には04年以前の展覧会暦などが書いてあるが、下記がもっと詳しい:
「谷口ナツコ Natsuko Taniguchi アートインデックスネット art-index.net」
1968年、北海道、旭川生まれで、北海道総合美術専門学校 (現;北海道芸術デザイン専門学校)の出身、(多分、現在も)北海道在住らしい。
→ 画像は、「2006-12-12 - mmpoloの日記 [美術]天才画家:谷口ナツコ展(1)」から。
「ギャラリーテオで谷口ナツコ展が始まった - mmpoloの日記」によると、「まず眼を射るのが過剰な色彩だ。谷口は色彩の画家なのだ。その過剰な色彩を谷口は見事にコントロールしている。ついで細部に眼が行くだろう。密に描かれた細部が豊かなことに再び驚く。巨大な画面が点描で覆い尽くされている。その手仕事にかけられた膨大な時間! そのようにして描かれたテーマの中心が排泄なのだ」とある。
しかも、「しかしながらここに描かれた糞便が汚くないのも不思議だ。この谷口ナツコに比べれば草間弥生すら凡庸に見えてしまうだろう」と言う。
小生も同感である。
← 画像は、「デザイン・フェスタ ブログ [Artist]谷口ナツコ展」より。 この絵に付いては、「谷口ナツコ展 ギャラリー テオ アートインデックスネット art-index.net」が参考になる:
作品の主題となっている「女の子たち」は、怨念がこめられているような、どぎついほどの鮮やかな一粒一粒で描かれており、私たちの目をちかちかと眩ませます。
幼児性愛などが主題になっているその作品たちは、痛々しいショックを私たちにあたえながらも、キラキラと昇華していきます。
小生は一見して気になったか、あるいは気に入った画家をブログで採り上げることにしている。
谷口ナツコの絵は、妙に爛れた世界であるように思うのだが、だからといって毛嫌いしたくなるような薄汚さに堕さず、どこか小生のような常人(凡人)にもその世界へ入り込め、且つ、その世界から戻ってこれるような、安心感がある。
眺め入り、溺れた挙句、その世界から二度と戻れないのではという不安感は抱かせない。
ギリギリのところで常識も踏まえているということなのだろう。
但し、小生は同氏の現物がギャラリー空間を埋め尽くしている状況のただ中に迷い込んだことがあるわけではない。
実物の作品が四囲を天井を占有し、それらが小生を囲繞して睥睨でもしていたなら、ビビッて仕舞うかもしれない。
→ 画像は、「vanilla-gallery 谷口ナツコ展「―小さなこと―」」より。「ギャラリーテオで谷口ナツコ展が始まった - mmpoloの日記」によると、テーマは「女の子たち」あるいは「幼児性愛」なのだとか。
「現代アートコレクターHILOWのblog ~ ハイロ・コレクション ~ハイロ・コレクション Vol.7 ~谷口なつこ~」には、「谷口の作品は平成18年の12月に新宿のうらびれた小さな貸しギャラリーで初めて見ました。その過剰さと凄みに圧倒された事を記憶しています。記憶すら残らない作品ばかりが流行している時代の中にあって、文脈も哲学も必要としないプリミティブなアボリジーニ的世界を現出した谷口作品に半ば呆れ、過剰な色使いに相当反発し、しまいには根負けしているアンビバレントな気分の自分がいました」とある。
多分、小生もそのような衝撃を受けるだろう。
← 画像は、「gallery TEO 谷口ナツコ」より。痛々しいほどにリアル且つ鬼気迫るほどに美しい。
「ex-chamber museum review:谷口ナツコ展《3/21、3/22》」なる頁の実際に個展へ行っての感想など、実感が篭っている。
そんな中、やはり、「gallery TEO 谷口ナツコ」での説明が秀逸に思える:
「gallery TEO March,21 – April,19 2008 Natsuko Taniguchi 谷口ナツコ」
単なる説明というより、記述自体が詩的に感じられるのだ。
一部、既に引用させてもらっているが、再度、参照させてもらう:
谷口ナツコ(1968生まれ) の作品に登場するのは小さな女の子、現実のあそびと空想のあそびを繰り返しています。
彼女たちは、大人になることからも少女であることからも逃避し、彼女たちの身体についている「何でもない穴」を白昼に放り出して、「何でもないもの」としてただ、そこに存在しています。作品は、木工パネルに下地を作り、筆で下地を描いてから、トレーシングペーパーを円錐状に丸めたものにアクリル絵具を入れて、全ての線や点をつぶつぶに絞り出して描かれます。
アクリル絵具の他、ラメ入りや蛍光色、透明ゲルや仕上げのニスなどを使い、「全ての点がきらきらと光り、ちかちかとして目が眩むような美しい絵に なるように、、、」とわたしたちには気の遠くなるような作業をひたすら続けながら、それは数メートルもの大作になります。「絵に光があたり、全ての線、点、色が浮 き上がり、そのひとつひとつがきらきらと 輝いてるのを見る時、これはこれはもう嬉しくてなりません」作家は言います。
幼児性愛などが主題になっているその作品たちは、強烈なショックを私たちにあたえながらも、キラキラと昇華していきます。ぜひご高覧ください。
↑ 画像は、「gallery TEO 谷口ナツコ」より。小生が一番、凄いと感じた作品はこれ。月よりの使者の来訪の際、五感が体中で細胞や神経の末端に到るまで過敏になり想像力が研ぎ澄まされるのだろうか。感受する神経がその突端を体表や体液にまで曝け出し、一切の緩和装置を無視して世界を感じまくり暴れまくっている、そう感じられてしまう。でも、美しいと感じるのは、なぜ? それが谷口ナツコの才能だと言ってしまえばそれまでだけど。
↑ 画像は、「gallery TEO 谷口ナツコ」より。鬼気迫るものがある! 子宮の中、羊水に浸って育まれ幼女となった子がいきなり現実の世界に紛れ込んで、育ちきらない表皮のゆえに神経剥き出しにされてしまっている…、そんな子が見、感じる世界なのでは ? !
以下のサイトを参照させてもらいました:
「gallery TEO 谷口ナツコ」
「新宿御苑andZONEの管理人日記 谷口ナツコ展」
「現代アートコレクターHILOWのblog ~ ハイロ・コレクション ~ハイロ・コレクション Vol.7 ~谷口なつこ~」
「2006-12-12 - mmpoloの日記 [美術]天才画家:谷口ナツコ展(1)」
「2006-12-13 - mmpoloの日記 [美術]天才画家:谷口ナツコ展(2)」
「ex-chamber museum review:谷口ナツコ展《3/21、3/22》」
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コメント
sukebe-oyaji yoroshiku hane no neisan okkakete,syasin no ude wo migakuyori batukada no rensyu sikkari yattara?
waga chiimu to ossyarimasuga nanika kanchigai nasatterunodeha?
投稿: | 2008/10/01 02:18
匿名さん こんにちは。
平仮名に直すと、「助平親父 よろしく 羽根の姉さん 追っ駆けて 写真の腕 磨くより バツカーダの練習 しっかりやったら? 我がチームと仰いますが 何か勘違い なさってるのでは?」かな。
助兵衛親父ってのは認めるよ。
あなたは助兵衛じゃないの?
もし仮にこの記事の絵を見て、助兵衛だと感じたのなら、匿名さんは余程、料簡の狭い人だと思う。
好き嫌いはあっていいけど、小生は谷口ナツコの絵は素晴らしいと思う。
写真の腕は一向に上がってない。これはちょっと残念。
楽器の練習はとっくに諦めてます。
意味不明なのは最後の「我がチームと仰いますが 何か勘違い なさってるのでは?」って文言。
贔屓のチームだから我がチームって呼んで構わないのでは。
沿道で声援する応援者が居ても構わないのでは。
人それぞれに都合があるのでは。
いろんな人を巻き込んでこそ、サンバなんじゃないの?
もっと度量を大きく持って欲しいね(あるいは意味の分かるコメントにしてほしい)。
投稿: やいっち | 2008/10/03 19:36