ジャン=レオン・ジェローム (2:ヌードを描く光景の淫靡さ)
「ジャン=レオン・ジェローム - Wikipedia」によると:
ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme 1824年5月11日 - 1904年1月10日)はフランスの画家で彫刻家。歴史や東方(オリエント地域)を題材にしたものを得意とした。
さらに「ジャン=レオン・ジェローム - Wikipedia」によると:
ヴソー(オート・セーヌ県)生まれ。1841年にはパリに行きポール・ドラローシュのもとで働き、ドラローシュのイタリア旅行(1844-45年)にも同伴した。『闘鶏』 1847年、オルセー美術館フランスに戻ると、彼は『闘鶏』を発表し、この作品で1847年のサロンの銅メダル獲得した。 さらに1848年には『聖母とキリスト』、『聖ヨハネとアナクレオン』、『バッカスとキューピッド』で銀メダルを獲得した。 彼は『バッカスと愛、酔い』、『ギリシアの室内装飾』、『イタリアの思い出』を1851年に発表。『パエストゥム』を1852年に、『田園』を1853年に発表。
1854年にはジェロームはオスマン帝国とドナウ川沿岸を旅行し、1857年にはエジプトを訪問した。 1855年の万国博覧会のために『羊飼い』、『ロシアの音楽会』、そして大カンバスに描いた『アウグストゥスの時代』と『キリストの誕生』などを出品した。最後のものは卓越した能力が認められて、国が買い上げた。
→ ジャン=レオン・ジェローム『SlaveAuction』 (画像は、「19世紀の画家達」より)
しかし、こういった彼の成功より、むしろ、後に成功し人気を謳歌するようになる印象派の画家たち、あるいはその支持者やファンにとっては、守旧派のドンとして脳裏に刻まれているかもしれない。
「ピュグマリオンとガラテア」 (ホームページ:「mariのページ」)によると:
ジャン・レオン・ジェロームは国立美術学校の教授であり、美術アカデミーの会員であり、そしてサロンの審査員も務めた人物です。また、マネやルノワールなどが印象派のグループ展で活動するようになる頃から、印象派に最も敵対する頑迷な保守派としての立場をとり続けた人物でもありました。
そうした時代の潮流の潮目の変化にあっては、そのような(周囲から、歴史家から、紋切り型の説明に満足する人々から、勝手に決め付けられた古典の伝統を死守しようとする、そのため新しい潮流の表れが邪魔だったに違いないんだと看做されてしまった)存在が必要だったのかもしれない。
← ジャン=レオン・ジェローム『The End of the Siting』 (画像は、「19世紀の画家達」より)
けれど、歴史の軋轢や経緯を離れて冷静に見ると、彼の絵の技術の素晴らしさには脱帽するものがある。
そう、同じく、「ピュグマリオンとガラテア」 (ホームページ:「mariのページ」)によると:
しかし、繊細で古典的アカデミックのスタイルをみごとに継承した彼の絵画の美しさ、技巧的な完成度を見るとき、私たちはただ感嘆とともにその作品を見守るばかりなのです。1900年のパリ万博において、印象派の作品を「これはフランスの恥辱」と訴えたというジェロームですが、裸体の女性の後ろ姿を誰よりも美しく描いたジェロームの言葉ならば、そこには表面からは隠された意図があったのかも知れない、と考えてみたくもなるのです。
→ ジャン=レオン・ジェローム『The Artist's Model』 (画像は、「19世紀の画家達」より)
ウィリアム・ブーグローやラファエル・コランやジャン・レオン・ジェロームらの絵を見ていると、溜め息が出る。その完成の域に達している描写力。買い手(多くは新興ブルジョアなのだろうが)のどんな我がままにも応える技術力、大衆にあるいは有象無象のアーティストに見本・手本を示さんというあくなる使命感、弛まぬ精進ぶり、どの点を見ても、これ以上、<芸術家>に何を求めるべきか分からなくなるほどだ。
(ブグローについては、拙稿「ブグローの官能の美の徒(ただ)ならず」など参照願いたい。)
← ジャン=レオン・ジェローム『The Dance of the Almeh』 (画像は、「19世紀の画家達」より)
写真の登場さえなかったらと思っていいのだろうか。
画家は一体、何を描くべきか、もっと徹底して考えつくすべきだと忠告でも与えるべきだったのか。
しかし、「19世紀の画家達」の中の「ジャン・レオン・ジェローム」なる頁に見られるように、ジェローム自身、かのナダールの写真に触発され、誰より写真の意義を知り活用した人であったのだ。
ジェロームはブグローほどには旧弊な価値観に安住することは出来なかったような気がする。絵を見る(少なくとも男どもの)心理を知り抜いているのは明らかなのだ。
(08/01/24作 08/03/20一部手直し)
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