異端の画家か 絵金!
「血みどろ?芳年」こと月岡芳年を扱ったとなると、絵金(えきん)が続かないと恰好がつかない ? !
→ 『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』 (画像は、「絵金 アートギャラリー」より。画像に付いての説明は、当該頁にて)
「絵金 - Wikipedia」では、得られる情報が少ない。
「絵金(えきん、文化9年10月11日(1812年11月14日) - 明治9年(1876年)3月8日)は、幕末・明治期の浮世絵師」で、「土佐高知の生まれ。姓は弘瀬、名は柳栄、美高、通称は金蔵。文政12年(1829年)、江戸に出て狩野洞白に入門す。帰国後、土佐藩の御用絵師となるが、偽絵を描いて失職する。その後、町絵師として台提灯絵、絵馬、凧絵などを描き、絵師の金蔵を略して絵金と呼ばれた。猥雑、土俗的で血みどろの芝居絵に人気がある」とあるだけ。
← 『月堂良弁杉の由来(にがつどうろうべんすぎのゆらい)』 (画像は、「絵金 アートギャラリー」より。画像に付いての説明は、当該頁にて)
「サムライ・ニッポンの異端画家 絵金」なるサイトが情報が豊富そう。
「絵金 - Wikipedia」にて、「偽絵を描いて失職する」とあるが、「サムライ・ニッポンの異端画家 絵金」では「贋作事件の汚名を被り一介の町絵師へと転落を辿る」と書いてある。
「サムライ・ニッポンの異端画家 絵金」の中の「絵金という男」という頁によると、土佐藩の「お抱え絵師として生きた光の時代ともいえる当時の絵は、残念ながら現在まで1枚も発見されていない」という。
→ 『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)・累(かさね)』 (画像は、「絵金 アートギャラリー」より。画像に付いての説明は、当該頁にて)
「Web高知-土佐の技-絵金」によると、贋作事件の顛末は下記のようである:
高知城下での彼の才能への嫉妬反感が強かったのか、程なく「偽絵事件」が持ち上がります。ことは、彼の元に出入りする画商が、彼が敬愛する先師(狩野探幽)の作を手本として描いた絵を無断で持ち出し 偽の署名落款を付け、高知城下の豪商に売りつけた事に始まります。
かねてからの反感や中傷から偽絵かきという汚名での極刑を言い渡され、 お抱え絵師の座をとかれ城下追放に処せられました。
狩野派崩れ(上がり)の絵師のようだ。
大胆な構図、豪奢な色使い。実物を早く見たい。
江戸時代初期にも狩野派崩れの久隅守景(くすみもりかげ)という画家がいて、この人物についてはすでに若干のことを書いた:
「久隅守景から遥か」
(08/04/28作)
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