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2008/01/28

ルーク・ハワード(後篇:雲と風景画と)

 気象への関心が高まった、そんな折りしも気球が発明され実用化の一歩を踏み出していた。
気球 - Wikipedia」によると、「熱気球が発明された1783年以降19世紀までフランスを中心にヨーロッパで気球ブームが起き、遊覧飛行や冒険飛行が頻繁におこなわれた」という。
 冒険や遊覧にしか気球が使われないってことはないだろう。
 熱気球がブームとなった頃、海の向うではアメリカが独立し、ヨーロッパでは革命が起き、激動の時代を迎えていた。

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← 『Landscape and cloud study by Luke Howard, c 1808-1811.』 (画像は、「Science and Society Picture Library - Search」より)

 科学の歴史については、18世紀は、「イギリスではブラックやキャヴェンディシュらが気体の研究を行い、酸素や水素が発見される。フランスではラヴォアジェ、ドルトン、アヴォガドロらを経て、19世紀に原子の考え方に行き着く」といった時代である。
 さらに、「18世紀後半から19世紀にかけて学問の分化が進む。ボルタやエルステッド、ファラデーらにより電気学が、カルノーやクラウジウス、ケルヴィン卿により熱力学が、リンネやウォルフらにより生物学の研究が本格的に始まる。ヴェーラーやリービッヒにより有機化学が始まり、染料や薬品の合成、栄養学が始まる。生物学ではラマルクやダーウィンが進化説を、シュライデンらが細胞説を提案する」。

 登山にしても、山は多くは信仰の対象であり、宗教的な目的での登山はあっても、研究や調査・測量や娯楽のための登山は歴史に残る形では皆無に近かった。
 それが、登山の父と呼ばれるペトラルカは別格として、「ルネッサンスの始まりと共に趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようにな」ったという。

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→ 『Rural landscape and cloud study by Luke Howard, c 1808-1811.』 (画像は、「Science and Society Picture Library - Search」より)

 18世紀の「ヨーロッパは、懐疑主義や個人主義に基づく啓蒙の世紀に突入する」。
キリスト教の歴史Ⅱ」(ホームページ:「The Truth of Christianity」)によると:

古い伝統にとらわれたカトリック教会は新思想の敵だと見なされたが、それに対抗して内部を刷新し思想リーダーとなるに足る人物に恵まれなかった。教会が国ごとに自立する傾向が生まれ、ついに市民革命と世俗国家の誕生につながった。プロテスタント世界では教義への関心が薄くなり、宗教が単なる実践理性の要請と見なされるようになる。イギリスでのメソジストの登場など改革運動もあり、キリスト教福音主義はアメリカ独立のアイデンティティにもなったが、プロテスタント全体のまとまりはなくなり、ひたすら多様化していく。

 既に宗教改革の運動は始まっている。紆余曲折があっても、既成の宗教的権威が大きく揺らぎ始め、科学や哲学する、つまり自分で観察し考え感じ生き方を決めるという発想が民衆レベルに広まっている。
 天にしても地にしても、宗教の色眼鏡、あるいは物語や神話というクッションがなくなって、森には妖精は不在となり(俗な形での物語りは逆に生まれたが)、コペルニクス的転回の結果、天には神はましまさず(神は何処へ行ったの?)、海の彼方には既にアメリカが新世界として誕生していた。
 全てを自分の目で、人間の観察と分析で見直すことが始まっていた。
 既にルネサンスで生まれていた風景画が、新興の商人層・産業人層の台頭を背景に幅広く歓迎されるのも18世紀末から19世紀なのである。

 そんな啓蒙の時代という18世紀の特に終わりから19世紀初め頃を象徴する人物というと、ゲーテが挙げられるだろう。ワイマール公国の首都ワイマールに招かれ、その地を根城に時にイタリアへも旅し(イタリア紀行)、最後まで古典主義の精神を生きた人物。形態へのこだわり。
 ゲーテ(が創始したという形態学)に象徴されるようなワイマール文化というのは、あるいは、プロイセンを中心とした小国が群雄割拠する中での奇妙な政治的安定期にあっての婀娜花なのだろうか。

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← 池内 紀【著】『ゲーテさんこんばんは』(集英社文庫) 

 せっかくなので、池内 紀【著】『ゲーテさんこんばんは』(集英社文庫)を読んでみた。

Amazon.co.jp」の同書の単行本での内容紹介によると:

 月並みな言葉だが、おもしろくてためになる、を地で行く本である。『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』などの名作で知られる文豪でありながら、ずいぶんと楽しく、おかしな人でもあったゲーテの生涯を興味深いエピソードを織り込んで丁寧に追った1冊だ。
ゲーテは「実感・体験の人」であった。文人宰相でもあったゲーテは、ワイマール公国の顧問官として逼迫(ひっぱく)する宮廷の財源確保のため、自ら山深い鉱山を渉猟する。石に魅せられて、1万9000点余りの石を収集する。官職から逃亡した遊山の旅は『イタリア紀行』に詳述されるが、ヴェネツィアの迷路のような街路を、まず彼はひたすら歩く。ガイドを頼まず、人にも道を尋ねず、自らの足と五感で都市を実感・体験した後、ようやく地図で理解を深め、聖マルコの塔に登って上から眺める…。

 スケッチの名手でもあった彼は、世界初の気象予報士として、多くの雲を描き、研究する。それは自分の実感や体験をよすがにして世界の本質が捉えられると信じられた、幸せな時代の最後の文豪の姿である。ニュートン以降の近代科学は、世界を数と量のシステムにしてしまう。『色彩論』でニュートンの科学を批判(!)するゲーテに、快哉を叫ぶ数学嫌いは多いだろう。科学の不思議には魅せられるが、自分の「実感」を超えた科学の事実には決して納得しない。これはこれで、立派な生き方である。理屈やガイドブックに頼りがちな現代人には、ゲーテの手足・五感を総動員した生き方は示唆に富む。森羅万象を「自分流」に追究した彼の人生はすがすがしい。

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→ Luke Howard 『Snowy Cumulumus』 (画像は、「The Weather Notebook Luke Howard」より)

 最後にサイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)から、サイモン・シャーマがヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-62)の自然観を批評するくだりで述べている本書における彼の基本的な考え方と思われる部分を転記する。
 ソローについては有名だし、彼の自然観は知られているものと思うが、念のため、ソローの考え方を(サイモン・シャーマが)祖述している部分から転記を試みる:

 歴史的感傷がこうしたものに行きついたとすれば、パゴダだの、イタリア風だが由来も定かならぬ野外音楽堂だのを売りにする「プレジャー・パーク」で覆われている姿をラスキンが悪夢に見た都市に、あるいはその全てがゴシック様式、パラディオ様式に対する卑しいパロディでしかない趣味馬鹿の別荘(ヴィラ)の列また列に行きついたのだとすれば、歴史なんてただの糞だ。「誰よりも祝福されてあるべきは」とソローは言っている、「短い人生を、須臾(しゅゆ)の間(ま)も過去を憶い出すことに費やすことのない人間である」、と。ソローがいつも勧めていたのは一種の幸福な記憶喪失(アムネジア)である。死せる者たちの重荷を捨ててこそ、真に、自然に生きてある世界が見えてくるのではないか、と。歴史のつまみ食いを止めるには、容赦ない目で我々の過去を検討し、それが愚行と恥の済度しがたい記録だと知ることが必要だ。ソローが歴史を否定したのは、それが自然と相いれないという熱い確信があったからである。文明が一貫して自然に対して為してきたこと、それは、とソローは考える。大人しいv忠順な相手に変えること、「掴みどころなく、震えている沼」でなく、草のはえた境界を持ち、花壇向きの一年生植物でいっぱいの相手に変えることではなかったか、と。
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← Luke Howard 『Cumulus with Cirro-Stratus』 (「巻層雲(うす雲)」を伴う「積雲(わた雲)」  画像は、「The Weather Notebook Luke Howard」より)
 私はこれまでこの『風景と記憶』の厖大な紙幅を費して、少しく違った見解を述べ、異った物語をひとつ組み立ててきた。野生と文明の境界、そして過去と現在の境界がそう明確には決められるはずがあいと思えるからである。山の斜面をよじ登っていようと、森をほっつき歩いていようと、我々西洋人の感性は神話と追憶でふくれあがった背嚢(はいのう)を背負っている。我々はドゥヌクールの道を歩き、ペトラルカの行ったうねうねとした道をのぼっているのである。この歴史を負うのに、何かを守るとか何かに腹を立ててとかいうのであってはならない。なぜなら、その袋の中には豊かな賜物が――我々が地から取ったものばかりか、われわれが地に植えることが出来るものも――入っているからである。とにかく作物が欲しいということで我々は土地を吹けば飛ぶような細かい塵にと挽いてしまうこともあるが、その表面の心土(サブソイル)をほんのちょっと掻き回すだけで、しっかりと豊かな記憶の壌土(ローム)が見つかる。我々は、最も悲観的な環境論者が考えるより徳があったり、賢かったりするわけではない。記憶がしっかりしているというだけのことだ。世代ごとに累重してきた過去の総体が四季のゆっくりした腐葉土のように、我々の未来の培養土(コンポスト)となる。我々はそのお蔭で生きていかれるのだ。
 ソローもそのお蔭で生きたのである。(以下略) (p.657-8)


                         (08/01/04作)

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