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2008/03/29

中川八郎:水墨画の伝統を水彩画に

[この「壺中水明庵(こちゅうすいめいあん)」なるブログは、「ネットで、あるいはリアルでの美と快と楽めぐりのエッセイやレポートをボチボチと」と銘打っている。今のところネットでの美めぐりの旅に終始しているが、この現状に甘んじているわけではない。
 未だ雑用に追われていて、眼が関心が外へ向かない。

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← 『ちくま哲学の森 6 詩と真実』(鶴見 俊輔 /安野 光雅 /森 毅/井上ひさし/池内紀 編集、筑摩書房) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販サイト」より) もう二十年近く前、90年の初め頃に購入し読んだ本。帰郷の際、古い本は整理・処分するつもりだったが、つい懐かしくて温存。一年もしないうちに、港区の高輪から大田区の大森へ引っ越すことになると自分でも思っていなかったはず。カフカやジャコメッティらはともかく、寺田寅彦の「自画像」なる一文が秀逸!

 この内向きの傾向が転居(帰郷)に伴う一時的なものなのか、それとも自分でも若干懸念しているのだが、ある意味での精神的な落ち込みの証左なのか、分からないでいる。
 ただ、富山ではサンバパレードもベリーダンスショーも見る機会が極僅かなのは確か(ベリーダンスショーのライブって富山で見ることができるのか、分からない)。
 いずれにしても、追々、リアルでの美と快と楽めぐりのエッセイやレポートも書きたいと切に願っている。
 とは言いつつ、今日も二ヶ月前に作ったメモを提供する次第である。(アップに際し記す。08/03/29)]

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2008/03/25

橋口五葉:ふるきよき美人画

 日々、家事と若干の仕事に追われている。
 トイレ掃除も含め家の中のことから徐々に家の外のことにも手を付け始めた。今朝は除草剤散布。
 父母に要領を伝授してもらいつつ、撒くところと撒かない、散布してはいけない部分とに注意を払いつつ。
 父の長靴を借りて。

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→ 24日の朝、裏庭にて。やはり、水瓶近くの枯れ枝に紛れるようにして。

 その前、燃えるゴミ出しの日だったので、慌てて庭に出たら、庭先に小鳥が居た!
 でも小生の足音か気配に気が付いて、さっさと飛び立ってしまって、写真は撮れなかった。

 さて、以下は昨日に続き約二ヶ月前にメモした記事。
 まだメモしておきたいこともあるが、とりあえずアップしておく。

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2008/03/24

辻惟雄:縄文からマンガ・アニメまで…牧谿の幸い

[メモ的に書いたこの記事。気がつくと二ヶ月近くも放置状態。半端だけどアップしておく。東京の片隅の小さな部屋で真夜中、冬の真っ盛りに電気ストーブで暖をとりながら、せっせと書いていたっけ。夢は荒れ野を…じゃなく、ネットの茫漠たる虚の時空を駆け巡る。]

 久々に辻惟雄(つじのぶお)氏の本を手に取った。辻惟雄著の『日本美術の歴史』(東京大学出版会)である。

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← 辻惟雄著『日本美術の歴史』(東京大学出版会) 「縄文からマンガ・アニメまで、360枚の図版とともに日本美術の流れと特質を大胆に俯瞰する!

 辻惟雄氏というと、今はちくま学芸文庫という形で入手が可能となっている『奇想の系譜―又兵衛‐国芳』(筑摩書房)を読んでお世話になって以来、名前が小生の脳裏にこびり付いている。
 ちなみにこの『奇想の系譜』の章立てを列挙しておくと以下のとおりである:

憂世と浮世―岩佐又兵衛
桃山の巨木の痙攣―狩野山雪
幻想の博物誌―伊藤若冲
狂気の里の仙人たち―曽我蕭白
鳥獣悪戯―長沢蘆雪
幕末怪猫変化―歌川国芳

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2008/03/22

ルイス・ウェインの猫(その2)

 この本を手にする前の年、大岡信著の『抽象絵画への招待』(岩波文庫刊、1985年)を買って読み、抽象絵画やアール・ブリュ、アンフォルメルのアートへの関心を抱き始めた。

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→ Louis Wain "Untitled" - c.1933, watercolour & bodycolour, 9 x 7.5 ins (画像は、「Henry Boxer Gallery presents Louis Wain」より)  これもウェイン本人にしてみれば、愛情タップリに猫を描いているつもりだったのか。

 正常と非正常との敷居などあってなきが如し。
 しかし、同時にそこには牢固たる壁があるのも事実。
 心が壊れる恐怖。後戻りできない蟻地獄。

 当時の心境などを数年前の記事に綴っている。転記する:

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2008/03/21

ルイス・ウェインの猫(その1)

 郷里に出戻りして、生活のスペースを確保する意味もあり、本や雑誌を含めて家の中の不用な諸々をドンドン廃棄している。
 一応、東京から持ち帰った荷物は整理までには至らないものの、とりあえず廊下の隅っこやら納屋などに蔵置はできた。

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→ Louis Wain "Ginger Cat" - c,1932, Crayon, 9 x 7 ins (画像は、「Henry Boxer Gallery presents Louis Wain」より) 

 となると、片っ端から捨てていた古い本だが、段々捨てるのが惜しくなる。
 古い本の山が崩れていってしまうと、はて、引越し荷物の収納も暫定的ながら済んでいるのに、これ以上なにゆえ捨てる必要がある…などと思えてきたのである。

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2008/03/20

ジャン=レオン・ジェローム (2:ヌードを描く光景の淫靡さ)

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← ジャン=レオン・ジェローム『ローマの奴隷市場』 (画像は、「19世紀の画家達」より) かのオディロン・ルドンもジェロームに弟子入りするが、数ヶ月で彼のもとを去った。

 余談が過ぎた。
 話をジャン=レオン・ジェロームに戻す。

 思うのは、ジェロームの絵、特にヌードのモデルが画家(彫刻家)と共に描かれている絵をその構図を併せ眺めると、淫靡ささえ感じる。
 それは小生がゲスな人間だから? でも、ジェロームは一般大衆のそこの心理は冷静に読みきり計算に入れて描いているってのも確かなようだし、その舞台裏を臆面もなく晒しているようでもある。
 この辺りのことは作品の数々を見れば歴然としていると思う。

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2008/03/18

ジャン=レオン・ジェローム (1:ヌードを描くアトリエを嫉視する?)

 絵に魅入ってあれこれ妄想が勝手に逞しくなっている間に記事が長くなってしまった。
 二回に分けて掲載する。

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← ジャン=レオン・ジェローム『Phryne before the Areopagus』(1861年) (画像は、「ジャン=レオン・ジェローム - Wikipedia」より) 「ジャン=レオン・ジェロームの『Phryné devant l'Areopage(アレオパゴス会議でのフリュネ)』も、フリュネの美貌にインスパイアされたもの」だという。でも、価値観も主体の在り処も全く転倒している…。

 ピーター・ゲイ 著の『快楽戦争 ブルジョワジーの経験』(富山 太佳夫訳 青土社)読んでいたら、ジャン・レオン・ジェロームという画家の名前が出てきた。
 どこかで聞いたことがある。
 でも、すぐには思い出せない。
 上掲の本には数知れない事項や名前が出てくるので、一々調べてられないのだが、ジャン・レオン・ジェロームは調べよ、という直感がある。

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2008/03/16

ジョージ・グロス

ねじ釘の画家・柳瀬正夢」なる記事を書いていて、ゲオルグ・グロッスという人物に出会った。
 柳瀬正夢はゲオルグ・グロッスに傾倒したというのだ。
 ゲオルグ・グロッスとは一体、いかなる人物なのか。
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→ 『Grosz』(TASCHEN) 「ジョージ・グロス(1893-1959年)は、ベルリン・ダダを代表する風刺画家として知られるが、後にニューヨークへ移住し、才能をますます開花させた。イラストから水彩、油彩まで、グロスの代表作を紹介」

 しかし、画家として人形作家として、あるいは写真家としても知られる、小生が学生になりたての頃から偏愛していた(はずの!)ハンス・ベルメールのプロフィールなどをチラッとでも覗けば、画家ゲオルグ・グロッスとの深い関わりに気付かないはずがなかったのだが:
ハンス・ベルメール」(ホームページ:「アート・遊」)
 

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2008/03/14

ねじ釘の画家・柳瀬正夢

中谷宇吉郎集 第四巻』に所収されているものの一つに『寒い冬』がある。
 内容に付いては機会を得て触れてみたいが、ここでは挿画の描き手・柳瀬正夢のことを若干ながらでもメモしておきたい。
 
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← 『中谷宇吉郎集 第四巻』に所収の『寒い冬』に付された柳瀬正夢作品の一つ。画像が不鮮明なのは、携帯電話のカメラで撮影したものだから。ネットでは、『寒い冬』に掲載されている絵の画像が見出せなかったので、このような形を採った。 

 柳瀬正夢の作品はある年輩以上の読書好きの人なら大概は何処かしらで目にしているだろう。
 小生もだが、今となってはもう柳瀬正夢という名前を意識して絵を見ていた人は、少ないかもしれない。

『寒い冬』に付せられた挿画に懐かしさや温かみを感じた。
 そういえばこんな絵とやや遠い昔、出会っていたのだっけ…。
 但し、彼の時代や世相を見つめる眼差しは常に厳しい。人を愛するがゆえに、愛するからこそ、反骨の魂が滾るのだろう。

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2008/03/13

アントワン・ダガタ

 ひょんなことからアントワン・ダガタという写真家の存在を知った。
 1961年マルセイユに生まれたフランス人。
 読み捨てられた週刊誌の情報欄に安楽寺えみ 写真展『Snail Diary』についてのコラムがあった。評論家・飯沢耕太郎の手になるもの。
 コラムの題名は、「「只管打坐」の境地で撮る「性と生」-RAT・HOLE・GALLERYで」である。
 そこには小さな写真が一つ載せてあった。写真もだが安楽寺えみという存在がとても気になった。

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← 安楽寺えみ (画像は、「exhibition|RAT HOLE GALLERY」より) 

 その写真展とは、「exhibition|RAT HOLE GALLERY」(東京・青山のラットホール・ギャラリーにて開催中)
 
 一部を転記する:

安楽寺えみは武蔵野美術大学で油絵を学び、約10年間闘病生活を送った後、93年より銅版画制作を始め、98年頃より本格的に写真制作をはじめます。人間の持つ根源的な生への欲望や疑問が、様々なメタファーに置き換えられ、そこに自身の記憶、心象がいく層にも重ねられた不思議な世界を生み出す安楽寺の作品は(以下、略)

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2008/03/12

川原慶賀…シーボルトの眼 ? !

 小田野直武の画像や情報をネットで探したが、平賀源内ら誰彼の関連での記述は散見されても、小田野直武本人についての情報はなかなか見つからない。
 その過程で、司馬江漢の名が散見されるので、今日は彼の周辺を巡ってみるかなと思い始めていた。
 すると、思いがけず久しぶりに川原慶賀なる名前に遭遇。

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← 川原慶賀筆 『長崎港図』 (画像は、「神戸市立博物館」より) 「出島や長崎の市街を左手前に、長崎港からはるか港外まで望んだ鳥瞰(ちょうかん)図である。長崎の北方金比羅山あたりから写生したものであろう」という。また、「慶賀(1786~?年)は、出島出入絵師となりシーボルトに見出され、その著書『日本』の挿絵を描いた。慶賀の作品だけが、当時オランダへの持ち出しを許されていた」。「川原慶賀の見た江戸時代の日本1」を覗けば、違う彩色の『長崎港図』を見ることができる。

神戸市立博物館」が小田野直武作品を所蔵しているという情報があったのだ。
 が、「神戸市立博物館 2007年度 主要所蔵品の展示について」なる頁をツラツラ眺めていたら、「川原慶賀筆 長崎港図・ブロンホフ家族図」が惜しくも昨年の秋にあったことを発見したのである。

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2008/03/11

モンドリアン(追記2:世界を干拓する描写)

 ここまでがある意味、導入部。能書きにもならない前書き。
 まあ、駄弁として読み流されるのがオチの一文なのだろう。

 が、タイモン・スクリーチ著の『江戸の身体を開く』(高山 宏訳 作品社)を読んでいたら、気になる記述を見つけた。
 といっても別にモンドリアンについての言及があるというわけではない。
 モンドリアンがオランダ生まれだということに留意して以下に転記する記述を読んでみると面白い。

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2008/03/07

モンドリアン(追記1:世界を干拓する描写)

ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」において、小生はややモノローグ風に以下のようなことを書いている:

 オランダ生れのモンドリアンがパリへ出たのは案外と遅い。39歳前後。チーズ、チューリップ、風車で有名なオランダだが、同時に、リベラルな気風や風土、そして「堤防により囲まれた低地」という土地柄もモンドリアンの画風の基本にあるような気がする。

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→ Floris Claesz van Dijck(1575-1651) 『チーズとバターと果物のある静物画』(部分図 1613) (画像は、「Floris Claesz van Dijck - Wikipedia」より) 「食物を口にし消化することが象徴する消費一般をいおうとしている。もっともこれはどちらかといえば貧しい人間のテーブル風景である。切られていない果実ですら、茎からちぎられてできるくぼみがこちら向きになるように置かれていて、中をのぞける感じを与える。ガラス器も中が透けて見える」(タイモン・スクリーチ著『江戸の身体を開く』より)

 大方の(?)日本人が抱いている…大地という感覚はオランダ人にはあるのだろうか。

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2008/03/02

池大雅と富山

 18世紀というのは、ヨーロッパにおいて様々な人々が国境を越えて旅して回った時代だった。
 もっと言うと、そうした動きが活発になった世紀だったというべきか。

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→ 池大雅「白雲紅樹」 「昭和14年5月、国宝に指定」(画像・情報は共に、「【楽天市場】池大雅「白雲紅樹」:R-Garden」より)

 宗教改革、その後の反宗教改革の運動もあったが、次第に宗教的権威が失墜とまでは言わないまでも宗教的縛りの緩みが表面化したというべきか。

 宇宙観の変化。近代的科学の誕生とその普及。解剖学などの医学の発達。顕微鏡と天体望遠鏡の発明と普及。世界の意味は宗教的権威が、権力者のみが示しえるものだったのが、誰もが自然を自らの目で見るような時代に一気になっていった。

 宇宙も海も(大航海時代)山も(山登りが盛んになったのも17世紀)動植物の探求も、人間の手と目と足が世界を駆け巡るようになった。
 その影響から日本のみが自由だったわけではない。
 また、無関心でありえたわけもない。

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