川原慶賀…シーボルトの眼 ? !
小田野直武の画像や情報をネットで探したが、平賀源内ら誰彼の関連での記述は散見されても、小田野直武本人についての情報はなかなか見つからない。
その過程で、司馬江漢の名が散見されるので、今日は彼の周辺を巡ってみるかなと思い始めていた。
すると、思いがけず久しぶりに川原慶賀なる名前に遭遇。
← 川原慶賀筆 『長崎港図』 (画像は、「神戸市立博物館」より) 「出島や長崎の市街を左手前に、長崎港からはるか港外まで望んだ鳥瞰(ちょうかん)図である。長崎の北方金比羅山あたりから写生したものであろう」という。また、「慶賀(1786~?年)は、出島出入絵師となりシーボルトに見出され、その著書『日本』の挿絵を描いた。慶賀の作品だけが、当時オランダへの持ち出しを許されていた」。「川原慶賀の見た江戸時代の日本1」を覗けば、違う彩色の『長崎港図』を見ることができる。
「神戸市立博物館」が小田野直武作品を所蔵しているという情報があったのだ。
が、「神戸市立博物館 2007年度 主要所蔵品の展示について」なる頁をツラツラ眺めていたら、「川原慶賀筆 長崎港図・ブロンホフ家族図」が惜しくも昨年の秋にあったことを発見したのである。
おっ、そういえば彼に付いても簡単にでも特集を組んでみたいと思っていたことがあった。にもかかわらず、他の題材に取り紛れて先延ばしになっていたのだった。
とりあえず、川原慶賀をネットで調べてみるか。
→ 川原慶賀筆 『蘭船入港図(蘭館絵巻)』(長崎市立博物館蔵) (画像は、「謎に包まれた川原慶賀 」より
「謎に包まれた川原慶賀 ( 2001/5/23 )」(ホームページ:「みろくや」)なる頁が筆頭に浮上している。
「今月中旬、長崎の地元新聞の一面にオランダで川原慶賀(かわはらけいが)の 絵、2作品が新たに発見されたという記事が掲載されました」とある。
日付が「2001/5/23」となっている。当時は長崎のみならず全国区で話題になったのだろうか。ムリか。当時は小泉内閣誕生のニュースがマスコミを独占していたし。
← 川原慶賀筆 『瀉血(しゃけつ)手術図』(長崎市立博物館蔵) (画像は、「謎に包まれた川原慶賀 」より) T・スクリーチ 著『江戸の身体を開く』(高山 宏訳 作品社)によると、渋面が印象的な少年の顔は、実は、レオポルド・ボワリーの『渋面さまざま』(1823-25)という8枚組リトグラフから採られており、川原慶賀は8枚組の残りの顔も使っているとか!
「慶賀は江戸時代後期に出島にやって来たオ ランダ商館医師シーボルトのお抱え絵師」で、「シーボルトの求めに応じて出島 の様子や庶民の暮らし、職人の道具や植物など当時の日本の様子をさまざまな 視点で描」いたのだとか。
「慶賀は西洋側の絵師として日本を描いたので す。ちなみに現存する彼の作品で国内に残っているのはおよそ100点ほどで、オ ランダには約1000点の作品が保存されているそうです」というから、里帰りはムリとしても凱旋しての展覧会はあったのだろうか、今後もあっていいと思う。期待が大である。
→ ねじめ正一/著『シーボルトの眼 出島絵師川原慶賀』(集英社) 評判もいいし、面白そうな本。「雨漏り書斎 ねじめ正一「シーボルトの眼 出島絵師 川原慶賀」」など参照。「シーボルトは「私の眼になれ」と言い、決して「いい絵師になれ」とは言っていないのだが、慶賀の、シーボルトの眼になってやる!という気持ちと、北斎やその娘に刺激される「絵師の根性」がうまくリンクしている所が、物語として非常に面白い」といった「Amazon.co.jp 通販サイト」内のpfs7氏のコメントがいい。
川原慶賀については、上掲の「謎に包まれた川原慶賀 ( 2001/5/23 )」に詳しい。
「川原慶賀 - Wikipedia」によると:
川原 慶賀(かわはら けいが、天明6年(1786年) - 万延元年(1860年)以降)は、江戸時代後期の長崎の画家。出島出入絵師として、風俗画、肖像画に加え、生物の詳細な写生図を描いた。名は登与助(とよすけ)、種実、号は慶賀、聴月楼主人。別姓に田口。
当時の長崎で絵師の第一人者として活躍していた石崎融思(いしざきゆうし)に師事し、頭角を現す。出島オランダ商館への出入りを許され、長崎の風俗画や風景画、出島での商館員達の生活等を描いた。唐蘭館図・玉突き図文政6年(1823年)にシーボルトが商館付医師として来日した。慶賀は日本の動植物等を蒐集し始めたシーボルトの注文に応じ、精細な動植物図を描いた。また、文政9年(1826年)のオランダ商館長の江戸参府にシーボルトと同行し、道中の風景画、風俗画、人物画等も描いた。これらに使用された紙、顔料、支払われた給与などはオランダ政府から支給され、絵図のほとんどはオランダへ発送された。
← 川原慶賀筆『出島図』(所蔵館:ファン・ストルク地図博物館) (画像は、「川原慶賀の見た江戸時代の日本1」より)
なるほど、「日本に現存する作品は約100点だが、オランダに送られヨーロッパ各地に分散した慶賀作の絵図は6000-7000点ともいわれている」というのも、むべなるかな、である。
シーボルト事件に連座し叱責されたが、シーボルト追放後、「シーボルトの後任となったハインリヒ・ビュルガーの指示の元、同様の動植物画を描いた」という。
ところが:
天保13年(1842年)、オランダ商館員の依頼で描いた長崎港図の船に、当時長崎警備に当たっていた鍋島氏(佐賀藩)と細川氏(熊本藩)の家紋を描き入れた。これが国家機密漏洩と見做されて再び捕えられ、江戸及び長崎所払いの処分を受けた。
懲りないひとだ。
→ 川原慶賀筆『唐蘭館絵巻、蘭館図、宴会』(所蔵館:長崎歴史文化博物館) (画像は、「川原慶賀の見た江戸時代の日本1」より)
「慶賀は伝統的な日本画法に西洋画法を取り入れていた。また、精細な動植物図についてはシーボルトの指導もあった」という。また、「慶賀が描いた動植物図のほとんどはオランダに送られ、シーボルトらの著作である『日本動物誌』等の図として利用された」とか。
調べたら、そのものズバリ、「川原慶賀の見た江戸時代の日本1」というサイトがあった。
画像が実に豊富で見飽きない。ホームページは、「長崎歴史文化博物館」のようである。
← 川原慶賀筆『タコ、マダコ』(所蔵館:ライデン国立自然史博物館) (画像は、「川原慶賀の見た江戸時代の日本1」より)
1811年(文化8)の頃には出島に自由に出入りできる「出島出入絵師」となり、出島商館長ブロンホフや商館員フィッセル、商館医シーボルトの求めに応じて日本の文物を描いている。
商館員たちの求めに応じて何でも描ける優秀な絵師川原慶賀ではあったが、シーボルトは植物研究のための標本デッサンを正確に描くためどうしても西洋画法に精通した絵師が必要であった。そのためヴァタビア総督に画家の派遣を要請している。この要請に応えて1825年(文政8)来日したのが薬剤師のビュルガーと専門の画家ではないものの絵心のあったデ・フィレニューフェであった。慶賀は、このデ・フィレニューフェから西洋画法の手ほどきを受けることとなる。
1826年の江戸参府においてシーボルトは、慶賀を同行させている。慶賀はシーボルトの要望や指示に従い、街道の様子や名勝、神社仏閣、京・大坂・江戸の様子、公家・武家の装束、旅の道中で観察される動・植物、風俗までありとあらゆる文物を描いた。
→ 川原慶賀筆『ウミヒゴイ』(所蔵館:ライデン国立自然史博物館) (画像は、「川原慶賀の見た江戸時代の日本1」より) 「慶賀が描いた動植物図のほとんどはオランダに送られ、シーボルトらの著作である『日本動物誌』等の図として利用された。標本がなく、慶賀の写生図をもとに記載された ウミヒゴイ Parupeneus chrysopleuron (Temminck et Schlegel, 1844) などの例もある」 川原慶賀筆の画「ウミヒゴイ」と「ウミヒゴイ 市場魚貝類図鑑」なる頁の写真と見比べるのも一興!
(08/01/23作)
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コメント
弥一さん、トラックバックありがとうございました。川原慶賀僕は知りませんでした。シーボルトの眼なる本も出ているのですね!シーボルトの片腕となった絵師、生没年がはっきりしないとか、永島キクを描いた作品から推測できるようですね。しかし弥一さんの関心領域は本当幅広いですね!iPadが発売になりました、僕はiPhoneですが弥一さん興味あるのでは?外出先でも簡単にネット、便利になりました。今日は6時5分まで寝ていました
投稿: oki | 2010/05/30 07:18
oki さん
相変わらず各地へ足を運ばれているようですね。
何はともあれ行動する気持ちがあるのは大切ですし、羨ましい。
iPadにも、iPhoneにも、関心があります。関連の報道や記事には目が自然と向かいます。
垂涎ですね。
投稿: やいっち | 2010/05/31 16:52