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2008/02/10

ジョン・ラスキン追記

 拙稿「ウィリアム・ターナー(後篇:悲劇のロマン派画家)」は、決してラスキンを扱った文ではないのだが、たまたまこの稿をアップしようとしたとき、ジョン・ラスキン著『風景の思想とモラル―近代画家論・風景編』(内藤 史朗【訳】 (京都)法蔵館)を読み終えた直後で、(期待が過大だったせいか)本書に失望し、ややラスキンを貶めるかのような記述を末尾に付け足してしまった。

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→ ジョン・ラスキン 「早くから聖書と詩にめざめていたが、少年ラスキンをとりこにしたのは鉱物だった。天保2年の12歳のころ、鉱物に熱中して一人で鉱物事典を自作している」という。(文章・画像ともに、『松岡正剛の千夜千冊『近代画家論』1・2・3 ジョン・ラスキン』より)

 が、彼の描く絵は断固、素晴らしい(称揚し擁護したターナーには比べるべくもないが)。
 中途半端なままにラスキンほどの人物を通り過ぎるわけには行かない。なので、本稿で若干の補足を試みるものである(無論、彼の全貌など小生には到底、展望しきれるはずもない)。

 ラスキンについては、「空と山を眺め描くのみ…ラスキン」の中で、幾つかの作品を載せつつ多少の紹介を試みている。
 是非、ラスキンの手になる作品を見てもらいたいものである。

 ここでは、サイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)の中でサイモン・シャーマが引用しているラスキンの言葉を幾つか掲げてみたい。
 話の脈絡を欠いての転記になるが、まあ、言わんとすることは分かるに違いない。

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← ジョン・ラスキン John Ruskin 『Chamouni 1843』 (画像は、「A John Ruskin Gallery Drawings and Watercolors」より)

 山岳登山ブームに湧き始めた頃のラスキンの憤慨ぶり:

 きみたちは自然を侮辱した。即ち自然景観に対するあらゆる深い聖なる感情に侮辱を加えたのだ。フランス革命派の人間はフランスの大伽藍を厩舎(うまや)に変えたが、きみたちは地球の大伽藍をして競走場に変えたのだ。きみたちが何を快と思うか、ひとつにはその身廊を汽車で回り、その供物台を食い散らかすことだ。きみたちはシャフハウゼンの滝に鉄道の橋を架けた。ルツェルンの岩壁にはテルの礼拝堂の所でトンネルを掘った。ジュネーブ湖のクラランの岸を台無しにした。……かつてきみたちの詩人らがあれほどもう敬い愛したアルプス本体は、きみたちはこれを熊いじめの小屋の石鹸を塗った柱くらいにしか思わず、自ら上り、「歓喜の叫び」とともに再び下りてくる。叫び声が終り、ともにいて愉快と言えるような人語が聞こえないと、谷間の静寂を火薬の爆発で吹きとばし、自惚れの凍傷で皮を真っ赤にしたまま国に急いで戻り、自己満足に痙攣したように、いやに実によく舌の回ること。(『胡麻と百合』より)

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→ ジョン・ラスキン John Ruskin 『Study of Thistle at Crossmount』 (画像は、「A John Ruskin Gallery Drawings and Watercolors」より)

 ラスキンが初めてアルプスを見たのは一八三三年、両親と一緒の旅行中にシャフハウゼンの滝から見たのだった。その時の感動を思い出して:

 一瞬、雲があるなどということを我々のだれしもが忘れた。山頂は澄みわたる地平の稜線上に鋭く水晶のように輝き、沈み行く日を受けてもう薔薇色に染まっていた。我々がかつて考えたこと、夢みたところを遥かに越えて、失われたエデンの壁を見てもこれほど我々には美しくは思われなかったであろう。聖なる「死」の壁もこれほど畏怖に満ちたものには思われなかったであろう。(『プレーテリタ(Praeterita)』より)

「ラスキンの考えでは、ヴィオレ = ル = デュックの大間違いは何か不動の地質学的構造が現に存在し、山もそこに帰るというようにした点であった。そんなものはどこにもない。山々の秘密、というか山々をして自然の全形態中真に最高のものたらしめる性質は、それらが永遠の運動態であり、幾星霜、その内なる太古からの鼓動を打ち続けているという点なのだ。このことさえ理解できれば、この上なく度し難く頑迷固陋な大地の瘤という山の否定的なイメージは解消するだろう。この確信――ラスキンが最も熱く信奉した確信のひとつだった――がラスキンに、彼の基準からしてさえ最もすばらしい文章を「粘板岩の結晶」について書かせる」として、サイモン・シャーマはラスキンの言葉を掲げる:

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← ジョン・ラスキン John Ruskin 『Rheinfelden』 (画像は、「A John Ruskin Gallery Drawings and Watercolors」より)

 それ[その岩]をさらに仔細に見ると、夏の微風に触れられてざわめいているのだ。海や湖の水面(みなも)が騒ぐのよりはるかに微妙なさざなみ。その表面でそれらのみ揺らぐ様は――この岩はその肌理(きめ)がアイオロス琴(イオーリアン・ハーブ)の弦でもあるかのようにふるえるのだが――子供の声が谺(こだま)する穏やかそのものの春の気のごとくである。これら巨魁(おおい)なる山々の核心に向け、それら屹立する無限の冠峰(crest)どもの区々(いちいち)を貫き、またそれらの得測られぬ峡谷の下を、それらの物質のこの奇妙なふるえが伝わり流れている。もっと力弱い他のものたちは無限なる力に対する己が恭順を、草が突風に首うなだれるが如くに、時々の恐怖感によって表すようにも思われる。山々はそうではない。いかなる暴力や攻撃にも怖れを知らぬほど強力なものと見えながら、永遠の恐怖の象徴を自らに刻みこまれる運命にもある。穏やかな湖、流れ行く川の水面からなら消えるはずのふるえが岩山には永劫に刻みこまれており、誕生から死までひたすら受身で過ごすものたちは時として自らの弱さを忘れることもあるだろうに、山々は自らの幼童期の永遠の記憶をしっかりと抱え込まされているのだ。(p.585)

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→ ジョン・ラスキン John Ruskin 『The Glacier des Bossons, Chamouni』 (画像は、「A John Ruskin Gallery Drawings and Watercolors」より)

 さらに、サイモン・シャーマは、下記のようにやんわりとラスキンを皮肉りつつも、ラスキンの言葉で「8章」を追える。
 サイモン・シャーマは言う:「詩的に過剰というばかりではない。価値観を根本から揺るがせもする文章。というのも、もしこうして山々が難攻不落の頂点などではないということになれば、それらを征服することに熱中してきた幾千年とはただ単に帝国主義の自惚れが発揮され続けただけの歴史ということになるはずだからである。山々の斜面が繊細優美なものだとすると、ロマン派が「怖ろしき絶壁」なるものを謳(うた)うに弄した大仰な張喩など、自己欺瞞の煽情趣味以外の何であろうか。山々が惜しみなく与える優しい存在なのだとすれば、山腹に男性像ばかりか女性の像を彫り刻んでも不都合は何もなかろう。ラスキン自身、自らの神の如き力ある者とする男性的な滑稽きわまる思い上がりを全能の神が嘲笑している姿こそが山々だ、と想像したことがあった。山々は、自然そのものがそうであるように、産み出し、曲線的で、豊穣かつ慈しみ深いものであって、案に相違して女性的な存在なのだ。ラスキンはあのアンリエット・ダンジュヴィルと同じように、モン・ブランを「恋しい山(マウント・ビラブド)」と呼び、優しくも強烈な心情を山々に捧げたが、これを女性に対して抱けるようになるのは人生も終り近くになってのことであった。そして山々が本当に恋人であるかのように、誰かがそれを鉱物の動かぬ堆積物という扱いで馬鹿にすると激しく怒り狂うのであった。大石に輝く物質の脈絡を認めると、生き物を見ていると思うのであった。地球を生きさせている自然の力すべてが山脈山塊の産出する力を頼っているのではないか。絶対に山々が動かし、山はまた「大気の動きと性質に変化」を生ぜしめるし、「大地土壌に永久に変化」をもたらす。世界の生命の核にあるのは人間などではなく山々なのだということを理解できぬのは愚か者だけだ。山の作用は、とラスキンは書いている。」:

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← ジョン・ラスキン John Ruskin 『The Aiguille Blaitière』 (画像は、「A John Ruskin Gallery Drawings and Watercolors」より)

 木々に実をならせ、種をして土中に増殖せしめる法と同様、めいっぱい感謝されて然るべきものである。こうして、代々世界から恐怖の目で見られ、死の永遠の像とでもいうべき相手からという風情で人々が目をそむけてきた荒涼と脅迫の存在としての暗い山は実際には、平野の輝かしい豊かさを結集してもはるかにかなわぬ恵みに満ちた命と幸福の源なのである。谷は養いはする。が、山は我々を養い、守り、強くしてくれる。我々は恐怖と崇高の観念を山から、そして海から代わる代わる汲(く)んできた。この二つ相並べるは実に不公平である。恵みにも満ちる海の波は一方では呑み尽くす恐ろしい存在だが、青い山の音なき波は永劫の慈しみの静もりの裡(うち)に天に向って上る。片やうねり立ち、その暗黒も得測られぬに対し、他は忠(まめ)ならぬなく、自らに与えられた象徴の封印を久遠(くおん)に担う。

 「汝(いまし)が義、大いなる山の如く、
 汝(いまし)が審判(さばき)は深き大海(わたつみ)」

                           (p.585-7)


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→ 上で示したが、サイモン・シャーマは、ラスキン著の『プレーテリタ(Praeterita)』(この「過ぎしことども Praeterita,」は未完の書のようだ。 The Autobiography of John Ruskin, Oxford University Press, 1978. paperback edition)からもラスキンの言葉を引いている。サイモン・シャーマによると、「ケネス・クラーク卿がいみじくもラスキンが快楽のために書いた唯一の著作と称した素晴らしい自伝」なのだそうだ。ラスキンのこの自伝だけは読んでおきたいものだ。(画像は、『ホイッスラーの美術論 (3)』より)

 ジョン・ラスキンについて知るには、以前も紹介したが、下記の頁がいい。
 ラスキンの手になる画も載っている:
本誌表紙の絵について」(ホームページ:「短歌結社 水甕」)
                            (08/01/10作)

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