ジョゼフ・ライト…科学・技術をも照らす月の光(後篇)
← ライト、ジョセフ Joseph Wright of Derby 『亡夫の武具の番をするインディアンの族長の寡婦 The widow of an Indian chief watching the arms of her deceased husband』(1785 Oil on canvas, 101.6x127cm, Derby Museums&Art Gallery ダービー美術館) (画像は、「アート at ドリアン ジョセフ・ライト」より) 下で掲げてある『Le soldat mort』の画像と併せてみると興味深い。(ラ・トゥールはともかく)カラヴァッジョに学んだことを感じさせるのだが。二人の女性共に胸まで肌蹴(はだ)ているのは何故?
ジョゼフ・ライトについては、(ネット上では)英語での情報は、さすがに豊富:
「Joseph Wright of Derby - Wikipedia, the free encyclopedia」
「Joseph Wright of Derby Biography」
→ ジョゼフ・ライト『Vesuvius in Eruption, with a View over the Islands in the Bay of Naples circa (ナポリ湾の島々が見えるヴェスヴィオ火山の噴火)』(1776-80 テイト・ギャラリー、ロンドン) 藤田治彦著の『天体の図像学』に載っている画像とは色合いが随分、違う。ちょっと色褪せている…。本のほうは、焔は業火を思わせる凄みがある。画面右上方の雲間から顔を出す月影…。あくまで穏やかな波間…。
本書(藤田治彦著の『天体の図像学』)では、藤田氏は、夜空に輝く月を描くライトに注目している:
ライトは一七七四年早春から翌七五年秋にかけてイタリアに滞在し、そのころから多くの風景画を描くようになった。《ポルティチから見たヴェスヴィオ火山の噴火》や《ナポリ湾の島々が見えるヴェスヴィオ火山の噴火》では、「蝋燭画」のテクニックを十分発揮し、蝋燭やランプの代わりにヴェスヴィオの噴火を光源に世紀の天変地異を描いている。そこでもライトは月を描くのを忘れなかった。空の月でさえ顔色を失う地上の大噴火を表現すると同時に、そのような束の間の激変を見守る静かな、しかし、変わらぬ光を表すためでもあっただろう。
← 『The Blacksmith’s Shop(鍛冶屋の仕事場)』(1771年 イエール大学英国美術センター、ニュー・ヘイヴン) (画像は、「The Works of Joseph Wright of Derby」より) 藤田治彦著の『天体の図像学』に掲げてある画像とは少し違う。
藤田治彦著の『天体の図像学』によると:
三人の男が、鉄床の上に置かれた灼熱の鉄の塊を大小のハンマーで鍛えている。その鉄塊から発する赤白い光は男たちと二人の子供(ここが違う。上掲の画像では少年ではなく、二人の少女(?)として描かれている)、そして画面右端に腰掛けた一人の老人の顔を照らし出している。(中略)帽子を被った老人は(中略)顔を下に向けて、自らの考えにふけっている。(中略)その傍らに物思いにふける老人が描きこまれることの真意は不明のままである。
その上で、藤田治彦氏は、輝かしい近代科学・技術の誕生に置き去りにされ疎外される旧世代を象徴する以上の意味合いがあるという説をも本書で示しているが、ここでは面倒なので省く。
是非、本書(藤田治彦著の『天体の図像学』)で、どのような説が示されているのか、確かめてもらいたい。
ただ、それはそれとして、鍛冶場の眩い光を描きつつも、画面の隅には月明かりという自然の光をジョゼフ・ライトは描くことを忘れないことに藤田氏は留意している。
時代に疎外されても月光は雲間から老人を優しく照らしてくれると、ライトは言いたげのようである。
→ 『The Hermit Studying Anatomy 』(1771–1773年 Derby Museum and Gallery.) (画像は、「The Works of Joseph Wright of Derby」より)
藤田治彦著『天体の図像学』によると:
ライトが描く月は、東方の三博士をはじめとする人々を、新しい時代の誕生の現場へと導く星なのではないだろうか。そして、その星のもとに描かれる老人は阻害されたヨセフというよりは、新しい時代の始まりを見届けようとする賢人(マギ)と見ることはできないだろうか。《空気ポンプの実験》でも《鍛冶場の仕事場》や《外側から見た鍛冶屋の仕事場》でも、老人を含む人々の真上や背後に雲に隠れそうな白い満月が描かれており、少なくとも画家ライトは、両者を結びつけていた可能性は高い。この仮説が正しいとするならば、その月は、雲に隠れようとしている衛星、というよりはむしろ、夜空を覆う雲を晴らし、常に一条の光を地上にもたらす天体なのである。
← Joseph Wright of Derby 『Le soldat mort』(1789年) (画像は、「Le soldat mort」より)
藤田治彦著の『天体の図像学』によると:
一七八〇年代には故郷ダービーの北に広がるピーク・ディストリクトの自然や、アークライトの紡績工場なども描いているが、そこでもライトが好んで選んだのは夜景であり、上空にはやはり月が輝いている。アークライト綿織物工場の五階建の建物の窓にはすべて光がともっている。人々は夜間も仕事をし、機械が動き続けている。人工の光の眩しさに、いつ消えても不思議ではないように思える月だが、ライトの絵画からそれが消えることはなかった。太陽の光は地上の人工の光で置き換えられても、か細い月は地に代わるものがなかった。
→ ジョゼフ・ライト『日の入りのネミ湖の光景』 (より鮮明な画像は、「ジョセフ・ライト|ブログで名画」にて)ライトは、その絵画の画面のなかで、主たる光源を太陽に代わる新しい光、科学や産業で置き換えながらも、その新たな主光源だけを光とせずに、常に副次的な光として輝き続ける月をそこに描き添えた。それは、ダービーという一地方都市で、産業革命に重要な役目を果たしたが地方にとどまった人々のために作品を描き続けたライト・オブ・ダービーの、衝撃的な代表作《空気ポンプの実験》などからすれば意外な、しかし、穏やかで持続的なアイデンティティの表明だったのではないだろうか。
夕張にもこんな画家や写真家らが居るんだろうな。
(08/01/13作)
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