« アフリカの詩に育まれて:ヴィフレド・ラム | トップページ | 『鳥獣人物戯画絵巻』を覗き見る »

2008/05/28

小山正太郎……書は美術ならず!

 過日、川上冬崖について調べていたら、「宮本三平、近藤正純、服部杏圃、山岡正章、狩野友信、高橋由一、松岡寿、松井昇、中丸精十郎、小山正太郎等はいづれも門下の聞えた人達」だという(「春日元孚 「近世画家略伝(六)」」より)という一文に遭遇した。

1

→ 小山正太郎「北条時頼像」(紙、彩色、明治40年、部分) (画像は、「第63話 … 小山正太郎「北条時頼像」  岡山大学文学部助教授・鐸木道剛 (2004年06月27日)」より

 いずれも名のある面々なのだろう(小生は知らない人がほとんど)。
 今日は、小山正太郎(1857-1916)のことを多少なりとも知りたい。

 小山正太郎についても、「金刀比羅宮 美の世界-四国新聞社」の中の「第63話 … 小山正太郎「北条時頼像」  岡山大学文学部助教授・鐸木道剛 (2004年06月27日)」が詳しい:

 小山は生涯、師範学校に勤め、教育者としての自覚が強かった。工部美術学校入学前に陸軍士官学校の図画科に学んだせいもあってか、教育も軍隊式で、日清戦争に際しては画家として従軍し、明治二十八(一八九五)年に平壌の戦いのパノラマを制作するなど、戦争画を好むと記されることも多い。しかし明治十八、九年ごろに水彩画で描いた「本能寺討入」は、近代的な目でみた歴史画で、今の我々にも新鮮にみえる。

 小山正太郎というと、「1882年小山正太郎vs.岡倉天心「書は美術ならず論争」」が有名である。
 これについては、岡倉天心の立場に共鳴している記述のようだが、下記が参考になる:
日本美術史ノート 近代の美術 1882年小山正太郎・岡倉天心「書は美術ならず論争」

 この論争に関連して、「第63話 … 小山正太郎「北条時頼像」  岡山大学文学部助教授・鐸木道剛 (2004年06月27日)」の中の記述をもう一箇所参照させてもらう:

 小山はその後、明治十五年に欧化主義者として「書ハ美術ナラズ」の論を立て、初等教育における鉛筆画の教育を主張し、毛筆画を主張する岡倉天心(一八六二―一九一三)と対立したが、小山自身はこの絵にみるように、筆跡も鮮やかな墨絵と書を数多く残し、漢詩も作っている。しかし、そこに矛盾はない。小山は美術はあくまで外部再現であり、科学の一部であると考える西洋ルネサンス以来の伝統的な芸術観に立脚しており、個性の表現である東洋の書を西洋の伝統的な美術と同類とは考えなかった。そして伝統的な西洋の絵画観こそ我々にとって異質なものであり、学ぶべきであるとした。書が西洋的な「美術」のカテゴリーに入るか入らないかは、あくまで西洋側の問題であり、入らなくても書の価値は毫(ごう)も揺るがない。

20023a

← 「新潟県立近代美術館」にて開催された『小山正太郎と「書ハ美術ナラス」の時代』展ポスター。副題は、「明治新国家に燃える熱き理想---洋画VS日本画、そして「書」」。

「書は美術ならず論争」に類した議論・軋轢は多分今でも燻っているのかもしれないが、やはり明治草創期という時代背景が大きいのだろう。
小山正太郎と「書ハ美術ナラス」の時代』展ポスターの説明にあるように、下記の事情を斟酌しないといけないのかもしれない:

 昔からあったように使われている「美術」という言葉は、明治になって作られた翻訳語です。維新後、近代国家建設のため、文明開化の国策の下に移入された「美術」は、当初、その定義が曖昧なものでした。そうした中、明治十五年(1882)、長岡出身の小山正太郎と岡倉覚三(天心)との間に「書が美術であるか、ないか」という論争が起こります。それはまさに明治維新によって西洋文化にさらされた東洋独自の文化が、初めてその概念規定を問われた出来事でした。当然書だけではなく、絵画においても明治新時代の絵画の有り様が問われた時代だったのです。

 現代にあっても、あるいは今日尚更に「美術」という言葉の含意するものは曖昧であるか、いずれにしても揺らいでやまないように感じられる。
 自由でいい? 

C3f4203e

→ 小山正太郎の手になる、『新小説』(明治36年1月号)の表紙画。(画像は、「古書の森日記 by Hisako『新小説』(明治36年1月号)」より)

 ちなみに、文学好き、漱石フェチ(?)なら、滞英中、「漱石と第3の下宿にて同宿していた洋画家」としてその名を知る人もいるだろう:
漱石と交流を結んだ人々 小山正太郎

小山の弟子には中村不折、満谷国志郎、鹿子木孟朗などがいる」とか。

                       (08/05/11作)

|

« アフリカの詩に育まれて:ヴィフレド・ラム | トップページ | 『鳥獣人物戯画絵巻』を覗き見る »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

美術・日本編」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小山正太郎……書は美術ならず!:

« アフリカの詩に育まれて:ヴィフレド・ラム | トップページ | 『鳥獣人物戯画絵巻』を覗き見る »