血まみれ?芳年(2)
朝晩はともかく、日中は暖かな日が続いて、家の外での雑用も少しずつやっている。
納屋から出して庭に山積みにしていた粗大ゴミを業者に纏めて出すのをやめ、分解なり解体などして、日常のゴミの収集の日に少しずつ出すようにしている。
山はだいぶん小さくなった。
残りは金属製のもの、プラスチック製品などなので、特別な日に出すしかない。
→ 地元の神社。買物帰りに傍を通りかかったのでパチリ。近いうちに時間を掛けて探訪してみたい。
午後からは畑の草むしり。
雑草が生い茂って、ネギもナスもタマネギも何もかもが姿かたちが埋もれている。
父がやらないと、なんて呟いていたが、体調からしていつになるか、出来るのかどうかも分からない。
無理をしないよう、昨日はまず一時間ほどやってみた。
さて、本題に入ろう!
ここでは、あるいは「近年その評価に疑問視する声が上がってきている」のかもしれないが、徳田良仁著の『芸術を創造する力―イメージのダイナミックス』(紀伊国屋書店)から、「狂画家」「血まみれ芳年」の側面に照明を当てている一文を紹介する。
サディスティックな表現で特異なスタイルを示している画家の一人に、月岡芳年がいる。芳年は、天保十(一八三二)年の生まれで、主として、安政元年から浮世絵師として活躍し始め、明治二十五(一八九二)年に病没した。六十年間の生涯であったが、画家としての活動期間は、二十一歳からの三十九年間であった。この間に江戸時代の幕末、明治維新、文明開化とひきつづく歴史的な激動期を乗り切りながら、大衆芸術の伝統を近代社会の中で見事に受け継ぎながら発展させた人物である。この芳年の浮世絵作品群の中に、「血みどろ絵」といわれる特異な表現様式がある。瀬木慎一は、この血みどろ絵に関連して「芳年の病気が正確になんであったかわからないが、血に対する嗜好が最後まで残っていたのは印象的である。それゆえに、わたしは、ブラッディ・シーンを、この画家の、ある意味での本質的テーマとみなすのだが、それを単に、かれの個人的な症状とだけみるのでは意味がないとおもう。芳年は時代の病者であった。維新という大変動をなかにはさんで、古い時代と新しい時代の激烈な対比の中に生きて、いたましく分裂した人間が、まさしくこの画家であった」(月岡芳年の全貌展カタログ、一九七七年)とのべている。
この芳年の血みどろの版画作品には、《魁題百撰相》という代表的なものがある。このシリーズには、まさに心血をそそいだと評しても良いほどの熱中性と執着性を示し、そのイメージ構成は極限にまで達した観がある。《小幡助六郎信也》の切腹場面は、断末魔の眼貌を捉えてまさに迫真の雰囲気を伝え、さらに続けて《小寺相模》、《佐久間大学》、《今泉判官隆豊》、《堀井恒右衛門》など、殺戮の情景が生々しくイメージ化している。ここには「死と生」の哲理が芳年の心的内界に去来し、かつ沸騰し、血潮の中にさえ体感された。そしてサディスティックな倒錯の美学が芳年の身体の中に突っ走り、戦慄的な快感へと昇華したものと推測される。
サディスティックな表現のもうひとつタイプに《奥州安達ヶ原ひとつ家の図》がある。この図柄は当局によって発禁処分になったが、そもそもこの図柄のもとをなすものは、かつての師匠の国芳が浅草寺伝法院に《一ツ家絵額》の大絵馬を奉献したものと関連がないとはいえない。その図柄は中央に老婆が描かれ、その左右に観音と娘を描き、老婆が娘に刃物をいままさにあてんとする構図である。師匠のこのイメージ表現に対して芳年は、その趣向を一段と凌駕しようとして、自らのサディスティックなイメージ趣向を存分に投入し完成したものが、この《奥州安達ヶ原ひとつ家の図》である。これは《魁題百撰相》のように血みどろの表現ではないが、あえていうならば血なき血みどろ絵である。真白い肌と大きな臨月の腹部を露出した妊婦を天井から無惨にも逆さ吊りにし、腹に食い込む荒縄、深紅の湯もじ、猿轡をはめられて断末魔の悲鳴さえ封じられた女が描き出されている。その哀れな妊婦と胎児の二つながらに対し、残忍な包丁が振りおろされんとしている。その一瞬の緊張の場面は、血に飢えたおそろしいまでのサディスティックな残忍美の極致がある。
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コメント
三鷹の美術ギャラリーに幕末浮世絵観てきました!
ひそかに期待していたんですよ、血まみれ芳年の絵もあるかと。
しかし「芳年狂気の世界」は「あまりにマニアックである」ので今回は展示しなかったとか。
弥一さんはアンチンボルトの名前をご存じでしよう。
それに倣ったか「人かたまって人となる」の國芳の絵が一番面白かったです。
このあと福井に巡回しますが弥一さんは無理ですか。
投稿: oki | 2008/04/29 12:05
oki さん
「芳年狂気の世界」は「あまりにマニアックである」ってのは、驚きの理由ですね。
芳年の世界をあまりに狭く見ている。
それと狂気と正常との境は薄皮一枚もないのだということを無視した、狭隘さも感じるね。
アンチンボルトを髣髴させる國芳というと、これですね:
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=121
投稿: やいっち | 2008/04/29 15:39