クロード・モネ…「睡蓮」未満
梅雨 → 紫陽花 → 水仙 → 睡蓮 → クロード・モネ…といった連想が働いたわけではないが、今日は断固、モネである。
「クロード・モネ - Wikipedia」によると、「クロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)は印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家であった」という。
← クロード・モネ作『かささぎ(La Pie)』(1869年 89×130cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)) (画像は、「クロード・モネ-かささぎ-(画像・壁紙)」より。)
まあ、今更小生如きがモネを紹介するまでもない。
ここではただ小生の好きなモネの垂涎の作品を幾つか、ネット上で鑑賞しようというだけである。
好きな画家モネを今までメモ程度にしろ扱わなかったのは、温存というほかない。
モネというと「睡蓮」ということになるが、小生は一連の睡蓮の絵を見ていると、なんとなく痛ましい気がしてならず、単純に素直に好きとは思えない。
→ クロード・モネ作『The Cart (Snow-Covered Road at Honfieur, with Saint-Simeon Farm)』(1867) (画像は、「The Cart (Snow-Covered Road at Honfieur, with Saint-Simeon Farm) by Claude Monet at Monetalia.com」より。)
彼の晩年の労苦が睡蓮の絵にダブって見えてしまうからなのか、それとも作品からダイレクトに受ける印象なのか、未だ定かではない。
いずれにしろ、モネを特集するなら「睡蓮」を採り上げないと半端な記事…というより眼目ナシの記事ということになってしまいそう。
でも、小生が好きなモネというと「光の画家」と呼称されるように、「光」を感じさせる作品の数々なのである。
別に「睡蓮」が光を感じさせないというわけではない。
小生の好みからするとモネの他の作品を思い浮かべてしまうというだけである。
あと、付け加えるなら、鬱陶しい梅雨がまだまだ続くし、そのあとは小生には耐え難い夏が控えているわけで、少しでも涼味のあるもの、爽快感の感じられる作品を選ぶようにしたという面もなきにしもあらず。
← クロード・モネ作『The Beach at Sainte-Adresse』(1867) (画像は、「The Beach at Sainte-Adresse by Claude Monet at Monetalia.com」より。)
モネについては、以前、「かささぎ」に付したコメントの形でこんなことを書いたことがある:
クリスマスに見つけた綺麗な画。このような絵も描けるモネだったが、目の病気もあったのだろうか、後年は全く未曾有の画境を彷徨うことになる。いかにも児戯めいた和風庭園を造って、アトリエで筆を揮う。自然は彼の脳裏にあったというべき? 悲劇か偉業なのか。絵を描くとは一体、どういうことなのか。

→ クロード・モネ作『Argenteuil, Late Afternoon』(1872) (画像は、「Argenteuil, Late Afternoon by Claude Monet at Monetalia.com」より。) こうしたような選択の仕方で小生の美意識や鑑賞力の限界のようなものが垣間見えるのかも。
ここまで掲げてきた絵の数々を見ても分かるように(特に「かささぎ」という雪景色の作品で理解しやすいが)、「本作で最も特筆すべき点は、画面の大部分を占める野原に積もった雪の描写にある。白色を多用する雪の風景は陽光と影の関係性やそれらが織り成す効果を探求するのに適しており、力強い大ぶりな筆触によって描写される青を基調とした雪の複雑で繊細な色彩表現など、本作にはモネの野心的な取り組みが顕著に示されている」。
← クロード・モネ作『日傘を差す女(モネ夫人)』(1875 ナショナル・ギャラリー(ワシントン)) (画像は、A2%E3%83%8D">クロード・モネ - Wikipedia」より。) やはり、この作品を出さないとね! ひと目、見た瞬間からボクはキミに…って、少年が云っているわけじゃない。
輪郭線が使われていないのに、しかも単純な日向と日陰の対比といった作品では毛頭ないのに、明暗がはっきりしている。印象が鮮明なのである。
けれど、モネの悲劇はこうした世界に踏み止まらなかったことにある。
「モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の画家であった」のだし、「晩年は画家が白内障を患い、失明寸前の状態にあった事もあり、画面は限りなく抽象に近付いている」…。
→ 17歳のアルチュール・ランボー (画像は、「アルチュール・ランボー - Wikipedia」より。)
抽象表現って、アルチュール・ランボーの『イリュミナシオン』じゃないけれど、言語表現の驚くべき錯乱ならぬ感覚を含めた意識の意図的な錯乱と霍乱なのではと思ったりする。
現実への…現実からの意識への生の容赦ない接触・浸蝕。
けれど、現代にあっては抽象表現主義の営みすらもロマンチックに見えてくる。
だって、ムンクの『叫び』が風船のデザインにされるように、日常自体が戯画化されたイリュミナシオンのようなものだから。
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コメント
あっ、モネ夫人は見てきましたよ!
でも、彼の場合、風景画のほうが好きです。
構図がとてもいいですよね。
白内障をわずらったくだりには、神も残酷な試練を与えるものだと思いました。
音を失ったベートーベンに通じるものがあります。
現代医療だったら治せたのに、と残念です。
投稿: 砂希 | 2011/07/01 21:06
砂希さん
小生も、睡蓮の絵より、風景画のほうが好きです。
心に余裕がある(かのような)気がするんですね。
実際、素晴らしい構図、みずみずしい描写です。
時に天は、芸術家に惨い仕打ちをしますね。
でも、真摯な芸術家は、敢えてその試練に立ち向かう。
悲壮です。
我々は、そうした芸術家の血の一滴を味わっているわけですね。
投稿: やいっち | 2011/07/02 21:48