白髪一雄から遠く
白髪一雄がこの四月八日に亡くなられている(訃報記事は末尾参照)。
同氏に付いて小生は格別何も語ることはない。
ただ、同氏の仕事を知った頃のことが懐かしいので、メモだけしておきたいのである。
← 白髪一雄『浄火』 (油彩・キャンバス、4号) (画像は、「アート・遊」より)
小生が白髪一雄の名や彼の仕事の一端をでも初めて知ったのは、80年代の後半から90年代の前半、主に欧米の抽象絵画やアール・ブリュット、アンフォルメル絵画の世界に夢中だった頃だったろうか。
ポロックなどの抽象表現主義やヴォルスなどの作品を見ることができるならと、関連の展覧会を見て回った。
ポロックというと、小生の好きなアーティストの一人で、89年から92年の頃に、彼のアート作品を見ながら(他にも、ミロ、フォートリエ、デュヴュッフェ、クレー、ムンクなどを見ながら)、夜毎、創作活動に励んだものだった。
けれど90年代の後半には、小生の心は殺伐さの度を増していく:
どんな表現の営為も、その表現の衝動の基盤には、自らでさえ探りえない暗くて深い、分析も、まして全体的俯瞰など論外であるような、広大なる沃野とも荒野とも判断の付きかねる世界があることを誰しも、気づかざるを得なかった。
遠い昔、私とは一個の他人だと、誰かが喝破したのだった。
が、20世紀になって、一個の他人であろうと何だろうと、あらゆる輪郭付けの試みの一切を呆気なく放棄せざるをえないほどに、<私>は見えなくなっている。誰かが言ったように、私とは、せいぜいのところ雲なのだ。下手すると霧のようにやがては日の下では雲散霧消を余儀なくされている散漫なる点の粒子のたまさかの凝集に過ぎないのかもしれない。
私の中の得体の知れない盲目的な<意志>が、懸命に散逸しバラけていく霧の薄明を、せめて雲ほどには、そう、遠目には、一個の塊であるかのように、必死な思いで私の片鱗や欠片たちを掻き集めているのだ。
そう、私とは、懸命に私を私と叫びたい、悲鳴に他ならないのだ。
語っているのは依然として私に変りはないのだけれど、語っている私の姿が見えないのだ。
他人に見える私。私に見える私。他人に見えない私。私に見えない私。
ん? 他人に見える私って、私が他人のように見えるっていう意味かって? ああ、それは誤解。他人様が見ることで成り立っている私という意味だ。以下同様で、私が見ることで何とか取り繕われている私だし、他人には見えないけれど、私にはきっと見えるだろう私であり、そして最後は、他人にも、そして私にも見えない私だ。
玉葱の輻湊した身を一枚一枚剥いでいって、最後に何かが残るというのではなく、私とは、その剥ぐ営為の過程にしか存在の感触を見出せない、その悲喜劇なのだ、尤も、今のところはだけれど。
が、雲は、変幻を繰り返す。雲の正体を見ようと近づいてはいけないのだ。離れて、青空を背景に遠望しないといけない。それほどに私とは、デリケートな、掴み所のないものなのだ。今は、<私>を呼ぶのに、私という言葉があるから未だ、いいけれど、そのうちにそんな言葉さえ、愚かしいとか、ナイーブすぎるとか言って、冷淡に斬って捨てられてしまうかもしれない。斬って捨てられるのは私という言葉?それとも雲へと凝集させる意志?
既に20世紀の古典である抽象表現主義の芸術が、今の小生には懐かしい。広いキャンバスにペンキなどを無闇に飛び散らして、あるいは裸の身体を転げまわらせて、その一見すると偶然性の彼方に、何か一個の個性が垣間見えることを期待する。そう、身体と精神とは、とてつもなく深い闇の宇宙という海に散在しつつ遊泳するプラナリアか原生動物か、せいぜい海月かイソギンチャク。大海に漂うプランクトンというデジタルな命の表象を追っている。
それでも、命の生きることへの渇望の強さは、ひしひしと感じていたのだ。それ以外に、何がある?!
その営みの激しさを後押しするのは、やはりその表現者を圧倒する現代というとてつもなく肥大化した物質群だ。心が物質に圧倒されている。心も精神も、量子的飛躍を起こして物質へと相転位したのである。
ただ、抽象表現主義の華やかなりし頃は、物質の駆け巡る際の凄まじい風圧に身体も心も圧倒されて、せめてキャンパスに、そう原爆の炸裂の際に人体の蒸発する寸前、白壁に人の影らしきものくらいは映る、ちょうどそのように、飛沫の散逸の彼方に人間味の欠片の名残くらいは、あるものと祈ったのか願ったのか。
けれど、そんなポロックの営為も、アール・ブリュ=生の芸術の営為も遠いセピアの光景に成り果ててしまった。
今、心も身体さえも、霧よりも粒の小さい、不可視の粒子へと拡散してしまった。視野を不透明にする雲さえ、懐かしい。私とは「わ」「た」「し」であり、つまりは、風に吹かれて舞う浮遊塵なのだ。あらゆる人の名残を掻き集めて、やっと黄砂ほどには大気を濁らせることができる。
散弾銃で吹き飛ばされた身体なら、せめて肉片や血飛沫くらいは手で掻き寄せることができる。でも、仮想の粒子となった身心というのは、位相空間の中のほんの戯れの果てに、遥かな宇宙の空間に飛散する。<私>にはもう、デジタル空間の点粒子として生きるしか残された道はないのだろうか。
だとして、どうやって<私>へと凝集させたらいいのだろう。
→ 白髪一雄 『灼泥』(1990年、油彩・キャンバス、162x130cm) (画像は、「アート・遊」より)
今の自分は上掲の小文を書いた02年とは比較にならないほど渇いてしまっている。飢える思いでサンバなどの追っ駆けもやってみたけれど、甲斐のないモノに終わってしまった。
ちょっと余談が長くなった。
白髪一雄のこと。
彼の仕事(作品)を実際に見て知ったのは、90年前後の美術展巡りに週末の休みを費やしていた頃だった。
山口長男、吉原治良、福沢一郎、宇佐美圭司、菅井汲、斎藤義重、三木富雄、難波田龍起、古賀春江、前田常作、向井潤吉、荒川修作、高松次郎、香月泰男、工藤甲人、佐藤忠良、篠原有司男、恩地孝四郎、……。
作風も何も違う世界を洪水の如く受けとめ、圧倒されていた。
その中でだったろうか、「二笑亭綺譚」の存在を知った。
式場隆三郎他「定本 二笑亭綺譚」(ちくま文庫)なる本に出会ったのである。
とかく欧米の作家に目が向きがちだったのが、日本の作家にも関心を向けさせてくれた契機となった書との出会いだった。
この辺りのことは、「アウトサイダー・アートのその先に(付:続編)」などに書いている:
この『二笑亭綺譚』を読んでいた93年の頃は、小生も会社で窓際族の典型の状態にあり、実際、翌年の春には首を切られるに至るのだが、精神的にかなり追い詰められていた。
アウトサイダー・アートに親近感を持ち、二笑亭にもしも住み込んだら、一体、自分はどうなるのだろうと思いを巡らしたりしていた。下手すると居着いてしまって、離れられなくなるのではと思ったりした。
一体、二笑亭は芸術作品なのだろうか。アウトサイダー・アートは? 路上の壁面にスプレーなどで悪戯書きされる変てこなオブジェは?
いずれにしても、一旦は、デ・クーニングやハンス・アルトゥングや、フォートリエ、デュヴュッフェ、A・タピエスらを知り、さらには、芸術の枠組みになど収まりきらないアウトサイダーたちの世界の深淵を覗き込んだ以上は、美術館(展覧会)で見るアート作品には、とても、満足などできない。
一時期は、彼の作品を糸口に変てこな作品を綴る日々を送らせてくれたポロックの作品でさえ、他愛無く感じられたりする。
この世界の中にあって、ひとりの人間がとことん何かの世界、自分の世界を追求し始めたなら、きっと<この世>へは戻れないのだろう。後戻りの利かない泥沼のような世界が、口をぱっくり開けて、そこにも、ここにも、ある。
しかし、理解不能な絵や記号を蜿蜒と描く行為にしろ、常人には窺い知れない動機によるだろう、飽くことのない何かの仕草にしろ、当人たちには、決して止められない営為なのだろう。その営為があるからこそ、他人には狂気の淵に陥ってしまったと思われつつも、しかし、その崖っ淵の何処かで片手で、あるいは指一本で、<この世>に繋がっていると感じているのに、違いない。
あるいは、単に、<そう>すること自体が快感なのか。快楽の営為なのか。絵画…、といっても、現実の画布に向ってなのか、それとも妄想の世界にしかない画面や壁面に我が身を削るようにして描いているのかは、別にして、それは生きることそのものを示す営為なのだ。
世界が抽象化していく。人間が記号化される。切れば血の出る我が身よりも、DNAのデータのほうこそが、リアリティを持つ世界。自分のなかの欲望が、あるいは本能が見えない世界。自分が欲する、だから、そうするのだと思いつつも、その欲動が実は、巨大なマーケットの手によって煽られた、怒涛の波に呑まれたなかでの足掻きに過ぎないのではないか。
自分が心底欲するものは何かが分かる人は幸いなのかもしれない。自分が欲することを行っている、行いえるし、そのことに満足もしている、そう感じている人は幸せなのかもしれない。
抽象化された世界。記号化された世界。生身の身体や揺れてやまない心よりも、バーチャルに映し出され演出された描像のほうが圧倒的な存在感を誇る。私とは、符号化された情報がディスクから読み取られただけの、仮初の夢。たまさかの幻。
日本では、精神の病を極端に恐れるし、根強い偏見を持つ人が多い。部落差別に精神の病への差別。では、どうあることがまともなのだろう。誰だって狂気への通路や落とし穴を抱えているのではないのか。
そうはいっても、ミラーボールのような超高層ビル群の谷間では、どんな声も掻き消されていくのだろうが。
繰り返すが、小生の心はこの一文を綴ったころとは比較にならないほど、殺伐としたものになっている。上掲の一文が初々しくて我ながら眩しく感じられるほどである。
ポロックや白髪一雄らのパフォーマンスアートからサンバなどのストリートパフォーマンスへ。
人にはへんてこりんだろう流れの先は一体どうなるものやら、自分にも分からない。
← 白髪一雄『残映』(1997年、水彩・紙、37.5x55.5cm) (画像は、「アート・遊」より)
[参考]:
「足で絵を描く前衛画家・白髪一雄氏が死去」(「スポニチ Sponichi Annex」より):
足で絵を描く大胆なパフォーマンスで知られた前衛画家の白髪一雄(しらが・かずお)氏が8日午前7時35分、敗血症のため死去した。83歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は10日、兵庫県尼崎市内で営まれた。喪主は長男久雄(ひさお)氏。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。日本画から洋画に転じ、1950年代に吉原治良らが結成した前衛芸術グループ「具体美術協会」に参加。綱につかまり、キャンバスの上を滑りながら足でスピード感ある絵を描くアクションペインティングの手法が注目された。代表作に「丹赤」など。
[ 2008年04月11日 ]
「画家 白髪一雄 画伯のページ」
「アート・遊 白髪一雄」
「ART遊覧 白髪一雄展」
(08/05/26作)
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コメント
ひもをつりさげて足で描くのですからすごいですよね!
あちこちの美術館に所蔵されていますが回顧展とかやらないのでしょうかね?
アウトサイダーアートというと、松下電工汐留で「アール・ブリュットー交差する魂」やってますね、弥一さんのアート体験の始まりでしたね、アウトサイダーアートは。
投稿: oki | 2008/06/05 10:44
okiさん
白髪一雄のアートは、気迫のアートですね。
数年前、つまり生前、既に回顧展はされているけど、歿後の予定は知りません。
きっと、あるでしょう。
個人なのか「具体」展なのか分からないけど。
松下電工汐留で「アール・ブリュット―交差する魂」やってるというニュースを、昨日、夕方のテレビで知りました。
小生には、あまりに遠い!
「アール・ブリュット/交差する魂」
http://www.mew.co.jp/corp/museum/exhibition/08/080524/index.html
サンバかベリーショーと併せ、上京しちゃおうかな。
「アール・ブリュット」は、アート体験の始まりではなく、抽象表現主義も含め、エポックになったものだったのです:
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/post-outsider-art.htm
投稿: やいっち | 2008/06/05 13:49
美術館ではなくホテルや商業スペースにある、見られる具体作品(白髪一雄etc )ご存知ですか?あゆ art-u@osaka.email.ne.jp
投稿: | 2010/07/31 11:48
弥一さん落ち着かれましたか。
僕は夏ばてだか秋ばてだかでなんかつらい。
白髪さんの回顧展、横須賀でやりました。去年。
図録だけ購入。
具体、具体美術協会ですね。
さて遺産相続、うちは母一人子一人でしたから、土地は母のもの、お金類は僕のものと分割しましたが、ご兄弟がおられる場合は土地をどうするかだけでもめますよね。
母の兄弟は、母の父つまりは僕のおじいさんの遺産相続で裁判にまでなりました。
弥一さん、体には気をつけてー遠い空からおもっていますよ。
投稿: oki | 2010/09/15 20:29
okiさん
最近、というより冨山に帰郷して以来、ほとんどアートに接していない。
接する余裕もなかった。
これからは、追々、楽しんでいきたいと思ってます。
相続の件、父母の四十九日も過ぎたので、ボチボチ、具体的に動かないといけないって思ってます。
形見分けも含め、いよいよこれから本番です。
投稿: やいっち | 2010/09/16 20:55