続:音と光のページェント:納涼花火大会へ!
「音と光のページェント:納涼花火大会へ!」の続篇(後半部分)です。
こんな長大な日記にするつもりはなかったのだけど、画像を多く入れたくて、背景(壁紙)としての日記もダラダラ書き綴るしかなかった(← 言い訳)。
← 花火の写真としては??だが、一つの画像としてみると、UFOとは言わないが、浮遊感のようなものを感じて、お気に入り。
長いといえば、七月の上旬頃から読み続けてきた、与謝野晶子訳『源氏物語』も、上下巻のうち、下巻の半分まで読み進んでいる。予想以上に早い。
同時並行して、ロベルト・ムージル著の『特性のない男』(加藤二郎/ 柳川成男/北野富志雄/川村二郎訳 河出書房)も案外とすんなり読めてしまって、『特性のない男』は読了した(「汗水垂らして御簾(みす)のこと?」参照)。
今は同じ巻に所収となっている川村二郎訳の『三人の女』を読み出したところ。
暑い夏にこそ、長丁場の作品に敢えて挑戦。
小生はマゾなのか。
ところで、『源氏物語』五十四帖の巻の一つ・第47帖は、「宇治十帖」の第3帖部分で、「総角(あげまき)」と題されている。
この帖が『源氏物語』をある意味象徴しているようで、非常に読み応えがあった。ある種の悲劇でもあるのだろう。
煮え切らない男女の歯がゆい物語と切って捨てればそれだけの話だが、なんとなく身につまされるようでもあった。
この第47帖は登場人物も少ないので、御簾越しの男女の真綿で首を締められるような息苦しい心理描写や遣り取りが延々と続く、「総角(あげまき)」単独で読んでも面白いかもしれない。
(↓ ここから本文です!)
「音と光のページェント:納涼花火大会へ!」(の後半)
混み具合や時間の余裕からして、少なくとももう一つ上流側の橋へ行けたかもしれない。
でも、サンバもだが、小生は離れた場所から追っ駆けするのが似合っている。
ここでいいのだ。
ただ、花火を見たい。
何十年ぶりで観る富山での花火大会。
ガキの頃は別にして、多分、学生時代以来のはず。
東京ではチャンスは何度もあったが、墨田でのものも含め、とうとうまともに見物することはなかった。
やはり、花火大会は富山で、という思いが胸の何処かに潜んでいたのだろうか。
言うまでもなく、デジカメは持参している。
夜の撮影は(昼間だって苦手なのだが)苦手である。
小生は月影を撮りたい、星空を撮りたいと何年も願ってきたが、今日に到るまで成功した例(ためし)がない。
カメラでの撮影方法をちゃんと勉強すればいいのだが、生来の怠惰が祟っているのである。
小生の場合、夜の撮影はひたすら数打ちゃ当たる作戦である。
少なくとも350枚は撮影した(公開に耐える画像は20枚弱!)。
デジカメを胸元の高さ…それは欄干に凭れてヒジを宛がう姿勢での撮影の際の高さ…に構える。
顔(目)は、可能な限り生の花火を観る。
時折、チラッとデジカメのモニター画面を見遣り、カメラの焦点が花火に合っているかどうかだけ、確かめる。
打ち上げられた花火がパッと炸裂し花開く瞬間を見計らってシャッターを切る。
まず、地上から花火が打ち上げられる。
シュルシュルと上がり(実際には音は光の帯よりずっと遅く聞こえるのだが、まあ、シュルシュルというイメージである)、そろそろ炸裂しそうというタイミングに合わせ、デジカメのシャッターを浅押ししておき、光るぞ! という時、パッと押す…のだが、やはり、夜だとシャッターを押しても直には切れてくれない。
タイムラグが生じてしまって、光り花開き終えた、萎えた光の屑が疎らに夜空に漂い落ちるところを辛うじて撮る、というケースが多い。
で、段々、当てずっぽうでシャッターを押すようになる。
神経はモニター画面なのに、目は敢えて遠くの花火を見る…ようにしている。
撮影が失敗しても、肉眼はちゃんと花火を見ていたんだから、いいや、というエクスキューズをしているわけである。
家族連れや恋人同士、あるいは友達同士が大半な中に、欄干に凭れつつ、やたらとデジカメのシャッターを切るしがない中年男。
どう見ても、異質。浮いている。
でも、そんなことなど構っちゃいられない。
その程度のことを気にしていたら、サンバパレードの撮影などできない! なんて。
夢中になって撮影していたら、最初は橋の路肩に停めていた車は一台だったのが、気が付いたら十台ほどが相次いで停車させ、花火見物と決め込んでいた。
警察も、この橋までは取り締まりに来ないようだ(…と思ったら、大会が終わってからやっとパトカーが来た。終わってから来たって意味ない。誰だって大会が終われば車に乗ってさっさと帰るっちゅうの!)。
冒頭付近で、「富山 花火大会の打上花火業者」である、「マツダ」の名をチラッと出している。
せっかくなので、少なくとも富山では有名な「打ち上げ花火師」の大橋智子さんの話を伺うのもいいだろう。「全国に十数人しかいない女性花火師」の一人だ。音楽花火など、「「創造花火」の製作に、業者間のアィデア競争がし烈」なのだとか:
「とやま豆新聞 花火師・智子の世界」
ここでは、上掲の頁から「過酷な準備作業」なる項目だけ転記させてもらう:
前作業は、特に夏の「神通川花火」が厳しい。中州の打ち上げ場所をブルドーザーで整地したり、草刈に汗を流す。これは、もっぱらおやじさんの仕事だ。大小数十本の鋼鉄製の打ち上げ用の筒を地中に刺し、底に打ち上げようの火薬を敷き、その上に花火玉を置く。導火線は火薬と花火玉の両方に結びつける。
智子は、多くのスタッフを指揮しながら、黙々と作業をする、そんな両親の姿を幼いころから、よく見てきた。会社に入ってからは休みを利用して、現場で手伝った。雨が降ってきて現場が、てんやわんやになったことも目の当たりにした。
暗い中での作業は、まさに戦場である。以前は、人の手による点火が多かったが、いまは電気点火が増え、その分、手間も危険も減った。しかし、おかげで、辺りは電気点火のためのコンピューターからの配線があちこちに延びている。懐中電灯を頼りに動き回るスタッフたち。おやじさんの声が時折、甲高く響く。

さて、愚にも付かないレポート風日記を綴っていて、ふと、花火とサンバの共通点(?)らしきものに気がついた。
浅草サンバカーニバルでは何十組ものチームが鎬を削りあう。
その象徴の一つがアレゴリアである(アレゴリアについては、「ウラ版・浅草レポート「敗軍の将、兵を語らず」」など参照)。
その制作のため、多くのメンバーが休日返上で頑張っている。時にはカーニバルの前夜から徹夜で制作の追い込みだったりする。
→ 撮り損ねた写真。花火に火が点いて燃え出したように見える。
そんな汗の結晶とも言えるアレゴリア(山車)なのだが、そのアレゴリアがパレード終了直後に解体され、消滅してしまうことを知る人は少ないのではないか。
解体…、そのまま、惜しくもスクラップである(パーツによっては翌年も流用もありえるらしい)。
数ヶ月も制作に歳月(労苦)を要したし費やしたというのに、勿体無い。
まさにここにサンバの潔さのようなものがある。一期一会じゃないが、今を生きる、燃焼し尽くすのである。
たった一日(たった一時間ほど)に一年を費やす。
← これも撮り損ねた写真なのだが、なんだかうらぶれているようで、妙に気に入ってしまって削除しきれなかった。横に連なる灯りは、屋形船ではなく、鉄橋を駆け抜けていく列車。
記憶にあるいは体験として胸に営みが刻まれるかもしれないが、モノは残さない。モノに執着しない。あくまで生きること、生きる喜びを共感し交歓し合うのが大事なのだ。
踊って歌って笑って生きて楽しんで、が基本。
「「暗黒のキャンバス」の上に、轟音とともに絵模様を描く花火」も、「打ち上げられて初めて「生きた花火」となる」のだし、音と光のライブだし、打ち上げられ炸裂し光の花を一瞬咲かせたら、それでお終いである。
共に小生には眩しい世界だし、両方に携わる人びとを眩しく見つめるばかりだ。
花火大会を見物してきて、思うことはいろいろあったのだが、今日はこれだけにしておく。
最後に、花火の光景を動画に収めてみたので、可能な方は見て欲しい:
「08_0801-0022.AVI」をダウンロード
関連拙稿:
「花火大会の夜に」
「線香花火の思い出」
「花火といえば鈴鹿かな」(小生にとって最高の花火は、鈴鹿で見たもの!)
「今日は何の日 花火の日」
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