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2008/02/25

長谷川雪旦の『江戸名所図会』

 タイモン・スクリーチ著の『江戸の身体を開く』(叢書メラヴィリア〈3〉 作品社)を読んでいたら、『江戸名所図会』に挿図を付している長谷川雪旦という絵師の名が出てきた。
 ほとんどべた褒めである。
(小生としては、タイモン・スクリーチ著の『江戸の身体を開く』をこそべた褒めしたい気分である。)

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← タイモン・スクリーチ著『江戸の身体を開く』(叢書メラヴィリア〈3〉 作品社

 まあ、下でも紹介するが、生粋の絵画ファンや美術プロパーの方よりも時代劇のファンは、ドラマにしても小説の場面を思い浮かべる際にも、随分とお世話になっている、あるいは、ああ、この時代考証やら風景って、長谷川雪旦の御蔭を被っているなって、思ったりしているのではなかろうか。

「江戸時代後期に斎藤月岑が刊行した江戸の地誌。7巻20冊。長谷川雪旦の挿図も有名」という『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』については、追々説明していくが、急いで知りたい方は下記へ:
江戸名所図会 - Wikipedia

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→ 長谷川雪旦画 妙薬「「錦袋円」」を売る勧学屋(『江戸名所図会』) (画像は、「江戸名所図会 - Wikipedia」より)

大成建設 ライブラリー - 泥棒容疑も かけられた 絵師の雪旦」:

 天保5年(1834)年に出版された『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』は画期的な江戸のガイドブックとしてベストセラーになった。辛口の評論家でもあった滝沢馬琴(たきざわばきん)が「その秘密は挿絵にある。江戸まで旅のできない婦女子にとってこれほど楽しめるものはない」と絶賛した。
(中略)
 江戸研究家の三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)が「捕物の話」のなかで、雪旦の仕事振りを伝える面白いエピソードを残している。

 江戸時代の後期、水道橋(現・文京区)際に守山という鰻の料理屋があった。ある晩、そこに盗賊が入った。調べると、前の日に僧体の男が独酌で御茶ノ水を眺めながら長いこと絵を描いていた。盗みに入る下調べの疑いもある。これが雪旦で、気の早い目明しが雪旦の知人である国学者の前田夏蔭(まえだなつかげ)に様子を聞いた。

 奉行所の役人にも弟子の多い夏蔭は「あの雪旦を知らんのか」と叱りつけたので目明しは恐縮して引き下がったというのである。どうやら、その風体と夢中な仕事振りが誤解を招きやすかったようだ。

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← 長谷川雪旦「両国 回向院」(『江戸名所図会』巻之七 揺光之部)

江戸本の魅力 「江戸名所図会」」:

江戸とその近郊を全7巻20冊で紹介した地誌。天保5年(1834)正月に前編の10冊が、同7年夏に後編の10冊が出版されました。著者は、神田雉子町(現・千代田区)の名主・斎藤幸雄(長秋)・子の幸孝(県麻呂)・孫の幸成(月岑)で、挿絵は長谷川雪旦が担当、板元は日本橋の須原屋茂兵衛と茅町(現・台東区)の須原屋伊八でした。内容は、1,043ヵ所の神社・仏閣・名所古跡といった名所の沿革や由来を述べるとともに、雪旦によって描かれた詳細な挿絵754点がふんだんに盛り込まれています。本書の多くは、江戸の土産や行楽の手引きとして買い求められました。また、江戸の様子を伝えるものとして江戸から遠い人々も買い求められました。江戸の様子を知る手段として最も適した出版物であるということは、本書が慶応3年(1867)に開催されたパリ万国博覧会へ出品されたことからも伺うことができます。

 以下の説明も興味深い。是非、当該頁へ。

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→ 長谷川雪旦「葛西里」(『江戸名所図会』巻之七 揺光之部)

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← 江戸名所図会① 斎藤長秋撰 斎藤懸麻呂等校 長谷川雪旦絵 7巻 20冊 天保7年(1836)(画像は、「東北大学附属図書館企画展 展示資料」より) 「日本橋の魚市の図。魚市の大変な賑わいが良く伝わってくる。右下の店先には大きなマグロが見える。他にも、ふぐや鯛、ひらめなど多くの魚が並んでいる。『江戸名所図会』は、神田の名主・斎藤家の祖父・父・子三代が30年をかけて作り上げたもので、当時の江戸の様子を知ることのできる書」 この図の「詳細表示画面

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→ 長谷川雪旦「御茶の水・水道橋」(『江戸名所図会』 画像は、「東洋文庫OnlineLibrary」より)「江戸の外堀、神田川の北方、駿河台、お茶の水から水道橋を望む景色。駿河台は樹木が茂り、対岸のお茶の水には神田川を見下ろして町屋が立つ。彩色のない素朴な線描画であるが、水道橋より更に上流の川筋を見とおす遠近感、立体感に富んだ構図である。  解説:東洋文庫理事 田仲一成

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← 長谷川雪旦「鎌倉町、豊島屋酒店白酒を商ふ図」 「例年二月の末、豊島屋の酒店に於て雛祭りの白酒を商ふ、是を求めんとして遠近の輩黎明に市をなして賑へり」 (画像、説明文ともに「◎江戸の祭り・江戸の市」より)

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→ 『「江戸名所図会 本門寺」 斉藤幸雄著 長谷川雪旦画 (天保5-7年)』より部分 (画像は、「長谷川平蔵 雪の『此経難持坂』決闘」より)
小説の舞台になった池上本門寺の石段『しきょうなんじざか』」なども描かれている。

長谷川平蔵 雪の『此経難持坂』決闘」:

●鬼平(おにへい)で知られる『鬼平犯科帳』池波正太郎著の中で、池上本門寺の石段が登場する。タイトルは『本門寺暮雪』である。小説の初出は、昭和48年12月文藝春秋刊「追跡」の中に収録された。
(中略)
■『本門寺暮雪』から決闘のあらすじ……
平蔵と録之助は、凄い奴の追跡を諦め、池上本門寺に参拝することになった。冬の雪降る午後の4時頃のことである。あたりは薄暗くなり、二人は「此経難持坂」96段を登り始めた。あと五~六段というところで突如、上から剣が振ってきた、録之助は一撃で石段を転がり落ちていった。平蔵は刀を抜くまもなく応戦、体当たりを食わせたがかわされた。数段落ちた平蔵が最後だと観念すると、先ほど餌を与えた柴犬が凄い奴の足にかみつき、その隙に平蔵は体当たりを食わせ石段から追い落とした。刀を落とし逃げる凄いやつを追いかけ、切り捨てた。この舞台が「此経難持坂」なのである。

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← 「1841年の本郷追分 長谷川雪旦親子が描いた高崎屋絵図」 (画像は、「本郷追分」(「高崎屋ホームページ」)より)

1841年の本郷追分 長谷川雪旦親子が描いた高崎屋絵図」:

この絵図は、「天保の改革」により華美や贅沢を厳しく取り締まる一環として、幕府から屋敷を大幅に縮小する命令が出たことから、後世に家屋敷のありさまを伝えるために江戸名所図会の絵師で高名な長谷川雪旦親子に依頼して描いたもの。

手前の広い通りが「本郷通り」、左を「中山道」が通る分岐点に広大な屋敷と築山を持つ庭園が描かれている。高崎屋は本郷通りの手前の現東大農学部側にも敷地を持っていたということがこの絵でわかる。

高崎屋はこの絵図の完成後に屋敷を大幅に縮小した。店舗は明治になり建て替えられたが、大震災や戦災を免れ、現在も「店」として使われている。
                          (08/01/14作)

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