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2008/04/12

「チンドン大パレード」でベリーな白昼夢!

 (本稿は、4月6日に富山市の県庁前公園や平和通りなどを会場にして催された「第54回全日本チンドンコンクール」関連最終記事:番外編です。)

 猿轡のような、それとも末期の時を恵むに違いない、首を絞めるに格好の白いシルクの布を外してやる。絶え絶えの息。喘ぎ。幾分、脹れ上がったようなその唇を静かに開いてやる。白い歯が零れる。
 洩れる吐息が冷たい空気を溶かすようだ。
 ああ、その頬。紅潮した肌のような花弁の輝き。

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 オレは慌てない。決して逃げない薔薇の園に咲き誇る花たちではないか。
 柱に縛り付けられている? そんなことはない。お前は大地に根付いているのだよ。この世の滋養分を誰より貪欲に吸い上げているじゃないか。オレはただ、そのエキスをほんの一滴、舐めさせてもらえればそれでいいのだよ。

 オレは、薔薇の花を覆っていたベールを剥いだ。すると、砂糖菓子のように甘く淡いピンクの花弁が、あるいは白くふっくらとした絹のような花弁が目に飛び込んでくるのだった。
 オレは、指先でふっと息を吹きかけるように花弁に触れてみた。そう、蝶の羽で擦るように。すると、蝶の燐粉にも似た小刻みな震えでお前は応えてくれる。こんなにかすかなタッチだけでお前はそんなに悦んでくれる。この先は、一体、どうなってしまうのか。

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 オレは、指先を花弁から花芯へと滑らせていった。そのためには幾重もの花弁を押し分けていく必要があった。鍔を押しのけ、のけぞる茎を押さえつけ、撓る茎を撫で回し、無数の花弁の園を分け入った。
 初めのやや白っぽい花弁が、興奮に上気したかのように淡いピンクになり、やがては大地の亀裂を思わせる底知れない深紅へとグラデーションを描く。
 オレの指先は蜜を追い求める蜂の口先。それとも燐粉を払う羽箒。透明な黄金色の蜜がじんわりと、そしてやがては止めどなく満ち溢れてくる。もう、飲み尽くせないほどだ。オレの口元から蜜が垂れ零れる。お前の白い肌がねっとりと濡れそぼつ。

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 オレの切っ先が花芯を何処までも抉っていく。湧き上がる熱い泉の精がオレを真っ赤に染め上げる。
 ああ、花芯の色は、お前の心臓の色だったんだね。だからこんなにも懐かしいのだ。涙より熱い真っ赤な液体が噴き上げる。ああ、薔薇の酒だ。血の味のする蜜の酒だ。オレの切っ先がさらにお前を切り刻む。すると出来上がるのは、肉厚の花弁を浮かべた醍醐の酒だ。蜜と血とオレの情熱とが捏ねられて、この世のものとは思えない濃密な苺ジャムになる。身がタップリだ。
 末期の喘ぎは至上の音楽だ。断末魔の叫びほどに神への祈りに近い音楽がありえようか。そう、この肉の奥の白鳥の歌にも似た妙なる震えにこそ、静寂を破る資格があろうというものだ。
 オレの饗宴は終わった。たっぷりと残った今はゼリーと化した薔薇の花弁どもは、薔薇の園に埋めた。
 そう、またの日の饗宴の豪奢な寝床となるために。

 けれど、埋められたのは一体、誰なのか。

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 風に舞う木の葉と比べてさえ、私は見るべき何物でもない。
 それほどに神様の目は、地上を、世界をとことん平等に見つめている。私が私である必要など、何もないのだ。土や埃や風に成り果てたって、気付かないに違いない。
 ああ、私は触れたい。何か、生きるモノに。触れて欲しい、血汐の滾る何物かに。
 人間に触れたい、触れて欲しいなどと贅沢は言わないから。
 そうじゃない。私は触れて欲しいのだ。あの人の腕に抱き締められたいのだ。息が出来ないほどに…。快感に痺れて気を失うほどに…。喉の奥の奥まであの人で満ちて息絶えたい…。
 でも、気が遠くなるほどに脳髄は動いてくれない。心が朽ち果てて、まるでそよとも風の吹かない夏の日の昼下がりのようだ。

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 寂しさの果ての眩暈のする白い一日。
 気が狂わないでいるためには、悲しさを粉微塵に砕いてしまうしかない。それが叶わないなら、せめて凍てついた心を終日、爪で引っ掻いていよう。
 私が生きている実感とは、ガリガリというその感覚のこと。
 あの人が通り過ぎていった私。
 私とは、透明すぎる闇なんだ。

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 いつしか勝手な妄想が湧いてくるのだった。彼女はこちらの存在に気が付いている。こちらを意識して、敢えて描くポーズを取っている。闇の海の底にあっては、目の不自由な人のほうが、はるかに自由に自在に泳ぎまわることができる。
 むしろ、足取りも覚束なくなるのは、なまじっか肉眼に頼るこちらのほうなのだ。彼女はひたすらに闇の世界に沈潜し、闇に対面し、胸のうちから命の結晶、それとも魂の囁きだけが放つことのできるこの世ならぬ煌きを愛でている。
 それは遠い天空からの透明な紙に、葉裏を伝う朝露の雫というプリズム越しにこそ焦点の合う文字で綴られた手紙。彼女だけが読むことの叶う闇の銀河宇宙の星の連なりの織り成す、不可思議の造形。

 星屑とは、魂の奏でる妙なる音色の結晶なのだ、という直感があった。遠いはるかな世界において行き倒れた誰かの末期の吐息が、絶対零度の宇宙においてその吐かれた息の形のままに凍て付き、時に無数の吐息の塊同士がぶつかり合って、火花を散らし流れ星となり、心の闇の片隅を一閃していくのだ。

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 彼女に出会うには、こちらも目を閉じなければならない。肉眼を諦め、魂の熾火(おきび)の囁きにひたすらに耳を傾けなければならない。何もかもを捨て去り、見栄を捨て、真っ裸になって、恥も外聞も忘れ果て喚き散らさないと会うことは叶わないのだ。
 孤閨を託つ彼女。が、何も見えなければ、誰にも見えなくなっているのは、実は自分なのだ。なのに、肉眼の世界で右往左往して日々を糊塗している。

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(何も見えないんだよ)

 そう、心から訴えかけたいと思った。彼女は、そんな裸の姿を見抜いているのだ。寒々しく貧相な姿を哀れんでいるのだ。そんな姿を見透さんがために、彼女は自ら肉の目を失ったのだ。
 蝋燭の焔がゆらゆら揺れていた。風があるのだろうか。それとも蝋燭が燃え尽きようとしている? 命が風前の灯火となっている? 彼女の? それとも、消え去りつつあるのはオレの命のほうなのか。
 そんなことはどっちでもいいのだ。オレと彼女とは一心同体なのだ。彼女が立ち去ったなら、オレの命など、何ほどのものなのだ。

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 蝋燭の焔はますます揺らぎが激しくなってきた。彼女の横顔が暗闇に時に鮮烈に時に曖昧に浮かび上がっていた。せめて一度でいいから、こちらを向いて欲しい。オレを描いてくれているというのなら、こちらを向かないでどうするというのだ。
 それともやはり描いているのはオレではないというのだろうか。
 あるいは、オレは彼女の描く絵の中に辛うじて生きている?!

 そんな!

 焔はついには燃え尽きようとしていた。蝋も芯も彼女の気持ちさえもが萎え切ってしまいそうだった。オレは、(助けてくれ!)と声を張り上げた。
 いや、張り上げたつもりに過ぎなかった。
 その瞬間、オレは目が覚めた。そこは闇の海のはるかな奥底だった。

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 寂しさをトコトン味わうことなしに愛など分かるはずもない。
 横溢する愛。
 そんな世界など信じられない。あるはずがないと思っていた。
 思っていたのに。
 それでいいのだと思い、透明な闇の海で静かに暮らせていたのに。
 
 そんな自分に貴方は愛という嵐をもたらした。
 それは世界が燃え上がるような劇薬だった。


[画像と本文とは、一切、関係ありません。画像は、「チンドン大パレード」を見物した際に撮ったものです。本文は、「愛のルビコン」などを参照願います。]

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