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2008/03/14

ねじ釘の画家・柳瀬正夢

中谷宇吉郎集 第四巻』に所収されているものの一つに『寒い冬』がある。
 内容に付いては機会を得て触れてみたいが、ここでは挿画の描き手・柳瀬正夢のことを若干ながらでもメモしておきたい。
 
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← 『中谷宇吉郎集 第四巻』に所収の『寒い冬』に付された柳瀬正夢作品の一つ。画像が不鮮明なのは、携帯電話のカメラで撮影したものだから。ネットでは、『寒い冬』に掲載されている絵の画像が見出せなかったので、このような形を採った。 

 柳瀬正夢の作品はある年輩以上の読書好きの人なら大概は何処かしらで目にしているだろう。
 小生もだが、今となってはもう柳瀬正夢という名前を意識して絵を見ていた人は、少ないかもしれない。

『寒い冬』に付せられた挿画に懐かしさや温かみを感じた。
 そういえばこんな絵とやや遠い昔、出会っていたのだっけ…。
 但し、彼の時代や世相を見つめる眼差しは常に厳しい。人を愛するがゆえに、愛するからこそ、反骨の魂が滾るのだろう。

 知名度はあまり高くないのか、あるいは旧弊な左翼の人、過去の人、忘れ去られた人ということなのか、「柳瀬正夢 - Wikipedia」での説明もやや寂しい:

柳瀬 正夢(やなせ まさむ、1900年1月12日 - 1945年5月25日) は、美術家、画家、デザイナー、舞台美術家。
愛媛県(松山)生まれ。(14歳のとき画家を志して)上京し絵画を学ぶ。
1920年には読売新聞に入り、時事まんがを描いていた。
その後、普門暁の未来派美術協会に入ったり、村山知義、尾形亀之助、大浦周蔵、門脇晋郎とともにMAVO(前衛美術集団マヴォ)を結成したりして、前衛美術に進む。1924年には、三科造形美術協会結成。
その後、プロレタリア美術に傾倒し、1925年には、プロレタリア文芸同盟の結成に参加。1932年に治安維持法違反で検挙され、拷問を受ける。
ゲオルグ・グロッスに傾倒する。カリカチュア、絵画に始まり、デザイン(ポスター)、コラージュ、舞台美術など、幅広く活躍した。
1945年、空襲により新宿駅西口で亡くなる。

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→ 柳瀬 正夢『炭坑労働者』1927年頃 (画像は、「いのは画廊 カタログ17号」より)

 ネットでザット見てみた限りでは、下記のサイトが比較的詳しい:
三鷹市美術ギャラリー:柳瀬正夢展
 一部転記させてもらう:

彼がのこした膨大な作品とそれらの変遷は、明治から昭和にかけての激動の時代を駆け抜けるように生きた彼の軌跡そのものでもあります。1900年に生まれ15歳で院展に入選した柳瀬は、早熟の天才画家として世に出ました。多感な時期を竹下夢二や西欧の美術運動に影響された柳瀬は、やがて前衛美術集団〈マヴォ〉結成に参加し、大正アヴァンギャルドの旗手として注目されます。また一方で雑誌編集や新聞社の挿絵を手がけ、自らも政治運動に身を投じてゆきます。
 さらに昭和に入ってからの政治漫画の執筆およびプロレタリア美術における彼の活動は、常に時代の先端に位置するものでありました。1930年代後半からは、写真撮影を通して大陸での庶民の生活を紹介するとともに、自らの出発点に回帰するがごとく昭和を境に遠ざかっていた洋画の制作を再開します。

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← 柳瀬 正夢《河と降る光と》(1915)油彩/カンヴァス (画像は、「三鷹市美術ギャラリー:柳瀬正夢展」より)

 上記したように、『中谷宇吉郎集 第四巻』には、『寒い冬』が丸ごと所収となっている。
 だから柳瀬正夢の貴重な挿画の数々をも見ることができるわけだ(挿画の一部は惜しいことに割愛されている)。
『寒い冬』は、北満の厳しい冬の生活ぶりを中谷宇吉郎が科学者の目、そして随筆家の心で分析し観察し表現している。中谷宇吉郎の細心なる叙述が魅力なのは言うまでもないとして、やはり文章では表現しきれない衣裳や建物などの風俗が柳瀬 正夢の絵を見ることで彷彿としてくるわけである。

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→ 『生誕100年記念 柳瀬正夢展』 (画像は、「愛媛県美術館」より) 「(前略)1938年以降連載を始めた『子供之友』『コドモノクニ』などの児童画に見られる暖かく、包容力のある画風は、常に先端を走り続けてきた柳瀬正夢とは全く異なる一面を我々に印象づけます」という。

 絵が魅力的なのは、『寒い冬』の序文で中谷宇吉郎が案内しているように、「この挿画は、柳瀬画伯が二ヶ月にわたって北満各地を親しく見て廻って描かれたもの」だからなのだろう。
昭和17(1942)年の満州旅行ではロシア人入植地ロマノフカ村を訪ね、多くのスケッチと俳句を残しました」という。

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← 柳瀬正夢デザインの広告 (画像は、「マヴォネタ」より)

 柳瀬正夢の絵や写真の特徴そして「何度か訪れた大陸」に関連する情報を与えてくれる頁があった。
愛媛県美術館 柳瀬正夢 -創作のプロセス-」から一部転記する:

デッサン
 病気で妻を亡くし、柳瀬が39歳のとき再婚した松岡朝子さんは2人の出会いのきっかけは「デッサン」であったと語っています。洋裁の立体裁断の技術を習得するために、その基本となる人体素描を柳瀬正夢に習ったのだそうです。そんなエピソードをもつ柳瀬のデッサンは、早い筆で的確に対象の特徴をとらえています。それはそのまま油彩やグラフィック・デザイン、諷刺画などに生かされているといえます。一瞬にして対象をとらえる眼は写真作品の眼差しにも通じるといえるかもしれません。
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→ 二葉亭四迷肖像 柳瀬正夢画 (画像は、「早稲田と文学 二葉亭四迷肖像」より)

写真
 1936年頃から1942年にかけて何度か訪れた大陸の写真群。遺族の元に残され、現在確認されているものは450点余りにものぼります。それぞれの作品は、そこで暮らす民衆や遺跡の姿を的確にとらえるとともに、絶妙な構図やフォーカスでハイレベルな技術力も示しています。
 こうした写真作品としての位置付けはたいへん重要ですが、もう一つ見逃せないのがスケッチとしての性格です。これらの写真作品には、鉛筆やペンで描かれた人物や風景のスケッチを同じ眼差しを感じます。実際、こうして撮られた写真を元に描かれた絵が絵本になった例も発見されています。この展示室のなかにも写真作品を元に描かれた絵があります。とても印象深い作品です。探してみてください。この大陸旅行に同行した未亡人の松岡朝子さんによると、柳瀬の使ったカメラは、 1920年代に報道取材用に盛んに使われた、ドイツ製の「イカ・ベベ(ICABEBE)」というカメラで、柳瀬は同じ光景を何度も撮ることはしなかったといいます。シャッターをきる行為は、そのままスケッチする行為につながっていたのかもしれません。


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← 井出 孫六著『ねじ釘の如く   画家・柳瀬正夢の軌跡 』(岩波書店) 「油彩にはじまり,漫画,装丁,ポスターと限りない才能を発揮した,この「ねじ釘画家」の短い一生は,同時に軍国主義との限りない格闘であった.また,長谷川如是閑,小林勇,村山知義らとの深い親交は,多面性を確実なものとしていった.15歳で院展に入選し,強烈な印象を後世に残した奇才画家の眼に映じた世の中とはいったいどのようなものだったのか.伝記作家の第一人者が没後50年を経て改めて問いかける」

 ところで、井出 孫六著『ねじ釘の如く   画家・柳瀬正夢の軌跡 』(岩波書店)にもあるが、柳瀬正夢というと「ねじ釘の画家」と呼称されることが多い。
 何故か。
 どうやら柳瀬正夢が「ねじ釘」マ-クのサインを多用したからのようだ。

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コメント

おお、柳瀬正夢ですか!
僕は三鷹の展覧会に行って図録も買ったのですよ、探せば家のどこかにあるでしょう!
確か三鷹のギャラリーではもう品切れじゃなかったかな。
武蔵野美術大学が展覧会やったのか、研究成果か図録を出してますね。
今渋谷区立白根郷土文学館では、賀茂真淵の展覧会開催中!
富山では行けはしないけど食指が動くでしょ弥一さん。

投稿: oki | 2008/03/14 22:25

okiさん

さすが柳瀬正夢の展覧会に行っておられたのですね。
三鷹市美術ギャラリーもいい企画を立てていて、そこへも気軽に足を運べるokiさんが羨ましい。
小生としては、次の「中右コレクション 幕末浮世絵展 江戸の賑わい-北斎、広重、国貞、国芳らの世界-」って奴*見たいけど、ちょっと無理。

ところで、柳瀬正夢が傾倒したというゲオルグ・グロッスに興味津々。
okiさんには素養の範囲の人物なのでしょうが、小生には未知に近い人物なので、壺中水明庵の次の記事はゲオルグ・グロッスの予定です。

投稿: やいっち | 2008/03/15 03:33

ああ、四人の浮世絵師展って大丸ミュージアムでやるものかと思いましたら、三鷹でもやるのですね、時を同じくして面白い。
けど時間に限りがありますから、招待券が入るものを優先しますので三鷹はたぶん行かないでしょう。
「週刊読書人」という新聞がありますが、時々美術展の案内をして招待券をくれたりします。
最新号では国立新美術館の「モディリアーニ」がでていますね。
弥一さん、富山の美術館は現代美術にコレクションが多々あると聞きますが行かれないのでしょうか?

投稿: oki | 2008/03/22 22:20

oki さん

「週刊読書人」という新聞も目を通されているんですね。
さすがです。

富山市には、富山県立近代美術館があります。
随分以前になりますが、行ったことがあります。

でも、「『頽廃藝術』の夜明け」事件での美術館側の腰の引けた対応に落胆して、二度と行く気にはなれないでいます:
http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_15.html#Anchor64772
要するに、議会の頭に黴の生えた奴らや右翼どもの脅しに屈して表現の自由を犠牲にしてしまった事件です。
美術館の風上にも置けない。

投稿: やいっち | 2008/03/23 00:29

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