トーマス・コール(前篇:新アルカディア幻想)
ハドソン・リバー派の画家を何人か採り上げてきた。
今回は、「イギリスから米国へ移住し、米国風景画家の父と言われる一人で、父親の仕事を手伝いながら絵を描いていた」トーマス・コール (Thomas Cole)を特集してみたい。
これまで扱ってきたアルバート・ビエスタッドやフレデリック・エドウィン・チャーチ、アッシャー・B・デュランドらよりはネットでも情報が得られる。
→ トーマス・コール Thomas Cole 『The Course of Empire Destruction 帝国の興亡』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より。下記する)
これまで何度か参照させていただいた「理想か自然か―ハドソン・リヴァー派のジレンマ― 生田ゆき」(ホームページ:「三重県立美術館 Mie Prefectural Art Museum」)では、「彼らはある時には第2次世界大戦後の世界の美術地図を塗り替えたアメリカ美術の開祖に祭り上げられ、別の場面ではヨーロッパの偉大な伝統の末席に連ねられ、さらには微細で執拗な細部描写にシュルレアリスムの予兆を見たりと、あらゆる側面からの再評価の声が喧しい」などと、近年再評価されつつあるハドソン・リヴァー派全般について、但し、ウィリアム・ガイ・ウォール(1792-1864頃)の《キャッツキル山脈のコータースキル滝》と、トマス・コール(1801-1848)《コータースキル滝》とを対比する形で鋭く論評されている:
← Thomas Cole 『Saint John in the Wilderness』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より。下記する)
イギリスのランカシャーに生まれ、17歳で家族とともにアメリカに移住したコールは1825年に初めてハドソン川流域の写生を行った。しかしヨーロッパの芸術に深く根を下ろすアカデミーの価値体系は画家の筆に影を投げ、忠実な自然主義者となるのを許さなかった。 コールのそのような性急な人文主義的傾斜はパトロン達を困惑させこそすれ、満足させるものとは言い難かった。以下、上掲の頁の記述を参考にしつつ掲げた画像を見ると味わいも違ってくるだろう。
→ トーマス・コール Thomas Cole 『The Voyage of Life Childhood 人生行路(子供時代)』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より。下記する)
以前も参照させてもらった「トーマス・コール Thomas Cole」(ホームページ:「無為庵乃書窓」)では、「アメリカ的な雄大な風景画の創始者としても知られている。彼はニューヨーク州のハドソン河畔を愛したが、彼の影響を受けた若い画家たちはやがてハドソン・リバー派という、米国で最初の、かつ最もアメリカらしい風景画の一派を形成した」として、トーマス・コールを紹介している。
画像も豊富である。
トーマス・コールの画を一覧し、じっくり眺めるには「トーマス・コール Thomas Cole」がいいだろう。
← Thomas Cole 『Dream of Arcadia』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より) アルカディアの夢とは?「アルカディア - Wikipedia」によると、「ペロポネソス半島中央部の農耕に適さない貧しい山岳地帯だが、後世、牧人の楽園との伝承が生まれた。古代アルカディア人の住地で、牧畜を主とし」、「ユートピア・理想郷・牧歌的な楽園・理想的田園の代名詞的な意味は、楽園伝承から生じた」。「1504年、イタリアの詩人サンナザーロが田園牧歌詩『アルカディア』を書いた。それから、アルカディアは失われた過去の黄金時代への郷愁、というイメージを持ち、理想化された」ようである。
「物語アート ~アメリカ現代美術という物語~ Text by: トシダミツオ」(ホームページ:「ジパング」?)は、現地でのレポートもあり、フレデリック・チャーチについて詳しい説明があることに今になって気がついた。
ハドソン・リバーを遡り、フレドリック・エドウィン・チャーチの邸宅も見てきたという。
ここには一節だけ転記させてもらう:
ハドソン・リバー・スクールの画家たちの登場は、ヨーロッパに対する文化的劣等感とその影響を超克し、アメリカ独自の文化的アイデンティティを創造する試みとして同時代の文学者ワシントン・アーヴィングやジェームス・フィニモア・パーカーなどから熱狂的に支持されたということだ。純粋な人間性と自然との融合を最高の道徳性と考えるその時代の思想(エマーソン)はハドソン・リバー・スクールの画家たちの風景画にその具現化をみた。それはアメリカという新しい国のアイデンティティに根源的なイメージを与え、アメリカのナショナリズムの潮流の基盤を作ったといえるだろう。超大国でありながら、今日に至るまでアメリカが投影する「イノセントな大国」というイメージはこの時期に形成されたのではあるまいか。
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