久隅守景から遥か
今日は久隅守景の世界に触れてみたい。
久隅守景(くすみもりかげ)については、「小林忠著『江戸の画家たち』」のなかで、木下長嘯子の「夕顔のさける軒ばの下涼みをとこはててれ女(め)はふたのもの」という歌に絡めて「夕顔棚納涼図屏風」という作品に言及したことがあるだけである。
→ 久隅守景筆『納涼図屏風(のうりょうずびょうぶ)』 (画像は、「東京国立博物館 館蔵品詳細」より)
『夕顔棚納涼図屏風』については、人気番組の「美の巨人たち」で採り上げられていて、久隅守景という人物像も含めこれまた興味深い番組内容だった。
番組のポイントは、「狩野探幽1602~74年(慶長7~延宝2)の高弟であり,探幽門下の四天王の一人と称され」ていたが、彼の娘の駆け落ちや長男の度が過ぎた女遊び、波紋騒ぎ挙句の果ての刃傷沙汰などで「狩野派からの追放を余儀なくされた」こと、だからだろうか、狩野派の裃を取っ払ったような画風を示すようになった。
その象徴が最晩年の作である『夕顔棚納涼図屏風』という作品なのだといったもの。
ネットで久隅守景についての情報を拾っておく。
「久隅守景」(ホームページ:「Welcome to tabiken's Site!」)によると:
江戸時代の画家。狩野探幽1602~74年(慶長7~延宝2)の高弟であり,探幽門下の四天王の一人と称されたが,その生没年や伝記についてはよくわからない。狩野派は当時,徳川幕府の御用絵師として画壇に君臨し,狩野の嫡流である探幽は,多くの江戸の画家を従えて権勢を誇っていた。江戸狩野の画家の作風が次第に形式化し,凡俗化するなかで,その流派に属した久隅守景の作品を考えることは,非常に興味深い。現在,国宝に指定されている「納涼図」(二曲屏風,一隻,紙本淡彩,文化庁蔵)に見られる彼の作風には,題材・技法ともに従来の狩野派には想像できぬほどの清新さが満ちあふれている。質素な茅屋の軒先には夕顔棚があり,その下に親子3人と思われる男女がむしろの上でくつろいでいる。大きな月が画面左上に白く描かれ,夏の夕暮れの雰囲気が精緻な人物描写と相まって,市井の庶民生活の風俗を,じつに見事に描き切っている。
久隅守景が狩野探幽の弟子のままであり続けていたらどんな傑作を生み出したか想像の限りではないが、『納涼図屏風』のような画境の名品が誕生することはありえなかったろう、とは言えるかもしれない。
この作品、初めて見たときは、一家団欒のひと時を描いていて好もしいとは思ったが、印象に強く残ることはなかった気がする。
が、独自に追求したという技術的な側面も際立つのだが、江戸初期の、元(もと)とはいえ狩野探幽の高弟が、「日本で最初に描かれた「家族の肖像」」であるところの家族の団欒を描いている。
詳細は分からないらしいが、彼の境涯を知った上でこの作品を眺めると、味わいも一入(ひとしお)なものが感じられる。
← 一週間を要した畑の草むしりも昨日で終了。父が野菜の苗を植え始めた。
ふと思ったのだが、この絵師のこの作品を採り上げてみたくなったのは、あるいは小生が帰郷したからかもしれない…なんて思ったりする。
老いた父母との日々。親子3人のどこか寂しい団欒。
淋しさの因を探ると、小生自身が五十路の半ば近くなっている、ということもあろうか。
やっとの思いで寝室から茶の間に出てくる母。食事のためだけに、それとも息子のためだけに、手すりに繋がりながら、這うようにして、茶の間と寝室とを移動する日々。
なす術も知らない愚息の小生。
久隅守景の描く納涼と団欒の世界とは、遥かに遥かに遠ざかっているようだ…。
(08/04/10作。05/04加筆)
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