ジョージ・グロス
「ねじ釘の画家・柳瀬正夢」なる記事を書いていて、ゲオルグ・グロッスという人物に出会った。
柳瀬正夢はゲオルグ・グロッスに傾倒したというのだ。
ゲオルグ・グロッスとは一体、いかなる人物なのか。
→ 『Grosz』(TASCHEN) 「ジョージ・グロス(1893-1959年)は、ベルリン・ダダを代表する風刺画家として知られるが、後にニューヨークへ移住し、才能をますます開花させた。イラストから水彩、油彩まで、グロスの代表作を紹介」
しかし、画家として人形作家として、あるいは写真家としても知られる、小生が学生になりたての頃から偏愛していた(はずの!)ハンス・ベルメールのプロフィールなどをチラッとでも覗けば、画家ゲオルグ・グロッスとの深い関わりに気付かないはずがなかったのだが:
「ハンス・ベルメール」(ホームページ:「アート・遊」)
小生は、ダダのアーティストは、単なる好奇心以上の関心を抱けないできたということもゲオルグ・グロッスというかジョージ・グロスと呼称されるべき人物への無関心に繋がっていたのだろう。
今の自分が見たならどう感じるか。
← Ralph Jentsch著『George Grosz』(Electa / 1997) 「ドイツ出身の画家・ジョージ・グロスの作品と解説」
「ジョージ・グロス - Wikipedia」によると:
ジョージ・グロス(George Grosz 1893年7月26日 - 1959年7月6日)は、ドイツ出身の画家。20世紀最大の諷刺画家といわれる。Groszはポーランド語読みでグロッシと表記される場合もあり、またドイツ語読みでゲオルゲ・グロッスと表記されることも多いが、これらは誤りである。
ゲオルゲ・グロッスという表記は誤り!
どうやら、「ドイツの民族主義や愛国主義を嫌って、自らの名前を英語読みのGeorgeに、苗字をハンガリー語表記のGroszに変更」とか「ジョージ・グロスはほんとうはゲオルク・グロスという。 若い頃にU.S.A.にあこがれてジョージと改名した」という事情があるようだ:
「ジョージ・グロス - Wikipedia」や、「アートな散歩・終了分」の中の「20世紀最大の風刺画家 ジョージ・グロス ベルリン――ニューヨーク」なる項を参照。
→ ジョージ・グロス作『Suicide 』1916. Oil on canvas. 100 x 77.6 cm. Tate Gallery, London, UK. (画像は、「George Grosz - Olga's Gallery」より)
さて、「ジョージ・グロス - Wikipedia」によると、「米国に同化しようとする努力の中で社会諷刺の筆が鋭さを失い、作風が大きく変貌した」ということだから、その時点までのプロフィールを転記しておく。
華々しい(?)活躍は後年はあまりなさそうだし(晩年の作品を見て、小生のとんでもない誤解だと気付かされた。「米国に同化しようとする努力の中で社会諷刺の筆が鋭さを失い、作風が大きく変貌した」ってのを鵜呑みにしちゃいけない。1940年代の作品を見よ!)。
来年は歿後50年。きっと何か大きな展覧会が企画されているのだろう:
ドレスデンの王立美術院に学び、1910年には複数の諷刺雑誌に関与。1914年、第一次世界大戦を「全ての戦争を終わらせるための戦争」と賛美して志願兵となるも、重傷を負って入院生活を送り、戦争の実態に幻滅しつつ1915年に除隊。1917年1月に徴兵されたが、同年5月には兵役不適格とされて再び除隊となった。
← ジョージ・グロス作『Beauty, Thee Will I Praise.』 1919. Watercolor, pen and Indian ink. 42 x 30.3 cm. Galerie Nierendorf, Berlin, Germany. (画像は、「George Grosz - Olga's Gallery」より)
1916年、ドイツの民族主義や愛国主義を嫌って、自らの名前を英語読みのGeorgeに、苗字をハンガリー語表記のGroszに変更。1917年、ベルリンのダダイストの集団に入る。
1919年1月、スパルタクス団に関係して逮捕されたが、贋の身分証を使って逃亡。同年、ドイツ共産党(KDP)に入党。
1921年、諷刺画集Gott mit uns(神は我らと共に)が陸軍を侮辱しているとされて告発を受け、書店から没収されると共に、300ドイツマルクの罰金を科せられた。
→ ジョージ・グロス作『Glad to Be Back』 1943. Oil on chipboard. 71.1 x 50.7 cm. Arizona State University, Tempe, AZ, USA. (画像は、「George Grosz - Olga's Gallery」より) 「米国に同化しようとする努力の中で社会諷刺の筆が鋭さを失い、作風が大きく変貌した」とあるが、「作風が大きく変貌した」のは事実として、「社会諷刺の筆が鋭さを失い」…というのは納得できない。この作品以下の三つの絵を見れば、むしろ先鋭化しているとさえ云えそう。一瞬、ウィリアム・ブレイクを思わせるような凄みがある。しかし、ジョージ・グロスは宗教には逃げ込まなかった。
1922年、ロシアを旅してトロツキーとレーニンに面会した後で独裁組織に嫌気がさし、ドイツ共産党を脱退。とはいえ、1927年まで共産党の刊行物の常連でありつづけた。
1924年、諷刺画集Ecce Homo(この人を見よ)が猥褻にあたるとされて風俗紊乱で有罪判決を受ける。同年、芸術家組織Rote Gruppe(赤い集団)の会長に就任。
← ジョージ・グロス作『The Pit』 1946. Oil on canvas. 153 x 94.6 cm. Wichita Art Museum, Wichita, KS, USA. (画像は、「George Grosz - Olga's Gallery」より) ウィリアム・ブレイクと比べて(比較することの是非はさておいて)足りないのは狂気とギリギリの幻想性だろうか。
1928年、"Shut up and keep serving the cause"(つべこべ言わずにお勤め果たせ)と題する絵が神への冒涜にあたるとの理由で告発される。同年、Association Revolutionärer Bildender Künstler Deutschlands(ドイツ革命的芸術家協会)の共同創設者となる。
1932年、ニューヨークの美術学校Art Students League(美術学生連合)に招かれて渡米。1933年、ナチスを避けて米国に亡命。

→ ジョージ・グロス作『Cain, or, Hitler in Hell.』 1944. Oil on canvas. 99 x 124.5 cm. Private collection. (画像は、「George Grosz - Olga's Gallery」より)
ちなみに、「1932年、ニューヨークの美術学校Art Students League(美術学生連合)に招かれて渡米」とあるが、「Art Students League(美術学生連合)」では例えばポール・ランドなどがジョージ・グロスの指導を受けているようだ:
「DNP Paul Rand Profile」
全貌というわけにはいかないが、ジョージ・グロスの絵画作品を見るならやはり「George Grosz - Olga's Gallery」だろう。
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