小出楢重:日本の日常の中の裸婦像
[本稿は事情があって、「壺中山紫庵」からこの「壺中水明庵」へ移動させたもの。 (08/06/29 記)]
[「ジャン=レオン・ジェローム (1:ヌードを描くアトリエを嫉視する?)」へ飛ぶべし!]
「アートエンターテインメント 迷宮美術館」なる番組を見た。
この番組は、「「迷宮美術館」にようこそ。ここは謎やドラマに満ちた美の迷宮。一つの謎がまた新たな謎をよび、ミステリアスな世界が拡がってゆきます。古今東西の名画に秘められた謎、傑作が辿る数奇な運命。巨匠達の人生に隠された感動のドラマ。「迷宮美術館」は「美術はちょっと・・・」と敬遠しているあなたに、その不思議で豊かな世界を楽しんでいただくエンターテインメント番組です。さあ、あなたも美を巡る究極のクイズに参加してください。」というもので、たまに見る。
← 黒田清輝『智・感・情』の「情」 (画像は、「黒田記念館」より)
たまに見るというのは、小生のテレビはモバイルで画面が小さく、且つ、やや粗い。特にこうした美術番組を見るには非常に辛い。どの程度に粗いかというと、画面の下にテロップ(文字情報?)が表示されているが、間近で見ないと読めない(間近でも読めない場合が間々ある)。
なので、ヴァラエティやニュース番組ならともかく、美術番組や綺麗な風景を見せてくれる番組は見ているうちにイライラしてきて、うんざりしてしまう。
まして、今日の番組のテーマは「ヌード」だ!
しかも、天下のNHKさんが、「ハダカの衝撃 」だなんて、けれんみのないハッキリしたテーマを打ち出しているではないか。
ヌード(といっても、何故か主に若い女性のヌード)に惹かれがちな小生、見ないわけにはいかない。放映の時間帯は夜の八時で、この時間帯は在宅していても、小生の場合、大抵は読書にあてている。
でもね、ヌードだもの。ハダカだもの。
→ 黒田清輝『智・感・情』の「感」 (画像は、「黒田記念館」より)
放送内容をNHKさんの説明で:
裸婦のデッサンは、いまや世界中どこへ行っても油絵制作の基本だ。しかし、西洋画において、女性の裸を描くことは長い間タブーとされてきた。“ハダカ”がアートとして日の目を見るまでには、ルネサンス以降500年にわたる画家たちの苦闘の歴史があった。クラナッハ、マネ、モディリアニのハダカへの挑戦を、その作品を見ながら分析。日本独自の裸婦像を探求した小出楢重の生涯にも迫る。
番組の案内人は、段田安則さんと住吉美紀さん。出演者は、「室井佑月 木村祐一 藤村俊二 中村有志」の各氏。
さて、45分ほどの番組だが、それでも内容を全部、紹介していると長くなりすぎる。
なので、ここでは画家の小出楢重に焦点を合わせる。
ヌード雑誌が氾濫している今の日本。アメリカは表向きは買いづらくなっているらしいが、日本は子供でも自由に買える状態になっている。
夏となると、老若男女を問わず、薄着になる。町中でも若い女性がビーチに似合いそうなファッションで闊歩している。
今年は昨年ほどにはベアな背中を見せるファッションは少ないようだ。浴衣が流行っているせいもあるのか。
それでも、ハダカというのは、氾濫しているといっても、あくまで写真であり絵画であり雑誌や映画である。
所定の時空間で開陳される。ハダカを夫婦や家族など内密な関係以外の相手に見せるというのは、現代にあってもショッキングな事件に違いない。
限り無く薄着になったとしても、肝心な部分は見せない。見えるようでいて、きちんと隠す。そこには越えるべき一線がある。
ハダカの値打ち(商業的という意味ではなく、人と人、男と女の間においてのハダカを晒すことの厳然たる壁)は、大人は知り尽くしている。だからこそ、アダムとイブの昔から隠してきたのだろう。単に恥部や局所の防御という意味に留まらなかったはずだ。
← 黒田清輝『智・感・情』の「智」 (画像は、「黒田記念館」より)
さて、西洋においてもヌードを描くことは、久しくタブーだったという。神話に題材を借りる形で描かれることはあっても、宗教性を強調しての聖性を示すことはあっても、そこにいる普通の男や女の肉体を描くことはタブーだった。
そんな欧米におけるヌードの歴史をなぞるのも、今はやめておく:
「ヌード」などを参照。
ただ、同上の頁から、以下の記述だけ転記しておく:
近代絵画もヌードを描いたが、そこではかつての神話や寓意とのつながりは完全になくなり、わずかにアングルやジェロームが女性の裸体にオリエンタリズムの香りを導入しえた。一九世紀中葉になると、クールベやマネの手で剥き出しの裸体が描かれることで、ヌードを覆っていたオーラはほとんど剥ぎ取られてしまう。
(拙稿「クールベや始原の旅のあたたかき」参照。ヌード論については、他に例えば、「読書日記 [ヌードの反美学-美術・猥褻・セクシュアリティ] (リンダ・ニード著、藤井麻利/藤井雅実訳、青弓社、1997)」なる頁の記述も面白かった。)
そんな時代に明治維新後の日本の先人は絵画を学んできたわけだ。日本においてヌードの先覚者というと、なんといっても黒田清輝(1866-1924)の名を逸するわけにはいかない。彼は、モチーフに裸体を選び多く描いた。上掲の番組でも、黒田の描いたヌード画(「朝妝(ちょうしょう)」)の話題が紹介されていた(「朝妝」は焼けて実物は残っていない)。
ここでは下記のサイトを示すに留める:
「KURODA MEMORIAL HALL/黒田清輝の生涯と芸術/智・感・情 裸体画論争」
黒田の時代においては、「公開にあたっては、官憲の指示により、裸体をモチーフにした作品だけが特別室に展示されたり、裸婦の下半身を布でおおって展示されるという、おかしな事態もおこったの」だった。
明治の世にヌードを描く。風当たりは想像を絶するものがあったに違いない。なのに、黒田は「モチーフに裸体を選び多く描」き、ヌードモデルも日本において使ったとか。使うのには、見つけることも含め、困難があったろう。
→ 小出楢重『裸女と白布』 (下記参照。画像は、「文化遺産オンライン」より)
さて、そのあとに続くのが、小出楢重(こいで ならしげ、1887年10月13日 - 1931年2月13日)である(別に黒田清輝の遺訓を継ごうと思ったという意味ではない。なんといっても、「黒田清輝は文展審査でも“最後の審判”を下す人物」だったのだし)。
小出楢重については、下記が参考になる:
「静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:小出 楢重】」
「artshore 芸術海岸 小出楢重と大阪」
小出楢重は早くから画才を示したが、決して天才肌の画家だったわけではなかったようだ。自分のテーマを見出すまでコツコツと地道な努力を積み重ねた。
「N家族の肖像」でようやく脚光を浴びたが、やはり、彼にとっての晩年、裸婦像を描き続けたことで新境地を得たようである。
「N家族の肖像」(「Nの家族」)については、「美の巨人たち 小出楢重「Nの家族」」が参考になる。
← 小出楢重『裸女立像』 (画像は、「文化遺産オンライン」より)
小出楢重は、日本の女性の裸婦像を描こうとした。日本的な女性美を描きたかった。黒田には未だ見受けられる、西洋の理想的な女性像ではなく、あくまで日本における女性。やがて、彼は自分の妻にモデルとなるように頼む。
そして、「artshore 芸術海岸」さんの表現を借りると、「その画風ですが、横臥した裸婦の、いかにも日本人的な太く、しっかりとした太腿。腹部の丸みや逞しい乳房、その肌は蜜のような粘り気と甘さを感じさせます。風土とともにある肉体の美しさが、飾ることなく、漲るような充実感をもって描かれてい」るというわけである。
「文化遺産オンライン 裸女と白布 小出楢重 東京国立近代美術館 油彩 キャンバス 額 1929 52.0×64.0」では、小出の「裸婦漫談」からとして、「日本人の黄色に淡い紅色や淡い緑が交つてゐるのも私は白色人のもつ単調な蛾の様な不気味さよりも、もつと異常のあたたか味と肉臭をさへ、私は感じる事が出来ると思ふ」という小出自身の言葉を紹介してくれている。
「A43004 日本洋画 小出楢重 - MENARD ART MUSEUM」を覗くと、《立てる裸婦》(1930(昭和5) 画布、油彩 84.0×53.2cm)の画像や説明を読むことが出来る。
「 生来、病弱であった彼は戸外で制作することを苦手とし、作品のほとんどが人物像と静物画で占められている。特に短期間のパリ留学の後、芦屋にアトリエを構えてから没するまでの5年間に精力的に裸婦の追求がなされた。当時、裸婦は日本の洋画において非常に不自然な画題であった。胴が長く足の短い日本人女性の体型や、日常裸体を見せない生活の中で如何に西洋の規準に捉われない独自の造形的追求を行なえるかが楢重の課題であった」が、「 《立てる裸婦》は、これまでの横臥像から一転して、真正面から裸婦と向き合った作品」なのである。
詳しい説明は、当該頁を覗いてみてほしい。
→ 小出楢重「立てる裸婦」(1930年)(画像は、「或る「享楽的日記」伝 小出楢重(7)」より)
小出楢重自身の文章を読むことが出来る。交流のあった谷崎潤一郎の「序」などが付せられている:
「大切な雰囲気」
小出楢重は心臓疾患があったりして病弱で、それだけに肉体を幼い頃より誰よりも意識したに違いない。
しかも、彼曰く、「私の通っていた小学校などは花柳界に近かった」のだった:
私の通っていた小学校などは花柳界に近かった関係上、女生徒は殆ど小さい大人ぐらい艶めかしかった。そして彼女らは家庭教育によって水あげという意味さえ了解していた。
要するに子供の世界と、子供のためにという心がけを、一切大人は持っていてくれなかったものだ。子供すなわち大人でしたがって昔の子供は早くから暗い影を持っていた。子供と妻と亭主と打ち揃って往来を散歩することはもっとも恥ずべき所業であったことは、現代から見ると大よそ嘘の如き話である。
昔の日本の大人は早く童心を失ってしまい、子供も早く童心を卒業しようとした。早く内密の世界へ、大人らしく暗く世帯じみた世界へばかり志願していたように見える。
こうした鬱屈したもの、肉体への過敏な自覚が裸婦像へと何らかの形で繋がっていったように、小生には思えてならない。
[「ジャン=レオン・ジェローム (2:ヌードを描く光景の淫靡さ)」も見る?]
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コメント
ヌードですか、西洋美術館で五月まで「ウルビーノのヴィーナス」展をやっていましたが西洋におけるヌードを概観できました。
日本の場合は記事にもあるように黒田の影響が大きいですよね。
今日松下電工で「アール・ブリュット、交差する魂」を観てきたのですが、当然性への関心から人間の性器を丹念に描く人もいます。
障害者施設や精神病院といった「福祉」の現場を離れてアウトサイダーアートがどこまで自立できるのでしょうか。
投稿: oki | 2008/06/29 22:04
oki さん
「アール・ブリュット、交差する魂」、観て来られたんですね。
ひたすら羨ましい。
小生がある意味、一番、影響を受けた世界。
既存のものも未見のものも、未だこの世の日の目を見ていないものも含め、この世界の豊穣さを思い知らせてくれる:
http://www.mew.co.jp/corp/museum/exhibition/08/080524/index.html
アウトサイダーアートは、ある意味、運と偶然で芽吹き、サバイバルするもの。
圧倒的大多数のアートは日陰で密かに生まれ、密かに生き、密かに息絶えていくのだろうと思います。
綺麗なサイトで見られるのは、出来合いの美意識(価値観)に則ったものでしかない。
そうでないと展覧は難しい。
だからこそ、心ある人は、目を皿にして、心を無にして、ありとあらゆる場所にいいものを貪欲に探し求めるんでしょうね。
ヌード。写真にしても、絵画にしても、未だにこれという作家に出会ったことがない。
現物の存在感に負けている。
仕方ないのかな。
投稿: やいっち | 2008/06/30 01:04