辻惟雄:縄文からマンガ・アニメまで…牧谿の幸い
[メモ的に書いたこの記事。気がつくと二ヶ月近くも放置状態。半端だけどアップしておく。東京の片隅の小さな部屋で真夜中、冬の真っ盛りに電気ストーブで暖をとりながら、せっせと書いていたっけ。夢は荒れ野を…じゃなく、ネットの茫漠たる虚の時空を駆け巡る。]
久々に辻惟雄(つじのぶお)氏の本を手に取った。辻惟雄著の『日本美術の歴史』(東京大学出版会)である。
← 辻惟雄著『日本美術の歴史』(東京大学出版会) 「縄文からマンガ・アニメまで、360枚の図版とともに日本美術の流れと特質を大胆に俯瞰する!」
辻惟雄氏というと、今はちくま学芸文庫という形で入手が可能となっている『奇想の系譜―又兵衛‐国芳』(筑摩書房)を読んでお世話になって以来、名前が小生の脳裏にこびり付いている。
ちなみにこの『奇想の系譜』の章立てを列挙しておくと以下のとおりである:
憂世と浮世―岩佐又兵衛
桃山の巨木の痙攣―狩野山雪
幻想の博物誌―伊藤若冲
狂気の里の仙人たち―曽我蕭白
鳥獣悪戯―長沢蘆雪
幕末怪猫変化―歌川国芳
→ 辻惟雄著『奇想の系譜―又兵衛‐国芳』(ちくま学芸文庫 筑摩書房) 「意表を突く構図、強烈な色、グロテスクなフォルム―近世絵画史において長く傍系とされてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら表現主義的傾向の画家たち」
『奇想の系譜―又兵衛‐国芳』は、小生が高校時代に既に美術出版社から刊行されていたようだが、小生が手に取り眺め入り瞑想なのか妄想なのか、とにかく想像を逞しくしたのは大学生になってからのことだったか。
見かけて入手したのは古書店だったような朧な記憶がある。
内心忸怩たる思いを告白しておくと、「辻惟雄新学長インタビュー」によると、辻惟雄氏は71年から東北大学文学部助教授となり、75年には同大にて教授となっている。
小生が同大(西洋哲学科)に入学したのは、72年……。
美術出版社版の『奇想の系譜』を入手した当時、小生は辻惟雄氏が我が文学部の美術の先生だったことを認識していたという記憶が全くないのだ。
確かに友人らとの付き合いや読書三昧だった小生だが、あんまりではないか!
その辻惟雄氏の『日本美術の歴史』。小生のへそ曲がりな根性からすると(というより勉強嫌いな性癖か)こうしたタイトルだけで即、目を背けるところだが、やはり辻惟雄氏となると、他の美術史の専門家とは一味違うはずとつい期待する。
手に取る。パラパラ捲る。
すると、幾つかの写真が目に飛び込んでくる。
即、借りることに決めた。
美術史など高校の授業で上の空で聞いていただけで、正面切っての通史の書は読んだことがない。そこへいきなり辻惟雄氏の「奇想の系譜」だから、良かったのか悪かったのか。
↑ 伝牧谿筆『遠浦帰帆図』(重要文化財<京都国立博物館蔵>) (画像は、「伝牧谿筆 遠浦帰帆図―瀟湘八景図について―」より) この作品については、「名品紹介 遠浦帰帆図(えんぽきはんず)」なる頁が詳しい。
さて、『日本美術の歴史』(東京大学出版会)を読んでいて(眺め入っていて)気になる作品や作者は数々あったが、今日は南宋から元に掛けての時代の中国の水墨画の画家・牧谿(もっけい、生没年不明)を作品鑑賞(ホントに眺めるだけ)の形で採り上げる。
(小生の水墨画や山水画への思い入れなどについては、拙稿「山水画…中国絵画の頂点か」に思い出交じりで書いておいた。)
「牧谿 - Wikipedia」には、「四川の出身。その後、長江下流の浙江へ移り、無準師範の門下に入ったとされる。独特な技法により描かれる水墨画は評価が高く、室町時代の日本における水墨画にも影響を与えた。代表作には「瀟湘八景図」(洞庭湖の風景。のちに分割された)がある」とだけ。
← 「虎図」 伝 牧谿 筆 (画像は、「手塚山通信 「虎図」 伝 牧谿 筆」より)
「牧谿とは はてなダイアリー」がより詳しい。
「同時代・同国の荘粛や湯垕や夏文彦がボロクソに貶したため、本国での評価は今一つながら、日本で」高い評価を受けたため、逆輸入(?)されて本国でも評価されるようになり、後世へも一定の影響を与えたというのが面白い。
「牧谿とは はてなダイアリー」には、「モッケの幸い」は、「モッケ」に「物の怪」を宛がった「勿怪(物怪)の幸い」が語源とされるが、それでは意味が通らない、「「牧谿のような幸い」でありたいと願って「牧谿の幸い」と云ったものが始まりである」という説を唱えておられる。
小生には判断が付かない。
牧谿については、「伝牧谿筆 遠浦帰帆図―瀟湘八景図について―」(ホームページ:「京都国立博物館 Kyoto National Museum」)なる頁が詳しいし面白い。
↑ 煙寺晩鐘図 伝 牧谿筆 (画像は、「畠山記念館 -展覧会情報-」より) 「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」の一つ。
辻惟雄著の『日本美術の歴史』にも書いてあるが、牧谿というと瀟湘八景図であり、さらに(足利)義満がセットのように名前が続く。
義満(出家して道有)が「瀟湘八景図」を所蔵し(そこまでならいいが)、鑑蔵(道有)印を押印し、その上、元の絵を分割したという。
この「道有」印の押された画は、「根津美術館の「漁村夕照図(ぎょそんせきしょうず)」など他にも何幅か残ってい」るが、その全貌(?)を下記で見ることができる:
「牧谿 瀟湘八景図巻」
↑ 牧谿(もっけい) 「観音猿鶴図」 (画像は、「牧谿(もっけい) 「観音猿鶴図」 - ミレーが好き」より) 「牧谿 「漁村夕照図」 - ミレーが好き」も覗いてみるといい。
「伝牧谿筆 遠浦帰帆図―瀟湘八景図について―」によると:
その後の中国では、牧谿の絵は筆法がやや粗野(そや)であるといわれて、それほど高く評価されず、次第に忘れ去られてゆくのに対し、日本では、この瀟湘八景図巻や、京都の大徳寺(だいとくじ)にある「観音猿鶴図(かんのんえんかくず)」のような牧谿のすぐれた作品がもたらされたこともあって、中国を代表する最高の画家として崇拝(すうはい)され、彼の画風は「和尚様(おしょうよう)」と呼ばれて日本の水墨画のお手本にされ、その形成発展に大きな影響を及ぼしてゆきます。
(08/01/27作)
[今日になって知ったのだが、「夷狄の繰言 辻惟雄の奇想な仕事集」なる記事が読んで面白く、参考になる。 (08/10/02追記)]
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