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2008/08/29

何ゆえ浅草でサンバカーニバルが始まったのか:追記

何ゆえ浅草でサンバカーニバルが始まったのか」への追記です。

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→ 映画『黒いオルフェ』 (画像は、「映画 黒いオルフェ - allcinema」より。) 「ギリシア神話のオルフェとユーリディスの挿話に基づき、ブラジルの詩人ヴィニシウス・デ・モライスが書き下ろした物語を映画化したもの

浅草サンバカーニバル - Wikipedia」には、「浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる」という<定説>を示した上で、下記の記述が続いている:

ただし一方では、兵庫県神戸市がすでに神戸まつりでサンバパレードを行っていたことから、浅草の商店街や観光連盟などが読売新聞社を通じて、神戸まつり関係者にコンタクトを取ってそのアイディアを浅草サンバカーニバルに流用したというのが真相であり、伴淳三郎の話は後づけであるという指摘もされている。

「神戸まつり」そしてそこでの「サンバパレード」については、下記が参考になる:
第37回神戸まつり(緑と海そして愛)のサンバパレード
 この記事には下記のように書かれている:

「神戸まつり」は、1933(昭和8)年秋から行われていた「みなと祭り」が、1967(昭和42)年春から行われていた「神戸カーニバル」といっしょになって、1971(昭和46)年に「神戸まつり」になりました。
(略)
「神戸サンバ」の歴史は、30数年前に遡るようです。元町でブラジルの船員が道に迷って困っていたときに、親切な青年(神戸サンバチームの代表)が船員を船まで送り届けました。

ブラジルの船員が、お礼にサンバを教えて、太鼓をプレゼントしたのが、きっかけだそうです。


 このブログ記事には、神戸から東京・浅草への影響(あるいは摂取)については書かれていない。
 でも、神戸でのサンバパレードは、娯楽の少ない当時にあっては(認識に問題があるようだ。コメント欄を参照のこと)、新奇な娯楽に飢えていて、先進的な、且つ、斬新な文化イベントにアンテナを張り巡らす関係者には耳寄りな情報であったことは間違いないのではないか。

 いろんな音楽や文化がごった混ぜの状態で日本に入ってきて、混乱・混同しつつもブラジル文化が徐々に根付き、特に映画「黒いオルフェ」の当時としては爆発的なヒット(アントニオ・カルロス・ジョビン!)で、日本においてサンバが認知されてきた。
(映画『黒いオルフェ』については、「黒いオルフェ」参照。)

 一方、神戸などでは東京(浅草)よりかなり早くからサンバパレードが「神戸まつり」の一環として繰り広げられてきて、サンバの定着の上でのメッカ(?)的役割を果たしていたとも言えるのかもしれない(まだ、断言は避けておく)。
 東京・浅草でサンバカーニバルが始まるまでには、秘められた(?)歴史や経緯(いきさつ)がまだまだ埋れていそうである。
 情報の提供があれば嬉しく思う。

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コメント

「神戸でのサンバパレードは、娯楽の少ない当時にあっては」は間違いです。記憶を頼れば、「神戸祭り」は花電車と呼ばれる当時はあった路上電車に化粧をして行進していた時代からサンバパレードに移ったのが70年代と思われます。

実はサンバの歴史以上に興味深い道交法の改正「二輪中型免許の新設」があり、これは神戸祭りで暴徒化した暴走族の残した歴史的汚点と言われます。

更に推測すれば、サンバがこうした経過を経てここでも日本化骨抜き化されて、「害の無い踊り」となったのではないかとする見解が生まれます。

両キーワーズでもう少し調べると面白いのではないでしょうか?

投稿: pfaelzerwein | 2008/08/29 16:45

pfaelzerwein さん

ご指摘、ありがとう!
一部、記述を改変しました。

>実はサンバの歴史以上に興味深い道交法の改正「二輪中型免許の新設」があり、これは神戸祭りで暴徒化した暴走族の残した歴史的汚点と言われます。

神戸まつりにはいろいろな余波があったんですね。
小生は74年の初冬に小型、ついで夏に大型免許を取得しました。
中型はまだなかった。
ギリギリの時代に大型免許を取得したってことですね。

>更に推測すれば、サンバがこうした経過を経てここでも日本化骨抜き化されて、「害の無い踊り」となったのではないかとする見解が生まれます。

このあたりは、本場のサンバとの対比も必要だろうし、同時に日本でのサンバって、どうあるべきかって問題にもつながりそう。
サンバの持つ本来のインパクトって、日本ではまだまだってのは事実のような気がするけど。
といっても、6年前、初めて牛込でパレードを見たときはカルチャーショックだったけどね。
狭い視野しかない小生だったからなのか。
でも、素晴らしい人たちとの出会いでした。

投稿: やいっち | 2008/08/29 20:07

やいっちさん、お久し振りです。昨日は悪天候でしたが、浅草へ行ってずぶ濡れになりながら、サンバカーニバルを観てきました。リベルダージさんの写真も撮らせて頂きましたが、天気も悪く果たしてどうでしょうか。写真の整理が出来たら掲載しますので、しばらくしたら見に来て下さい。
P.S 日本におけるサンバの歴史勉強になりました。

投稿: 写真好きです | 2008/08/31 15:02

写真好きですさん

ひさしぶり!ってほどじゃないかな。
来訪、ありがとう!

浅草、小生、スタッフとしてパレードに参加してきました。
ずぶ濡れ!!
写真、撮ってくれたのですね。
時間を作って覗きに行きますね。

日本でのサンバの歴史、分からないことが一杯。取材しないといけないし、勉強も必要。
これからの課題です。

投稿: やいっち | 2008/09/01 07:12

伴淳さんとブラジルの接点ですが、当時伴さんが親しくされていた女性(日本人)がブラジル在住で、何度か会いに渡伯していたところ、本場のサンバに出合い、アイデアを求めていた内山区長に提案したと聞いています。

投稿: tatami_kafe | 2008/09/05 13:57

tatami_kafeさん

貴重な情報をありがとう。

なるほど、伴淳さんご自身が何度か渡伯してサンバに出会っていたのですね。

多分、そのことを裏付けてくるサイトなり文献なりがあると思うので、今後も情報を求めていきます。

ネット検索したら、浅草初回~4回頃までの模様を当事者として語っている頁があった:
http://www.gres-liberdade.com/test/dlnews/explosion/11.html

ついでに、前にも紹介したけど、「浅草でサンバカーニバル?」って頁は必読:
http://www.aesa.jp/asakusa/index.html

投稿: やいっち | 2008/09/05 19:46

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