保田義孝個展へ
[本稿はホームページに所収のレポート。既にブログにもアップ済みの記事だが、リンク先の削除などがあるので、ここに再掲する。本文については原則として書き下ろした当時のままである。文中に掲げた画像は全て「Atelier peace branch」より。ここには掲げられなかったが、山手線(の電車の)光景や蒸気機関車を描いた作品は素晴らしかった。ネットでは作品画像を見出せなかった。]
→ 「漁船のある風景」(色鉛筆 パステル (平成9年) F40号)
「保田義孝個展へ」
保田義孝氏の存在を知ったのは、いつだったろう。小生のホームページで勝手ながら保田氏のサイトをリンクさせてもらったのは、今年の二月。
但し、大急ぎで断っておかなければならないのは、保田氏のサイトと書いたが、正確には、「「大分県佐伯市在住の画家、“保田義孝先生”のもとで、色鉛筆画を描く仲間達のサイト」である「アトリエピースブランチ」というサイトなのである:
「Atelier peace branch」
保田氏のサイトを知ったのは、ある詩人で最近は色鉛筆での絵の制作に励んでおられる女性のサイトを通じてだった。
彼女は、ご自身が色鉛筆を描かれるということで、色鉛筆画家の保田氏の存在を知ったのだろうか。
彼女が「アトリエピースブランチ」を知ったのは、今年の1月23日だったとか。ということは、小生が保田氏の存在を知ったのも、その直後だったろうと思われる。
(彼女のサイトは07年一月の更新を最後に動いていない。気になる…。)
ネットで「保田義孝」をキーワードに検索しても、ヒットする数はそんなに多くはない。ということは、一般的にはそれほど知られていないということなのか。
それとも、高名ではあるけれど、ネットの世界で扱う人が少ないということか。
← 「赤いドラム缶のある漁船」(色鉛筆 (平成10年) F10号)
さて、保田義孝個展会場を訪問したレポートを書く前に、できれば同氏の絵をじっくりと眺めてもらいたい。上掲のサイトを通じて、かなりの作品を見ることができる(最近、サイト内を衣替えされたようで、サイト内で閲覧できる作品の数がかなり増えている。そうはいっても、同氏の作品は累計すると一万点以上になるとか)。
使用する画材は、ほとんどが色鉛筆だけ。なのに、「雪の舟だまり」を見ても、「春雪(小樽)」(パステル画)を見ても、惚れ惚れする作品世界が創造されている。小生の比較的最近のお気に入りは、「晩秋のひざし」である。これも、色鉛筆画なのだ。
この個展は、今日で終わった。但し、二年後にはまた個展を開きたいと思っておられるとか:
「ギャラリー銀座」
→ 「横たわる漁船」(色鉛筆 (1990年) F10号)
個展が始まったのは、17日の月曜日。小生はタクシー業という仕事柄、週に三日は終日の仕事だし、仕事が明けた日は、グロッキー状態なので、ウイークデーに時間を割いて銀座に行くのは至難のわざ。
今日にしても、今朝7時頃に帰宅し、ネットをめぐったり、掲示板の書き込みへの返事を書いたりして、就寝したのは九時過ぎ。正午過ぎに目覚めて、洗濯したりして、さて、体の調子を探ってみたところ、外出が出来ないほどではないので、今日が最後という個展を見に行こうと思い立った次第なのである。
サンバを通じて、オフ会、そして少なからぬ人たちと出会ったが、この個展もある意味で、ネットでの直接の交流はないものの、ささやかなオフ会のようなものと言えるかもしれない。
保田氏という存在だけではなく、作品とのオフ会でもあるのだ。
ネットで同氏の絵の数々を見て、気に入っていたとはいえ、実物は、やはり違うはずなのである。そして、実際に見てきて、行ってよかったと感じている。
小生は絵を実物で見るのが好きだが(これは当然だ)、図録や画集などで絵を見るのも好きである。
当然のことながら、実物と印刷とは違う。どんなに印刷技術が発達しているとはいえ、カタログの絵と実物は等価であるはずがない。
← 「滞 船」(色鉛筆 (平成9年) P10号)
が、そうした常識を踏まえた上で、画集の絵を見て楽しむのも一興なのである。印刷された絵を見て、実物を想像するもよし、海外の作品だと将来に渡って圧倒的大多数の絵は実物を拝めないという現実を思うと、想像の中で絵のタッチや画面の感じなどを自分なりに思い描くのも愉しいのである。
さて、風の冷たい日曜日だった。スクーターで走るには、あまりに急激な冷気の襲来で体がついていけず、辛い走行となった。実際、居住する大田区から画廊のある銀座へはスムーズに行けたのだが、スクーターのエンジンを止めてみると、体が寒気で少しばかり震えている。
さて、会場のそ入り口には記帳台がある。サインペンなどで住所や名前を記帳してくれれば、ということだ。
が、小生、手がかじかんで、ただでさえ下手な字が、ギクシャクした活字になってしまって、書いていて恥ずかしかった。傍には、受付けというか案内される女性もいる。
画廊は、中に入ると、いきなり作品の数々と対面することになる。美術館のように、エントランスがあり、受付けがあり、通路があり、順路があり、というわけではない。どこかに中庭があって、そこで一服というわけにもいかない。
小生は久しぶりの銀座の画廊訪問なので、この、いきなり作品世界との対面というのは、ちょっと戸惑ってしまう。
でも、壁面には額に収められた保田氏の絵が並んでいる。そうだ、この絵たちに会いたかったのだ! 中に入ってしまうと、絵の世界に没入できる。
→ 「野趣晩秋」(色鉛筆 (平成5年) F10号)
案内してくれる御婦人も丁寧であると同時に、質問に気さくに応じてくれる。たまたま入った時は、来訪者は小生一人だったこともあり(奥の休憩所に誰かが休憩していたけど)、その案内の方は、しばらく小生の相手を務めてくれた。お茶さえ、出してくれたり。
狭い会場で親切心だろうとはいえ、立ち会われたりすると、何だか窮屈になって、おちおち絵を眺めてはいられなくなるのが普通だが、そんな気詰まりを感じることがなかった。その御婦人の人柄なのだろうか。それとも保田氏の絵を気に入ってる、その同好の士という思いが気の置けない雰囲気に繋がっていたのだろうか。
個展であり、展示されている作品の数はそんなに多くはない。一階に十数点。外階段を登る二階にも十点ほど。人物画(肖像画)はなかった。「山手線百景」や「画集蒸気機関車」、「古代生物マンモス」もない(これらもネットで見たことがあるだけだが、素晴らしい。上掲のサイトで見ることができる)。主に静物画、風景画が展示されていた。
保田氏の絵をネットで見ていて、そして今日、実際に見ていて、誰かの絵の雰囲気に似ていると思っていた。でも、喉まで浮かんでいる名前が出て来ない。
すると、まるで小生のもどかしい思いを察したかのように、彼女は、「アンドリュー・ワイエスの絵に似ているという人が、結構、います」と話された。小生は、そうだ、アンドリュー・ワイエスだ! と、胸のつかえが取れたような気がした:
「アンドリュー・ワイエス」
← 「晩秋のひざし」(色鉛筆 (2001年) F8号) 談話の中でこの作品が好きだと話したら、先生はわざわざこの絵の使われたポストカードをプレゼントしてくれた。買えるなら実物を買いたかったのだが。
もう、十年の昔、嬉しくも、小生はアンドリュー・ワイエス展で実物を見ることが出来ている。溜め息の出るような、乾いた大陸的な叙情性とでも評すべき世界があった。
確かに、何処か似ている。
けれど、保田氏の作品世界は、もっと暖かい。
俗っぽく言うと、日本的な暖かな叙情性の世界があるのだ。人恋しい。人嫌いというわけでもない。でも、敢えて人気のない浜辺とか、誰にも見捨てられた廃船やドラム缶や落ちた木の実とかに心を寄せてしまう。描かれている風景や情景に人影は見当たらない。なのに、人肌の温もりを感じてしまう。ウエット。でも、決してしつこくはない。画面からは、何故かある懐かしい感覚が漂ってくるように感じられる。
保田氏は、喜寿を迎えられたとか。なのに背筋がピンと伸びていて、知り合いなどが来ると、一階と二階に分かれている会場を急な階段をものともせずに上り下りされていた。
→ 「春雪の小樽」(パステル (平成11年) S8号)
二階に上ると、どうやら保田氏の親族と思しき方がお子さん連れで来ていたようで、ちょうど帰るところだった。また、見に来てねと先生がお子さんに語りかけていたりして。保田氏は、みんなと一緒に下に下りていかれた。
小生は一人、残される。
御蔭で、のんびりと作品を拝見できる。そこへ、先ほどの案内の女性がお茶をお盆に載せて、二階の小生のもとへ。お茶は一階で煎れてくれていたのだが、それをわざわざ二階まで持ってきてくれたのだ。そして、二階でも、小生の相手をしてくれる。作品制作の背景などを説明してくれたり。
しばらくして、一階に下りて、もう一度、「遥かなる海洋」や「春雪の小樽」「岩陰の廃船」などを眺めている間に、先生は来客との挨拶を終えられたので、小生が話し掛けると、初対面の小生とも、短い時間ながら、気さくに応じてくださった。絵を自分で描くわけでもない、絵のド素人の小生としては恐縮するも、嬉しかったのは言うまでもない。いろいろなテーマを追いかけてきたけど、最近は「岩陰の廃船」に象徴されるような世界を描きたいと思っていると語っておられた。
最後には、先生自ら、名刺を渡してくれた。これまた恐縮してしまった。
← 「グリーンの鉄橋のある風景」(色鉛筆 (2002年) P10号)
ところで、このレポートを書くに際して、上記したように、「保田義孝」をキーワードにネットを彷徨ってみた。すると、例えば、下記のようなサイトが見つかった:
「『SF名作シリーズ』/偕成社」
(この中に、ラインスター著『ゆれる宇宙』(福島正実訳 保田義孝表紙/挿絵)という本が載っている。)
小生は、ガキの頃は漫画とテレビにドップリだったが、次第に文章に挿絵の混じる本も読むようになった。特にSF(空想科学)小説が大好きだった。近所の貸し本屋さんでどれほど借りたか知れない。推理小説は、ほとんど読まなかったような気がする。
その後、自分で本を買うようになっても、SF小説好きという嗜好は変わらなかったものだ。その点、不思議なのは父はSF小説よりも歴史や時代物と共に、推理小説、探偵小説が好きだったことだ。安っぽい精神分析をすると、ガキの頃に父の書棚にぎっしりと並ぶ文庫本を見て、圧倒され、ついで、好奇心で引っ張り出したコナン・ドイルの本の活字の多さに、更に呆れ果て、自分にはとてもこんな活字の多い本など読めないと恐れ入ってしまったことが遠因としてあるような気がするが、さて、どんなものか。
余談はともかく、推理小説は、ネタバレすると、一気に作品への関心が薄れてしまう。ネタがばれても余韻が残り、再読したいと思わせる作品というのは、かなり少ないのではないだろうか。
その点、SF小説というのは、ある種ファンタジーの世界、想像力で描かれた世界なので、ネタバレも何も関係ない。空想を逞しくさせてくれる刺激に満ちた世界が描かれている限り、退屈はしない。読むほうとしては、作家の想像力と空想の翼にただ身も心も任せていれば、それでファンタジーとイマジネーションの海に漂って居られるわけである。
保田氏は、そうしたSFや伝記の本の表紙や挿絵をも描いておられた。「70年代からプロのイラストレーターとして活躍し」ていたのである。
つまり、自分では保田氏の作品とは意識しないで、結構、保田氏の作品世界と出会っていたという可能性が大きいということだ。
→ 「錆びたドラム缶」(色鉛筆 (平成5年) F10号)
同氏の絵に、何か懐かしいもの、胸が熱くなるものを感じる、その万分の1の理由に、そんな遠い日の出会いの思い出が反映していないとは言えないような気がするのである。 会場では、図録などはないので、趣味で集めているポストカードがあったので、幾枚か貰ってきた。ちょいと嬉しい。
(03/11/23作)
参考:
「第47回企画展 『保田義孝展』」
[15/09/11 画像削除]
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