フェルナン・クノップフ
一度見たら忘れられなくなる絵というものがある。
その絵の何が惹きつけるのか、自分でも分からないし、まして人に説明もできない。
せいぜい絵の持つ雰囲気とか独特の魅力とか、何も言っていないに等しい言葉でお茶を濁すしかない。
静かに絵画に対面していればそれでいいのだけれど。
そうした画家(の作品)の一人にフェルナン・クノップフがいる。
↑ フェルナン・クノップフ『スフィンクスの愛撫』 (画像は、「フェルナン・クノップフ - Wikipedia」より。) この絵については(…というか、西洋絵画についてはいつもながら)、「画家の最愛の妹マルグリット・クノップフをモデルに描かれたことを容易に推測することができる」など、「サルヴァスタイル美術館 フェルナン・クノップフ-愛撫」の説明が参考になる。
「フェルナン・クノップフ - Wikipedia」での説明は、ちょっと淋しい(不当な)くらいに簡潔である:
フェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff, 1858年9月12日 - 1921年11月12日)は、ベルギーの画家。ベルギー象徴派の代表的な人物。
ベルギー生まれ。父は裁判所判事であった。初めは法律を学んだが、画家を志し、フランスなどで学んだ。ベルギーの新進芸術家のグループ、レ・ヴァン(20人会)に参加。肖像画で名声を博した。イギリスに行きラファエル前派のロセッティらと交遊した。またウィーン分離派展にも出展した。
↑ フェルナン・クノップフ『私は私自身に対してドアを閉ざす』(Painted in 1891 Oil on canvas; 72 x 140 cm) (画像は、「フェルナン・クノップフ」より。)
フェルナン・クノップフについては、例えば下記が詳しい:
「クノップフ展: フェルナン・クノップフについて」
← フェルナン・クノップフ『At Fosset. Under the Fir Trees』(Painted in 1894 Oil on canvas; 65.5 x 44 cm) (画像は、「フェルナン・クノップフ」より。)
以下、当該頁より断片的に転記させてもらう:
(前略)幼少時に目にしたブルージュの退廃的な雰囲気に生涯影響を受け続ける。1864年妹マルグリット誕生。のちに好んで絵のモデルとした。
成長したクノップフは両親を喜ばせるためブリュッセル自由大学で法律を学ぶが、一方でボードレール、フローベール、ルコント・ドリールといった仏文の世界に傾倒する。詩人で音楽家だった弟のジョルジュとともにベルギーの若手作家(略)のグループと頻繁に交流をもつ。
(略)1876年から1879年にかけてブリュッセル芸術アカデミーでデッサンを学び、何度かパリに長期滞在し、J.ルフェーヴルのアトリエやR.ジュリアンのアカデミーで働く一方、機会を見つけてはアングル、ドラクロワ、モロー、アルフレッド・ステヴェンなどの作品、英国の画家ミレやバーン=ジョーンズなどの作品を研究する。
(略)1889年以降、定期的に英国に招待されるようになり、数々の展覧会に出品。ラファエル前派のハント、ワッツ、ロセッティ、フォード・マドックス・ブラウン、バーン=ジョーンズらと交流。(略)1898年、第1回ウィーン分離派展に21点以上の作品を出展、世界的名声を得、分離派のグスタフ・クリムトに強烈な印象を与える。
1899年以降は自邸の設計に情熱を傾けるようになる。家を「自我の殿堂」と見なし、自ら図面を描き、内部をデザインし、配色した。クノップフの記念館ともいえるこの独特な建物は残念ながら、画家の死後に取り壊された。(略)
今日、ベルギー象徴主義を代表するもっとも重要な芸術家の一人であるフェルナン・クノップフの作品は世界の主な美術館に収蔵されている。

↑ フェルナン・クノップフ『聖アントニウスの誘惑』(Painted in 1883 Oil on canvas; 83 x 83 cm) (画像は、「フェルナン・クノップフ」より。)
略した部分にも、ブリュッセルのサン・ジル区役所の天井画やブリュッセルにある近代建築の傑作ストックレー邸の音楽室の壁画装飾といった大作の依頼を受けるなど、興味深い記述があり、一読はしてみたほうがいいかも。
彼の作品の数々は、「ヴァーチャル絵画館」の中の「フェルナン・クノップフ」なる頁で見ることができる。
小生としては、自身「自我の殿堂」と看做したという自邸の建物の外見だけでも見てみたい。ネットでは小生には見つけることが出来なかった。
「賢者の石ころ 徒然にベルギー象徴派の綺羅『フェルナン・クノップフ』」にて、「クノップフが幼年時代を過ごし、再び訪ねようとはしなかった古都ブリュージュの町を描いてい」る素晴らしい作品が見られるが、やはり、見ることが難しいとなると、彼の「自我の殿堂」像を見てみたいものである。
↑ フェルナン・クノップフ『聖マルグリットの肖像』 (1887年) (画像は、「クララの森・少女愛惜 フェルナン・クノップフ:FERNAND KHNOPFF」より。)
それにしても、「クノップフの理想の女性像であったのだろうとされる妹マルグリットの存在、女形の様な男性像などのアンドロギュノスたち」など、クノップフの世界は画家自身にしても不可触の世界に踏み込んでいってしまっているように感じられる。
だからこその妖しい、耽美で官能的な世界だったということか。
やはり、何処かしらに禁忌の匂いがないと、通り一遍以上の美には到れないということかもしれない。
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コメント
クノップフの描く女性像は、ギョロっとした強い視線でこちらを見つめてくるので、まるで魅入られてしまいそで何故か少し目をそらしてしまいます。
口もとても印象的ですね。
クノップフ曰く、「目は手で覆ってしまえば見えなくなるが、口は覆っても言葉は残る。」だそうです。
投稿: Usher | 2008/06/17 22:59
Usher さん
コメント、ありがとう。
クノップフの描く女性の目や表情。
「ギョロっとした強い視線でこちらを見つめて」いるようで、その実、それは彼女(の目)を見つめるこちらの思いの強さの反映なのでしょうね。
少なくとも、クノップフの妹への募る思いを禁忌の領域に押し込もうとして隠し切れない思いが如実に溢れ出ているような。
裸の女性と思わず眼が合ってしまって戸惑う感覚をさらにさらにシビアーにしたような、というとピントがずれるかな。
要はクノップフの思いが横溢しているってことでしょうか。
目は口ほどにものを言うってことですね。
投稿: やいっち | 2008/06/18 03:21