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2008/08/27

西牧徹の黒戯画的ユートピアとロリータ文化

西牧徹…ラブドール幻想」なる雑文を書いたことがある。
(以下、例によって敬愛の念を籠め、勝手ながら敬称は略させてもらう。)
 某サイトで西牧徹の小さな作品画像を見つけ、気になりネットでチェックしてみら、とても個性的な世界だったので仕立てた記事である。
 ユーモラスであり、児戯的であり、エロチックであり、そして画家自身が唱えるように、ユートピア幻想世界の色彩を帯びていることを感じた。

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→ 黒戯画の艶画「肖像のガーネット」(2008) 惑溺の世界へ誘い込む蠱惑的な瞳。無垢なようでいて存在そのものが挑発的な、玉の肌の肉体。画像をクリックしたら拡大するが、その画像をさらに嬲ると、ああー、弾けちゃった!(画像は、西牧徹本人よりの提供)

 西牧徹の作品や同氏についての大よそのことは上掲の記事で書いたので、今日は別の話題を。
 同氏のワールドには二つの世界があるようで、前稿でも転記したが、下記の如し:

少年・少女と玩具・食物などをモチーフに鉛筆画を制作。2003年に自らの作品を「黒戯画」と名づける。この「黒戯画」は“艶画”と“福画”に大別され、性幻想に基づくもの、キエムクーとその仲間たちの日常と冒険を描いたもので、ユートピア絵画という点で同一線上の世界となっている。

 このたび、バルセロナの画廊「ARTZ 21 ""ARTSTORE & CULTURAL EVENTS""」にて今秋10月から11月に掛けて催される展覧会に出品することが決まったそうで、今回は「黒戯画の艶画(エロスをモチーフにしたもの)のみを出展」するとか(冒頭の画像を参照)。

 話を先に進める前に、気になる人もいるだろうから、「キエムクーとその仲間たちの日常と冒険を描いた」という「福画」作品を一つ、掲げておきたい。
 拙稿の「西牧徹…ラブドール幻想」を覗いてみるのもいい。

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← 黒戯画の福画「till the dawn」-夜明けまでにー(2007) (画像は、西牧徹本人よりの提供。アトリエサードという出版社から(出版)予定で、キエムクーの絵本にも掲載予定の福画(キエムクー・ワールドをモチーフにしたもの)の一つだとか。)

 展覧会の名は、「fantasia erotica japonesa」だそう。

 早くも既に、同時に出品される作家たちの名前と共に、かのサイトでも採り上げられている:
Hugo Strikes Back! fantasia erotica japonesa
 この記事にもあるように、ヴァニラ画廊での個展を終え、「パリで開催中の「現代日本のエロテックアート展」」に引き続いての活動となる。

 そのほか、あるモデルについての興味深いエピソードが「Hugo Strikes Back! fantasia erotica japonesa」に載っている。
 ぶっちゃけたところ、「林アサコさんの写真作品を出品しようとしたら、画廊のオーナーから「ロリータ写真」は駄目と駄目出しを喰らった」というのだ。
 何ゆえかは想像が付く?

 その問題のモデルとは、この方・林アサコ。↓

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→ 林アサコ。バルセロナの画廊での展覧会に出品する版画家! 西牧徹の個展のオープニング・パフォーマンスをつとめた方だとか。西牧徹の写真作品やビデオ作品のモデルもつとめているという。アトリエサードから刊行されている隔月刊誌「TH」には彼女自身の連載コラムが載っている。小生は未見・未読。同誌には、西牧徹が撮影した写真をもとに架空映画ポスターに仕立てた作品も掲載されているというから、隔月刊誌「TH」は垂涎の雑誌だ(画像は、西牧徹より提供されたもの)。
 この方、欧米人が見たら、少女と見えてしまうらしい。写真作品がロリータ扱いされるのも分かる ? !

 好奇心や冒険心一杯の典型的なネコの目!

 小生は、彼女のこの写真を見た途端、ああ、西牧徹はこの女性に毒されているなって、直観してしまった(羨望というか妬みの念を籠めて、毒されているって表現したくなった!)。
 目がまさに西牧徹ワールドで描かれる少女らの目そのものである。
 画家に限らず、創造者は何かに囚われているようでなくっちゃ、その世界は味気ない。
 溺れるほどであってほしい。
 勝手なことを言うなって?
 でも、オリンピックの選手に金メダルをねだるように、その労苦や耽溺する危険など知らぬ顔で、ファンや外野は勝手なことを言うものなのではないか(自分じゃ、出来っこない…挑戦することすら出来ないのだ)。

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← トーキングヘッズ叢書(TH Series) No.33「ネオ・ゴシック・ヴィジョン」新発売! (「アトリエサード publication」…「発売=書苑新社」)

 メードファッション(ある意味、ロリータファッションの一種なのだろうやオタク文化のメッカ(?)だった秋葉原が、例の事件で打撃を受けたことは記憶に新しい。
 小生などは、犯人は、こうしたオタク的文化が嫌いな当局の回し者なのではないかと邪推したくなったものだった(未だ、この疑念は払拭切れていない)。
 
 小生がロリータという言葉や世界を知ったのは、随分とオクテでウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』(Lolita) によってだった。
 書店で買うのも気恥ずかしく、他の本を重ねて書店で購入したような。
 Hな雑誌を買うより、何か罪の匂い…というより、反社会的な匂いを嗅ぎ取っていた気がする。
 小説では12歳の少女への語り手の思い入れが描かれている。
 少女は必ず大人になる。
 だからロリータとは、成熟や大人になる女性への忌避でもあるのかもしれない。

 大人が少女を(あるいは少年を)愛することは、欧米に限らず日本でも禁忌となっている。
 が、ほんの数世代を遡れば、裕福な家の奴は妾を囲っていた。

 大人の女性であったりもするのだろうが、それこそ13歳とか、まあ、あどけない少女を堂々と(?)囲っていたわけである(「源氏物語」を読むがいい。少女どころか、幼女の陵辱のオンパレードである。可愛い幼子を囲って、自分の好きなように育てるのが楽しみだと、堂々と書いてある。紫式部の考えではなく、当時の宮中での<常識>を教科書的にレクチャーしているのでもあろうか)。

 モラルなど、時代の変化と並行する。 
 今は禁忌の世界となっているから、ある意味、それが効してロリータ文化が持て囃されているとも(逆説的に?)考えられるのではと思ったりする。
 ダメと言われるから、尚更、妄想が逞しくなるのだ。

 多分、欧米文化が世界標準となりゆく現代にあっては、グローバルな世に平均化されていくわけで、もう当分、逆戻りはしないだろう。
 よって、ロリータ世界やオタク文化は一種のヴァーチャル文化として栄えていく一方なのに違いない。
(中世において平民には厳しい宗教的モラル(戒律)を課した一方で、偉い僧侶や王家や貴族らが女たち(男たち)を食い漁ったように、現実の社会の裏や瀟洒な館の奥で、ロリータ文化やオタク文化をせせら笑うような<祭り>が繰り広げられる…。貴族とは他人の目線など気にせず徹底して自らのモラルで生きる者だとしたら、そういう者こそ赤い闇を切り裂くのではなかろうか。)

 禁忌を離れての生粋のロリータという世界はありえるのだろうか。
 さあ、もう、全てが解放されたんだよ、好きにしていいんだよという世の中にあっても、純粋にロリータ世界を追求できるものなのか。
 
 秋葉原での事件が風化しつつあることを痛感するだけに、つい余談に走ってしまった。
 これも林アサコの目力(めぢから)なのか。彼女の魅力に虜になった?
 出会ってもいないのに!

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→ 林アサコ作「蛸の嫁入り(Marriagi of octopus)」(ファインアート / 版画 2008 44cm×21cm 和紙、インク(japanesepaper,ink/etching)) (画像は、「林アサコ's Portfolio ==Works==」より。) 北斎の「蛸と海女の図」と比べてみると、愉しいかも!

 人間は幼稚化の一途を辿っているという思想がある。
 所謂、ヒトの幼形進化である(ここでは、この理論へ深入りはしないので、「Your Song ヒトの幼形進化」を参照のこと)。
 ロリータ志向は、ヒトの幼形進化の、なるべくして生まれた志向なのかもしれない。

 ロリータや少女幻想、漫画(アニメ)に限らず童話やファンタジー作品の全盛という現今の映画状況を鑑みると、案外と、いや、むしろ自然な流れとして、黒戯画的ユートピアへとヒトは向っているのかもしれない。
 …冒頭の画像にそこまで読み込むのは、無理があるのは承知だが、まあ、林アサコの目力に負けてしまったというのが本当のところなのかもしれない。

 本稿、「西牧徹の中の林アサコ」といった題名にしようかと迷ったが、まあ、林アサコについては、別個に採り上げることもあろうから、表題の如く一般論的な、無難なものにした。


西牧徹-黒戯画世界 Blacken Caricature-Toru Nishimaki
林アサコ's Portfolio ==Works==

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