ルイス・ウェインの猫(その2)
この本を手にする前の年、大岡信著の『抽象絵画への招待』(岩波文庫刊、1985年)を買って読み、抽象絵画やアール・ブリュ、アンフォルメルのアートへの関心を抱き始めた。
→ Louis Wain "Untitled" - c.1933, watercolour & bodycolour, 9 x 7.5 ins (画像は、「Henry Boxer Gallery presents Louis Wain」より) これもウェイン本人にしてみれば、愛情タップリに猫を描いているつもりだったのか。
正常と非正常との敷居などあってなきが如し。
しかし、同時にそこには牢固たる壁があるのも事実。
心が壊れる恐怖。後戻りできない蟻地獄。
当時の心境などを数年前の記事に綴っている。転記する:
さて、小生がヴォルスを知ったのは、そんなに古いことではない。多分、大岡信氏著の『抽象絵画への招待』(岩波文庫刊、1985年)を通じてのことだったはずだ。その前にヴォルスの名に接したことがあるかどうか、記憶に定かではない。仮にあっても、印象には残らなかったことは間違いない。 恐らくは上掲書を読んだ頃、小生はようやくにしてポロックなどの抽象表現主義に惹かれ始め、あるいはデ・クーニングやハンス・アルトゥングや、フォートリエ、デュヴュッフェ、A・タピエス、堂本尚郎、元永定正、麻生三郎、加納光於、難波田龍起らの世界に親しみ始めたように思われる。 それまでもアンフォルメルの世界は知っていたはずだが、今一つ、感覚的にピンと来ることがなかった。むしろ幻想性の高いもの、あるいはムンクやギュスターブ・モロー、クリムト、エゴン・シーレなどのように何処か病的な感性を感じさせる作家たちで関心は満たされていた。← Louis Wain "Untitled" - c.1933, watercolour & bodycolour, 7.5 x 5 ins (画像は、「Henry Boxer Gallery presents Louis Wain」より)
それが何故、80年代の半ば頃、急に抽象作品やアンフォルメルの世界に浸り始めたのだろうか。そうした世界に自分が親和するように感じられてならなかったのは、何故なのか、自分でも分からない。
ただ、何か世界の中で自分が孤立している、そんな不安感が強まった時期であることだけは言えるかもしれない。80年頃から、サラリーマンの世界に自足していたし、自分はそれで世界は閉じられている、その中で安閑とまではいかなくても、不安の念が萌したり、まして世界に亀裂を見たり、世界の中でモノどもがこの私より遥かに自己主張してくるだろうなどとは予想だにしなかった。自分が会社の中で窓際族になるとは夢にも思わなかった。
というより、あるいは自分の中の世界への違和感が、結果として己の孤立を招いたのかも知れない...。
自分が融けていく。というより、固い殻に自分が守られているはずだったのが、気が付いたら殻が裂けてしまっており、その中の身たる己が、ドロドロの粘液以外の何ものでもなく、その液体が外界へと漏れ出し始め、逆に外界の浮遊塵が殻の中の肺腑に浸透し、世界は輪郭を失ってしまったのだった。ちょうど砂嵐状態のテレビ画像の人影のように。
→ Louis Wain 「Japanese kitties」 (画像は、「Catland the art of Louis Wain」より) 「This is one of a series of pictures Wain did that were inspired by the 1910 Japan-British Exhibition.」 こんな絵だったら人気を博するのも分かる。
私は、その頃から、他者と区別する形も、他者と境界を画する敷居も見失い、私は道端にだらしなく転がる古びた自転車か、それともブロック塀の脇に投げ捨てられた空き瓶になった。否、空き瓶から剥がれ落ちそうな薄汚れたラベルなのだと気付いたのかもしれない。
世界の中のあらゆるものがとんがり始めた。この私だけが私を確証してくれるはずだったのに、突然、世界という大海にやっとのことで浮いている私は、海の水と掻き混ぜられて形を失う一方の透明な海月に成り果てているのだった。
私だけが丸くなり、やがて形を失ったのだ。
ならば、一体、この私の存在を確かなものとしてくれるのは、何なのか。そもそも何かあるのだろうか。私は裏返しになってしまい、途端に消えてしまったのである。
残ったのは、影でさえない。
← Louis Wain (画像は、「Neuroscience Art Gallery Art by Psychotics. Louis Wain」より) キュートな猫だ!
あるのは吹きすぎる風。湖面の細波。車に噴き上げられる塵埃。落ちることを忘れた黄砂。消しきることの出来ない半導体のバグ。磨きたてられた壁面の微細な傷。白いペンキで消し去られたトイレの落書き。どこに私がいるのだろう。それとも、そのいずれにも私がいるのだろうか。
ヴォルスの抽象的で、それでいて生々しい線刻の乱舞。それは生への嫌悪であると同時に生への恐怖。確かにサルトルの言う通りなのかもしれない。
けれど、嫌悪とは、依然として一種の自己主張の名残なのではなかったのか。嫌悪の裏側には、ある種の望みなき救いへの祈り、悲鳴という名の肉声の形に凝縮された祈りが隠れ潜んでいるのではないのか。
私はヴォルスの多次元なまでに舞い狂う線描の突端へと駆け寄りたいのである。いつの日か寄り添いえた暁には、パウル・クレーとは違った意味での、心と体の慰撫という幻視がありえるかもしれないのだ。
(転記終り)
→ Louis Wain (画像は、「Neuroscience Art Gallery Art by Psychotics. Louis Wain」より)
徳田良仁著の『芸術を創造する力―イメージのダイナミックス』(紀伊国屋書店)を読んだのも、抽象絵画やアール・ブリュ、アンフォルメルのアート熱の最中だったからのようだ。
ととと、本題に入りそびれている。
徳田良仁著の『芸術を創造する力―イメージのダイナミックス』(紀伊国屋書店)を採り上げたのは、ある有名な猫の画家の絵に本書の中で再会したからだ。
その名は、ルイス・ウェインである。
「ルイス・ウェイン - Wikipedia」で大よそのことを知ることができる。
冒頭の一文だけ転記するが、顰蹙を買いそうな表現かもしれないが、この「ルイス・ウェイン - Wikipedia」なる項は読み応えがある:
ルイス・ウェイン(Louis Wain, 1860年8月5日 - 1939年7月4日)は猫を対象とした作品で知られるイギリスの画家、イラストレーター。晩年には統合失調症を患い、作品中にその痕跡をたどることができる。
← Louis Wain 「The Perfect Cat」 (画像は、「Catland the art of Louis Wain」より) 「(前略)その圧迫に耐えかねてか、ウェインは精神を病み、1924年、赤貧の中で精神病院に収容される。病状の変化は作品にも現れる。初期の作風は、猫の日常の瞬間を写実的に描くものだったが、次第に猫を擬人化してコケッティシュに描くようになり、ここに至っては、まるで万華鏡のような色で埋め尽くすようになった。彼の作風の変化を、精神病と結びつけて研究する向きもあるが、どの時期の作品も、作品自体として秀でていることは言うまでもない。」(「ウォーレン・キンブル」より)
ルイス・ウェインについて小生如きが贅言を弄するのはやめておく。
彼の作品が何より雄弁なのだ。
「Catland the art of Louis Wain」や「LOUIS WAIN (1860-1939)」などがルイス・ウェインについて知り、彼の作品を見るのに絶好のサイトだということだけ明記しておく。
「YouTube」の「Schizophrenic Painter (Louis Wain)」は、ショッキングかも!
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