橋口五葉:ふるきよき美人画
日々、家事と若干の仕事に追われている。
トイレ掃除も含め家の中のことから徐々に家の外のことにも手を付け始めた。今朝は除草剤散布。
父母に要領を伝授してもらいつつ、撒くところと撒かない、散布してはいけない部分とに注意を払いつつ。
父の長靴を借りて。
→ 24日の朝、裏庭にて。やはり、水瓶近くの枯れ枝に紛れるようにして。
その前、燃えるゴミ出しの日だったので、慌てて庭に出たら、庭先に小鳥が居た!
でも小生の足音か気配に気が付いて、さっさと飛び立ってしまって、写真は撮れなかった。
さて、以下は昨日に続き約二ヶ月前にメモした記事。
まだメモしておきたいこともあるが、とりあえずアップしておく。
=== === === === === ===
「2008年1月13日放送」ということで、テレビで橋口五葉(1881-1921)が採り上げられていたようだ:
「大正 美人版画を究める 橋口五葉|新日曜美術館」
見逃してしまった。この日は何をしていたのだろう…と思い返したら、翌日、帰省するので、田舎ではブログの記事は綴る暇がなかろうと、テレビも見ないでせっせと幾つかの記事を書き溜め(?)していたようだ。
我ながら健気なものだ ? !
遅きに失しているが、橋口五葉を採り上げておきたい。
← 橋口五葉 『鴨』 (画像は、「橋口五葉 鴨 - 享楽の楽園」より)
「大正 美人版画を究める 橋口五葉|新日曜美術館」によると:
モダンでエロティシズム漂う美人版画で「大正の歌麿」と称された橋口五葉(1881-1921)。夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」の装丁で華々しくデビューした五葉は、百貨店の広告ポスターなどによって日本のアールヌーボーの牽引(けんいん)者として知られるが、もっとも心血を注いだのは美人版画の制作であった。
以下は、上掲のサイトを覗いてもらいたい。
ただ、「知られていないが、五葉は美人画制作のための千枚以上ものデッサンを描き残している。いずれも濃密な女性の姿だ。そこには、究極の美人画に到達するための執念ともいえる五葉の思いがあふれている」という。
そのデッサンを見てみたいと思った。
→ 橋口五葉 「『吾輩は猫である』装幀デッサン」 (画像は、「所蔵資料・区内文化財」)
「橋口五葉(新版画)」によると:
鹿児島県生まれ、夏目漱石の知遇を得て、「ホトトギス」並びに単行本の装丁を担当した。大正に入り浮世絵研究家としても知られるようになり、浮世絵研究を重ねると共に、版元渡辺庄三郎の勧誘を受けて、自ら版下絵を描き、彫師・摺師と共に木版画制作を行うといった「新版画」運動を展開。
上掲の転記文中、「夏目漱石の知遇を得て、「ホトトギス」並びに単行本の装丁を担当した」というくだりがある。漱石ファンなら知る人も多いのだろうが、この辺りの経緯(いきさつ)は興味深いものがある。
橋口五葉のプロフィールについても詳しいのだが、以下では橋口五葉以外の話題は採り上げないので、下記を参照願いたい:
「ケペル先生のブログ 橋口五葉と夏目漱石」
← 橋口五葉『髪梳る女』 (画像は、「橋口五葉-(・_・)b」より)
新版画の関係者はこれまでも何人か扱ってきた:
「川瀬巴水…回顧的その心性の謎床し」
「高橋松亭…見逃せし美女の背中の愛おしき」
→ 橋口五葉『浴場の女』(1915(大正4)年 多色刷り 木版 紙 40.0×26.5cm) (画像は、「島根県立美術館 版画」より。この頁の説明がいい。ホームページ:「島根県立美術館」)
新版画については、これまでも説明する機会があったが、ここでは下記を参照する:
「Art Info Net 新版画について」(ホームページ:「Art Info Net」)
江戸時代末期に全盛を誇った伝統的浮世絵版画は、20世紀初頭にはほとんど衰退していました。大正期に入り、版元渡辺庄三郎は浮世絵版画の良さを生かし、絵師、彫師、摺師による伝統的な分業体制のもと、新しい版画作りをめざしました。それは、より芸術性の高い木版画を制作しようとするものでした。伝統的な浮世絵の各題材を描くにふさわしい画家を見いだし、構図・色調・摺りに工夫を凝らした美人画や役者絵、叙情的な風景画が次々と出版されました。これらの作品は今日、「新版画」と呼ばれています。
← 橋口五葉 『神戸之宵月』(大正9年) (画像は、「橋口五葉(新版画)」より。ホームページは「浮世絵・版画ぎゃらりーおおの」)
「ケペル先生のブログ 橋口五葉と夏目漱石」によると:
明治44年、三越百貨店のポスターが一等になり一躍有名になる。この頃から油絵をやめ、日本画の无声会(むせいかい)に入り、浮世絵の研究をはじめた。大正4年、渡辺版画店から木版「浴場の女」を出し、大正9年まで新版画を制作した。
→ 橋口五葉 『京都三条大橋』(大正9年) (ネットオークション画像)
さらに「ケペル先生のブログ 橋口五葉と夏目漱石」によると、「五葉は生家の庭の五葉松にちなんでつけられた雅号で、東京美術学校時代から使っていた」とか、五葉は長兄の縁で漱石と知り合ったなどと記してあり、さらに:
五葉は狩野派の絵を習い、橋本雅邦に入門した。しかし同じ鹿児島の出である黒田清輝に、やはりこれからは洋画を学ぶべきだとすすめられ、明治32年、白馬会研究所で洋画を学んだ。そして翌年の明治33年、東京美術学校西洋画科に入った。明治38年卒業。五葉は「ホトトギス」にカットを描き、漱石に気に入られる。明治38年、漱石の『吾輩ハ猫デアル』上巻の装丁をした。装丁デザインに興味があった漱石は、ヨーロッパの本や雑誌を見せ、世紀末芸術の話を聞かせて、新しいデザインをつくらせようとした。そして漱石・五葉のコンビによって、明治39年『漾虚集』、明治40年『鶉籠』、明治41年『草枕』『虞美人草』などのデザインが生まれる。美術評論家の海野弘は「橋口五葉は、漱石の草枕のモデルとなった画家である」といっている。
最後に、余談となるが、五葉より13歳年上の藤島武二の手になる下記のような興味深い絵のあることをメモしておく(33年から38年にかけて二人は先生と学生の関係にあったという):
「海浜風景(友、橋口五葉に贈る)」(ホームページ:「府中市美術館」)
「海浜風景(友、橋口五葉に贈る)」なる頁によると:
藤島は雑誌『明星』の挿絵を通じて、橋口は『ホトトギス』の挿絵や夏目漱石の著書の装幀を通して、アールヌーボーやラファエル前派、あるいは象徴主義への傾倒を示しており、いわば志を同じくするもの同士でした。
(08/01/28作)
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