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2008/06/30

ロダンのエロス

 ネットサーフィンしていたら、「彫刻家ロダンの「エロティック」な絵画作品、知られざる横顔が浮き彫りに - フランス 写真2枚 国際ニュース AFPBB News」なる記事に遭遇。
 この記事の中のロダンの絵画作品に瞠目してしまった。

Kiss

← ロダン『Kiss』(画像は、「AllPosters.com - The World's Largest Poster and Print Store!」より。)

 フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin, 1840年11月12日 - 1917年11月17日)のことは今更、小生などが説明することもないだろう。
 「オーギュスト・ロダン - Wikipedia」などを参照すれば小生のような絵画(美術)に疎い人間には十分である。
 まあ、「フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』など」をおぼろげながらにでも知っていたら、常識だけは持っている人と言えるかもしれない。
 実際、小生もそうである。

 東京に居住していた頃は、上野の西洋美術館などへ何度となく足を運び、そのたびに彫刻作品の『地獄の門』を横目で見て美術館へ出入りしたものだ。
 まじまじと『地獄の門』を眺めたのは初めて訪れた時だけだったような。

Dancingfigurethekissthewoman

→ ロダン『Dancing Figure, the Kiss, the Woman』(画像は、「AllPosters.com - The World's Largest Poster and Print Store!」より。)

 彫刻家ロダンは、多少は仄聞している。実際、「オーギュスト・ロダン - Wikipedia」には終始、彫刻家としての人間ロダンに照明が当てられている。
 当然といえば当然なのだろうが。

 が、迂闊ながら、上記したように「彫刻家ロダンの「エロティック」な絵画作品、知られざる横顔が浮き彫りに」なる記事の中に掲げてある裸婦の絵にびっくり。
 絵柄が大胆だからということでなく、タッチに。それともデッサン力にか。

Cambodiandancer

← ロダン『Cambodian Dancer』 (画像は、「AllPosters.com - The World's Largest Poster and Print Store!」より。)

 この記事によると、「ロダンといえば、「接吻(Le Baiser)」を始めとする情熱的な彫刻作品を多数、制作したことで有名だが、実は数千枚もの絵画作品も残してい」て、「その多くは裸婦をモチーフにしたもの」なのだとか。
 記事は二年前のものだが、小生は見逃している(この裸婦の絵を見たら必ずメモするはずなので、見たのを忘れたのではなく、見逃してしまったと思うしかない)。

 記事の中で下記の記述が特筆される:

「ロダンの絵画作品は現在、世界各地に約9000点が存在するといわれる。当館ではそのうち7000点を収蔵しているが、うち6000点はロダンが60代になってから制作したいわば晩年の作品で、ほとんどが裸婦を描いたものだ。まさにエロスをテーマとした作品群が大量に収蔵されていたわけで、今回の展覧会のためにわざわざ同じテーマのものを集める必要はなかった」

Femmenueallongeesurleventre

→ ロダン『Femme Nue Allongee sur le Ventre』(画像は、「AllPosters.com - The World's Largest Poster and Print Store!」より。)

 うむ。なんだかロダンを見直さないと。

 さらに、下記の記述はメモメモ:

「どこまでをヌードと呼ぶのか? どこからがエロスなのか?」--見る者がそんな疑問を抱かずにはいられないロダンの絵画作品。そのモチーフは、女性が服を脱ぐ瞬間、髪をとかすところ、女性同士で抱き合うところ、生殖器をあらわにした女性と、実に多岐にわたる。

 今回展示される絵画作品群を見ると、ロダンが死の時まで作品のテーマを徐々に発展させていったことが如実にわかる。そのテーマとは、「女性」。多くの場合、彼の絵画作品は背景がなく、女性が1人で、どこかアクロバティックなポーズを取っている。ロダンはそうしたポーズのために、プロのダンサーを雇っていたとされる。


Madeleineafter1900

← ロダン『Madeleine, After 1900』 (画像は、「AllPosters.com - The World's Largest Poster and Print Store!」より。)

「1890年代、すでにヨーロッパ全土で彫刻家として名をはせていたロダンは、絵画作品では独自の方向性を見いだすことになる。つまり、実際のモデルを使って、もっぱら裸婦ばかりを描くようになったのだ」という。

オーギュスト・ロダン - Wikipedia」によると、「パリの下町で警視庁の書記の息子として生まれる。14歳で工芸実技学校に入学。ロダンは極度の近視で黒板の字も見えないほどだったと言い、そのせいで学校での成績は芳しくなかった」とか。
 また、「芸術家の登竜門であった国立美術学校エコール・デ・ボザールの入学試験に臨むが、三度受けて三度落ち、遂に断念した」というロダン。
                         (この項、続く)

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コメント

ロダンはアンニュイです

投稿: (^-^; | 2008/08/22 20:24

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