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2008/02/11

「天体の図像学」の周辺

 藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)を読んだ。
 感想文を書く余裕はないので、実に羨ましい機会に恵まれた片のブログ記事を参照する:
I my me gallery blog 「天体と宇宙の美学」展(滋賀県立近代美術館)その2……講演会「天体の図像学」

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← 『天体と宇宙の美学』展ポスター 07年秋に開催されていた。(画像は、「sLab 銀猫亭 天体と宇宙の美学」より) 「滋賀県立近代美術館」によると、「地球上の生命の源である太陽。満天の夜空に輝く星と月。広大無辺の空間に漂う銀河系。人間の魂を魅了して止まない宇宙の謎と神秘は、美術の中にどのように表されてきたのでしょうか。天体や宇宙をテーマにした様々な美術作品の中に、芸術家たちが思い描いた宇宙像や夢を探ります」という。

 藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)は、内容紹介によると:

古代ギリシア・ローマから20世紀モダン・アートに至るまで、ヨーロッパだけでなく西アジアや新大陸までを視野に置きつつ、太陽・月・星・地球などの天体が、絵画や彫刻などにどのように描き表わされてきたかを、200点以上の豊富な図版でたどり、独自の鋭い視点で考察する。

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→ 藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)

 小生は、この数ヶ月、主に西欧の風景画(の変遷)を見てきた。我がマイブログテーマである、「雲」「空」「川」「海」「天」「水」「霧」、要するに「水」つながりの話題を広く緩やかに大らかに寄り道・迷い道大歓迎で散歩・探訪していこうと、ながながだらだらと歩いてきたのである。
 風景画は、ルネサンス期に生まれ、主にオランダで大きな展開を見せたが、背景には描く技術(絵具などの画材の発達)や宗教革命・農民戦争などを契機にしての宗教的制約(呪縛・桎梏)からの解放、望遠鏡・顕微鏡技術の発見・発達、地学や化学の誕生や発達、大航海時代というヨーロッパ人にとっての世界観・人間観・宗教観の大変貌、つまりはコペルニクス的大転回があることを指摘している。
 宇宙観の変化は、風景を見る目をも変化させた。極端な言い方をすると、誰もが宗教的権威の教える世界をではなく、自分の目で世界を風景を眺めることを余儀なくされたのである。あるいは見る楽しみ、知る楽しみを覚えてしまったわけである。
 歩く道は誰彼の指図で決めるのではなく、自分が決める。自由ではあるが、不安が裏腹でもある。責任と結果は自分に掛かってくるのだから、当然である。

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← エル・グレコ作『聖母被昇天』((Asuncion) 1577-1579年 401×229cm | Oil on canvas | シカゴ美術研究所) (画像は、お馴染み、「 Salvastyle.com サルヴァスタイル美術館」の中の「エル・グレコ-聖母被昇天-」より) 是非、画像を拡大して見てほしい。特に聖母の背景となっている月の様子。既に月の表面が、当時としては知りえる限りの程度にリアルに描かれている。尤も、この絵は、(藤田治彦 著の『天体の図像学』によると)、「聖母の足元の三日月を斜め前から描いた西洋絵画史上最初の――そして、それ以後も稀な、明確に――作品のひとつであろう」とか。対抗宗教改革期の必死の抵抗。瀬戸際の宗教画。これは小生の憶測だが、月影が天体望遠鏡で従前よりは遥かにリアルに眺められるようになり、神々しく光り輝いた、神秘性に満ちた三日月から墜落してしまった…、月は今や風景の一つになってしまった…。逆に言うと、にもかかわらず、聖母は(神は)そうした天体よりも上にあるものだという主張(ギリギリの祈り)が篭められているのではないか。いずれにしても、それまでの宗教画、祭壇画で聖母像に付せられる三日月は聖母の左肩上方に神々しく描かれるのが常だったのが、以後しばらくは、聖母の足下に描かれるようになる。

 こうした時代に人々の世界(宇宙)を見る風景の上でどのような変化があったのかを、図像(学)を通して見ようと思う。その意味でも、藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)は小生にとって恰好の著作だった。
 丁度、二年前の刊行となっている(本稿は1月10日に書いている)。
 小生はこの本を図書館で見つけたのだが、二年前の刊行時から書架にあったのかどうか分からない。新刊だから、何人かの人に借り出されていた可能性がある。 
 けれど、小生、難解な本には手を出さないことにしている。
 難解にもいろんな意味があって、テーマ的に興味が湧かないこともその理由でありえる。
 今回、図書館でこの本を見たとき、これだ! とばかりに手が伸びてしまった。中を見て、即、借りることに決めた。
 というのも、この小稿に掲げた画像を見つけたからでもある。

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→ パルミジャニーノ作『バラの聖母』(1529-1530年頃 | 油彩・板 | 109×88.5cm | ドレステン国立絵画館) (画像は、お馴染み、「 Salvastyle.com サルヴァスタイル美術館」の中の「パルミジャニーノ-TOPページ-」より) 奇想の画家・パルミジャニーノの『バラの聖母』の背後の薔薇も意味深なのだが、ここでは画像の右下の地球儀に注目。子供(キューピッド?)の玩具にされている ? !

 「天体と宇宙の美学」展があり(!)、「天体の図像学」と題する講演会(講師:藤田治彦・大阪大学大学院文学研究科教授)での話を聞く機会を持たれたとのこと。
「西洋における美術作品において、天体、特に太陽と月の描き方においてある特徴が見出されるということがこの講演のテーマ」というが、上掲書のテーマの一つでもある。本書は図像学という武器で紀元前からの主に西欧の天体観や天体(世界)の表現の変遷を垣間見せてくれる。

 同上のブログには講演会の要点が纏められている(これは同時に上掲書の論点の纏めともなっている)。

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← ティエポロ 1696~1770 GiamBattista Tiepolo『??』 多くの人はティエポロの優美・流麗な女性像をひと目見たなら惚れるだろう。「≪ ティエポロ、ジャンバッティスタ (3) 優美な女性編 ≫」を見て欲しい。この画像もこの頁(「ジャンバッティスタ・ティエポロ 1696~1770 Giovanni Battista Tiepolo」)から。ここにこの画像を掲げたのは特に意味はない。小生の好みがこうさせた。「ジャンバッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)は、都市国家 ヴェネツィアが咲かせた、ヨーロッパで最大の名声を得た巨匠であった。しかし、彼の没後、ヴェネツィアの衰退と同じく、その評価を下げていった。寓意的・宗教的な主題や内容は時代遅れと評されても、21世紀の現代では、華麗で享楽的で、エキゾチックな画風は<懐かしい><あこがれ><タイムカプセルを覗いた>ような気分にさせてくれる」というが、小生、全く同感である。

 その中の一つによると、ルドヴィコ・チーゴリLodovico Cigoli (1559-1613 上掲書では、「ルドヴィコともロドヴィコとも表記。ルドヴィコ・カルディ・ダ・チーゴリ)は、「サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂パオリーナ礼拝堂の『無原罪の御宿り』の聖母の足下に、クレーターで覆われた月を描いた。 チーゴリはガリレオ・ガリレイの友人で、望遠鏡で観察した月という科学的表現と 宗教的表現を混在させた」(『無原罪の御宿り』は、略さずに書くと『天使たちとアダムとエヴァ、ダヴィデとソロモンのいる無原罪の御宿り』である)。
「ルーベンスがカラヴァッジョに劣らぬくらい評価したというフィレンツェの画家チーゴリ」(「フィレンツェだより (10月15日) 宮城徳也研究室」)ということで、知名度はそれほどなくとも、注目していい画家だと思える。
 特に小生は、『無原罪の御宿り』には感心した。

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→ ティエポロ 1696~1770 GiamBattista Tiepolo『無原罪の御宿り』(プラド美術館、マドリード) 画像は、「≪ ティエポロ、ジャンバッティスタ (3) 優美な女性編 ≫」より) 聖母が踏んでいるのは、地球(儀)。白く細い三日月は、足下に堕ち、地球の背景に貶められて、往年の神々しさは見る影もない。この画像の載る頁のホームページは、「のぶなが我が人生」。

 生憎、小生にはネットでは肝心の画像を探すことはできなかった。pdf形式の文書の中に、白黒のあまり鮮明ではない画像があったが、コピーはできなかった。
 この『無原罪の御宿り』(1610-12)という作品は、歴史的に図像学的に興味深いし意義もあるのだが、絵としても素晴らしいもので、是非、画像を載せたかったのだが(チーゴリの『聖フランチェスコSan Francesco』などのほかの作品は案外と容易に見つかる:「Lodovico Cigoli - Wikipédia」)。
 要点は、「『無原罪の御宿り』の聖母の足下に、クレーターで覆われた月を描いた」こと、つまりは「チーゴリはガリレオ・ガリレイの友人で、望遠鏡で観察した月という科学的表現と 宗教的表現を混在させた」ことである。
                            (08/01/10作)

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