死の画家ティスニカル(2)
本稿は、「死の画家ティスニカル(1)」の続き。「チンドン大パレード」関連の記事が予想外に大作(?)になって、十日ほども間が空いてしまった。
← 富山の市街地にて。4月6日、チンドンパレードへの途上で発見・撮影。
チンドンコンクールと死の画家ティスニカルとの世界のあまりの違い!
でもどちらもこの世の営みに他ならないのである。
では、早速、「死の画家ティスニカル」の世界へ。
前回に引き続き、徳田良仁著の『芸術を創造する力』(紀伊國屋書店)からの転記である。
→ V prosekturi, olje in tempera na platno, 1985 (画像は、「tisnikarjevazbirka」より)
第二次大戦終了直後、スロヴェニ・グラデッツの病院へ就職し看護者としての境遇に専心する間に、やがて病理学部門の死体解剖への職務へと転属させられたのであった。そうこうするうちに、ティスニカルの心の中には、臨死の患者そして死者への出会いが生まれ、新しい感動が彼の精神を包みこんでいった。彼は、「男や女、若者や老人、さまざまな人びとが最期の時を迎えて次第に消え去っていき、眼を除いては何も残らない。彼らが忘却のかなたに沈む時、彼らの眼はますます大きくなる。自然は眼を最後まで残している。眼が閉じて灯りが見えなくなると、命もかぜにおられたろうそくのように吹き消されてしまう。彼らが私に助けを求めているのを目の当たりにすると心が動かされる……」(『死の画家ティスニカル』徳田良仁訳、恒文社)とのべている。
← Podgana, lavirana risba, 1962 (画像は、「tisnikarjevazbirka」より)
ティスニカルは、臨死の患者の世話をし話し相手になっているうちの何人かを、そして彼と心が通じあい好きになってくれた患者を、死への旅立ちに見送らねばならなかった。やがて彼は看護者ではなく、死体解剖の専従者に任命されることになる。寒い冬も、暑い夏も、真昼の勤務もまさに死と向かいあい、死者との文字通りのふれあいの人生がはじまったのである。死体解剖を日常の業務にしはじめた彼が、如何なる理由で絵を描きはじめたのだろうか? その最初の契機について、彼自身の意図は次のように考えられる。ある日、死体公示所に入るとそこにはいくつかの死体があった。解剖台の黒い布を取り上げたところ、しばらくの間会っていなかった友人の顔があった。まったくその友人の死を知らされていなかったティスニカルは、目の前に生命を失って横たわり、目を大きくあけている友人の死体をみて驚愕したのだった。激しく動揺した彼は解剖ができなかった。友人の思い出、表情、動作、言葉、そのすべてが混然として彼を包みこんだ。そこに、友人を描きのこしておきたいと思う表現衝動が、勃然として彼の胸の中に湧き起こった。彼の素人っぽい描写の努力がくりかえされ、それはやがて稚拙ながら、表現の中に何ともいえぬ深さをもった彼独自のスタイルへと結実してゆく。
→ Poroka II, lavirana risba, 1970 (画像は、「tisnikarjevazbirka」より)
彼の絵は、一方ではフォルムアルデヒドの臭いすら放っている。そしてまた、人を吸い込むような暗闇と血が冷えつつある肉体から発散するような静寂さを描き出している。そんな絵が、同じ町に住んでいた美術協会の画家であり、美術教師であったぺチェコ教授の支持を得ることになったのである。絵画表現のために必要な技術を、教授から指導を受けた。毎日、毎月、死者との出会いのなかでの生活、過酷な剖検室の環境の中で彼は死者の処理にあけくれ、一方では無我夢中で絵を描くといった生活がつづいていった。そのような病院の剖検室勤務がつづいて九年目に、彼は結婚をした。彼は三十二歳になっていた。妻は二十八歳。結婚生活は何とかつづいたが、やがて彼は父がしたことと同じように酒びたりの生活へとなだれこんでいった。夫婦仲は酒をのむ前から良くなかったが、酒のためにさらに危機的状況に見舞われることになった。不節制はとどまるところを知らず、彼が得た金はすべて酒につぎこまれていった。ついに彼はアルコール中毒に陥った。はげしい渇酒症状へ。
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