« バナナは木ではなく草である:余談篇 | トップページ | 血まみれ?芳年(2) »

2008/04/27

血まみれ?芳年(1)

 小生が密かに偏愛する浮世絵師に月岡芳年(つきおか よしとし、天保10年3月17日(1839年4月30日) - 明治25年(1892年)6月9日)がいる。
 が、ここには直ちに注釈が要る。
 小生が月岡芳年の画業の全貌どころか、その一端をさえ知っているのか危ういということ。

30560177

← 島村匠/著『芳年冥府彷徨』(文芸春秋) 「黒頭巾の男が人を斬るのを目撃し、その殺気を描きたいとの一念に取りつかれた狂気の浮世絵師・月岡芳年の若き日々。松本清張賞受賞作」。「情報紙『有鄰』No.381 P5 絵師・月岡芳年の殺気に憑かれた執念の世界を描く 島村匠と『芳年冥府彷徨』」を参照。

 小生は、高校か大学生になってからか定かには覚えていないのだが、『奥州安達ヶ原ひとつ家の図』(1885年)という作品一つに言い知れない魅力を感じ、月岡芳年というと、「狂画家」「血まみれ芳年」という印象を鮮烈・痛烈に抱かされてしまったのだった。

月岡芳年 - Wikipedia」によると、「歴史絵や美人画、役者絵などの浮世絵を主に手がける。特に無惨絵で知られる。「狂画家」「血まみれ芳年」などと呼ばれていたが、近年その評価に疑問視する声が上がってきている。 また当時、没落していく浮世絵師の中で成功したこともあり「最後の浮世絵師」と評価されることもある。河鍋暁斎とは、ともに歌川国芳に師事した兄弟弟子」とのことであり(太字は小生の手になる)、「江戸川乱歩・三島由紀夫などの偏愛のために「芳年といえば無惨絵」と思われがちだが、その画業は幅広く、歴史絵・美人画・風俗画・古典画に渡る」という。

 谷崎潤一郎や芥川龍之介、「江戸川乱歩・三島由紀夫などの偏愛」というが、彼らは月岡芳年のどの面を特に愛したのだろう?
 というより、この顔ぶれから共通項を見つけ出す試みのほうが面白いか。

Yoshitoshiadachi

→ 月岡芳年筆「奥州安達がはらひとつ家の図」(1885年)(画像は、「月岡芳年 - Wikipedia」より) この絵はモデルを前にして描いたか、それとも想像か。この疑問は、責め絵で有名なかの伊藤晴雨も抱いた。気になる人は、「月岡芳年について」なる頁を覗くべし。

 月岡芳年についての全般的なことは、「月岡芳年 - Wikipedia」などに任せる。
「上野における戦いをもとにしたといわれる錦絵「魁題百撰相」が芳年の手によって描かれ始め、出版されていくのは、戦いが終った直後からである」などとある、『芳年冥府彷徨』(文芸春秋)の著者・島村匠氏の記事も興味深い:
情報紙『有鄰』No.381 P5 絵師・月岡芳年の殺気に憑かれた執念の世界を描く 島村匠と『芳年冥府彷徨』」:

(前略)芳年は、黒頭巾の男が彰義隊の武士であることを突き止め、一触即発の上野の山へ訪ねて行き、戦闘に遭遇する。だが執念の芳年はひるまない。戦闘が終わって死屍累々の上野の山を歩き回り、凄惨な死体を一つ一つ描き続けるのだ。
 〈中略〉
 芳年はこの後、新聞記事の殺人事件や猟奇事件を錦絵にするが、その異常体験が重なったせいか、神経症を発病し、五十四歳で没する。虚構をからませながら、執念の絵師、月岡芳年の人生が的確に語られており、その後日譚にも関心が向かう作品だ。

|

« バナナは木ではなく草である:余談篇 | トップページ | 血まみれ?芳年(2) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

美術・日本編」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 血まみれ?芳年(1):

» 危険な風俗店よりも安全な成人向けサイトはいかがですか? [B級ニュース大図鑑〜世の中の痛いニュース〜]
安全な成人サイトを知りたい方はこちらを見てください。 [続きを読む]

受信: 2008/05/02 23:48

« バナナは木ではなく草である:余談篇 | トップページ | 血まみれ?芳年(2) »