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2008/01/01

前田常作:曼陀羅画に壺中天!

 明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。
 今年もよろしくお願いいたします。

 …ということで、今年の第一弾。
 多分、豊かな世界が描き示されている曼陀羅画の世界。というと、故・前田常作氏!

出来たばかりの郷里の公園を散歩した」なる記事を大晦日の日にアップした。
 話題の焦点の場所は「富岩運河環水公園」。

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→ 『浄土曼荼羅図』 (時代 鎌倉時代 世紀 14c 素材 絹本著色 寸法 H-89.8 W-41.3) (画像は、「ミホミュージアム - MIHO MUSEUM」より) 詳しくは、「解説 - MIHO MUSEUM」にて。以下、全ての画像が拡大可能です。

 郷里の家から歩いても十分ほどの公園。
 当然ながら、その公園に行ったことがあるし、写真も撮ったことがある。
 その折に撮った画像を上掲の記事に載せたい。
 が、撮り溜めた画像のファイルを覗いても元の画像が見つからない。
(多分、先月(11月)、パソコンに画像ソフトが異常な徴候を示したので、専門家のアドヴァイスもあり、多くの画像をファイルごと、ごっそり削除した、その際に、運河での夜景の写真、雪景色の写真類の元データも消滅してしまった…のかもしれない。)

 せめて何かの記事に掲げた縮小画像でもいいから探し出したい。でも、とうとう見つからないまま。
 それでも、今日も違うキーワードでしつこく探していた。
 その最中、前田常作(まえだ じょうさく)氏という富山に縁故のある画家の記事に出会った。

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← 前田常作画 観想マンダラ図シリーズ「銀河瞑想」(アクリル、キャンバス 181.8×227.3) (画像は、「前田常作の世界」より)

 それだけなら今は話題からは外れるので、読み飛ばしてしまうはず。
 でも、そうはいかない。
 検索のキーワードの一つに神通川を使ったせいだろうか、「終戦の年の7月1日、学徒兵として、故郷の富山の連隊に入隊。空襲があると市民を誘導する市民誘導班だった。8月1日、長岡が激しい空襲にあったあと、富山も爆撃された」といった一節が検索の窓に現れたからである。
 小生には、「花火大会と空襲の間に佇む」や「富山大空襲と母のこと」という記事がある。

Fuji

→ 前田常作画 観想マンダラ図シリーズ「富士」( アクリル、キャンバス 130.0×97.0) (画像は、「前田常作の世界」より)

 当時、「母は不二越にある軍需工場に徴用され、働いていた」:

 8月1日の夜中、空襲警報が鳴り、富山の市街地に米軍機B29(170余機)による空襲(空爆?)が始まった。母は誰かに導かれるままに、寮の仲間等と一緒になって、神通川のほうへと命からがら逃げていったという。その際、数知れない焼かれたり傷付いたりしている死骸を見たとか。
 神通川の橋なども爆撃を受け、川をどうやって渡ったのか、まるで覚えていないという。

 終戦の年の8月1日、富山大空襲があり、母が逃げ惑う、その同じ日に、前田常作氏が体験した話が載っているらしいではないか!
 下で転記する前田常作氏の文中に「神通川という大きな川がある。そこに市民を誘導していたら」とあるが、小生の母も導かれていたその一人なのかもしれない!

Koudai

← 前田常作画 須弥山マンダラ図シリーズ「広大輪光」( アクリル、キャンバス 73×50.0 ) (画像は、「前田常作の世界」より)

 慌てて(慌てるまでもなく、記事は逃げないのだが、逸る気持ちが抑えられない!)、当該の記事を読んでみる:
このまちの人 ロングインタビュー vol.1 前田常作さん

 前田常作氏というと、マンダラ画で有名な人。
 小生も、もう十数年も前、目黒美術館での同氏の展覧会へ足を運んだことがある。
 図録も買った(つい先日、所蔵していた図録はほぼ全て処分した…その際に、その図録も手元から離れてしまった。悲しい! あるいは、その図録にもこの体験のことなども書いてあったのだろうが、ちゃんと読んでいない。でも、その頃は未だ、母の空襲体験の話は聞いていなかったはずなので、読んでもそれほど感銘は受けなかったのだろう)。

Kyokkou

→ 前田常作画 観想マンダラ図シリーズ「天の川極光」( アクリル、キャンバス97.0×129.5 ) (画像は、「前田常作の世界」より)

 富山での空襲体験は、前田常作氏にとって絵画を志す原体験になっているようだ。小生の母の空襲体験に無縁ではないし、当該の箇所を転記させてもらう:

「私がこの仕事をするようになった最初のきっかけは、じつは戦争の体験にあるのです」
終戦の年の7月1日、学徒兵として、故郷の富山の連隊に入隊。空襲があると市民を誘導する市民誘導班だった。8月1日、長岡が激しい空襲にあったあと、富山も爆撃された。
「それはもうすごかったんです。神通川という大きな川がある。そこに市民を誘導していたら、焼夷弾の先の鉄管が水の上をピュッピュッと走って、一緒に入隊した慶応大学の学生の眉間に当たった。その横に二人のおばあちゃんがいて、兵隊さん、戦争は勝ちますかい、と聞くんですね。隊長が大丈夫だ、というと、『なんまん、なんまん』と手を合わせて言う。富山は浄土真宗の信仰があついところで、『南無阿弥陀仏』をなんまん、なんまん、といって念仏を唱えます。私は今日まで、そのおばあさんの『なんまん、なんまん』が耳について、ずっと忘れられない。今でも絵を描くとき、聞こえます」

 文中、「終戦の年の7月1日、学徒兵として、故郷の富山の連隊に入隊」とある。前田常作氏は「1926年、富山県下新川郡椚山村(現在の入善町)に生まれ」た。だから、「故郷の富山の連隊に入隊」と相成ったわけである。
 小生の郷里の家も、昔風に住居を表示すると、下新川郡で、一応は同郷ということになる(やや強引)。

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← 前田常作画 題名不詳(3DCGレンダリングとPhotoshopによる画像) (画像は、「前田常作の世界」より)

 前田常作氏がマンダラの世界に魅入られ自らの絵画技法として取り込んでいく経緯については、上掲の頁などに載っているので、ここでは略す。
(と思ったら、「前田常作 - Wikipedia」での前田常作氏情報は、略歴などしかなく乏しい! というより、「前田 常作(まえだ じょうさく、1926年-2007年10月13日」とあって、亡くなられてそんなに月日が経っていない。小生はこのニュースに気づいてもいない! ちょっとショックだ。でも、大晦日という今日、気づいたのも何かの縁、母の手の導きによるもの…だろうか。)

 一箇所だけ、前田常作氏にとってのマンダラとは何か、を語っている部分を転記する。「20年以上かけて、この途方もない作業に打ち込んできた前田さんにとって、マンダラとは何なのか」:

「密教では、私たちのからだ自身を小宇宙、外側を大宇宙と呼んでいます。私たちはみんな、からだの中に宇宙をもっている。マンダラとはあらゆる神仏を通して、宇宙を感じることなのです。すべて生きとし生けるものは自分の中にあり、すべては同じなんです」

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→ 前田常作画 『天の浮船』<観想マンダラ図シリーズ>(1980-1982 富山県立近代美術館藏) (画像は、「このまちの人 ロングインタビュー vol.1 前田常作さん」より)

 一般的な意味で曼荼羅(曼陀羅)とは何かを語る能は小生にない。
曼荼羅 - Wikipedia」から下記の項を転記すれば十分だろう(それ以上は理解不能):

「マンダラ」という語は、英語ではヒンドゥー教やその他の宗教のコスモロジー(宇宙観)も含め、かなり広義に解釈されているが、日本語では通常、仏教の世界観を表現した絵画等のことを指す。「曼荼羅」はもっとも狭義には密教曼荼羅を指すが、日本においては、阿弥陀如来のいる西方極楽浄土の様子を表わした「浄土曼荼羅」、神道系の「垂迹(すいじゃく)曼荼羅」など、密教以外にも「曼荼羅」と称される作品がきわめて多く、内容や表現形式も多岐にわたり、何をもって「曼荼羅」と見なすか、一言で定義することは困難である。密教の曼荼羅は幾何学的な構成をもち、すべての像は正面向きに表わされ、三次元的な風景や遠近感を表わしたものではない。しかし、全ての曼荼羅がそのような抽象的な空間を表わしているのではなく、浄土曼荼羅には三次元的な空間が表現されているし、神道系の曼荼羅には、現実の神社境内の風景を表現したものも多い。

 ただ、前田常作氏は少なくとも端緒においては特に狭義の密教曼荼羅に魅入られたようだ。多彩な作品を発表されてきたが、基本的に幾何学的な構成が印象的。
 尤も、「密教の曼荼羅は幾何学的な構成をもち、すべての像は正面向きに表わされ、三次元的な風景や遠近感を表わしたものではない」というが、前田常作氏は後年(晩年?)は3D的な作品にも挑戦されている。
 それは、「前田常作の世界」を覗けば、「3DCG(Shade Professional使用)と Javaによるアニメーション」や「3DCGレンダリングPhotoshopによる画像」という作品群があることでも分かるように、一目瞭然である。

Img23

← 前田常作画 『第十八番 日光山中禅寺』<坂東巡礼シリーズ>(1992-2002 (株)ヤマゲン蔵) (画像は、「このまちの人 ロングインタビュー vol.1 前田常作さん」より)

 上で、「小生も、もう十数年も前、目黒美術館での同氏の展覧会へ足を運んだことがある」と書いている。
 調べたら、1990年6月に『前田常作展』が開催されたようだ:
百昼一人the 17th day『画家・前田常作の死を悼む』 - フォノン通信
 このブログの中で、「『曼荼羅への旅立ち』という前田常作さんの著作から」として「印象に残る言葉を引用」されている。ここにも転記させてもらう:

 大宇宙に遍満する信仰の祈りの円輪を、私はインド、ネパール、イラン、イラクの地に見、その波動光を直下に直観した時、宗教的な波動粒子によるものをしきりに感じ始めた。私は点を一点、一点、筆によって描き始め、朦朧たる空間のうちから、密教の、宇宙的な生命が限りなく波動する世界が生まれるのを祈りながら、筆を進めているのかもしれない。点から点への限りない波動粒子の回帰のなかで、曼荼羅の無始から無終への円輪の世界を求めてやまないのだろうか。

 最後に(大晦日の、あと数時間で年を越すというこの時点で…、というより、小生にとって転機の時期に)この言葉に出会えたことを嬉しく思う。

Nirvana

→ 黛 敏郎『涅槃交響曲』 『曼荼羅交響曲』(外山雄三・山田一雄 指揮 NHK交響楽団 日本プロ合唱団連合) ジャケットのアート画像は、「前田常作  須弥山マンダラ図シリーズ 『無辺光」』 (画像は、「53 再発見・黛敏郎~昭和と歩んだ作曲家」より)
さるさる日記 - めぐり逢うことばたち」さんブログの「二つの曼陀羅〔マンダラ〕の出会い(1)」の中で話題の俎上に載っているLP:黛敏郎《舞楽・曼荼羅交響曲》 日本コロムビア OS-10050-Jのジャケット画像、つまり「この曲を初演した岩城宏之=NHK交響楽団のコンビによる初録音のLP」については、ちゃんとした画像を見つけることができなかった。

[(08/01/01追記)赤祖父の件でも縁のあるかぐら川さんよりこの記事にコメントを貰いました。かぐら川さんは、前田常作さん逝去に際し、幾つかの記事を書いておられます。実際に、何度か会ったことのある方の日記だけに小生の記事とは中味が違います:
曼荼羅の前田さん逝く」2007/10/16 (火)
二つの曼陀羅〔マンダラ〕の出会い(1)」2007/11/02 (金) ]

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コメント

 前田常作さんには何度かお会いする機会がありました。
 先生が亡くなられたことはふと目にした新聞で知り、拙日記にいくつか書きました。
 初期マンダラ画は、幾何学的なものではなく、“朦朧たる空間のうちから、密教の、宇宙的な生命が限りなく波動する世界が生まれる”ような作品です。

 本年もよろしくお願いします。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20071016
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20071102

投稿: かぐら川 | 2008/01/01 15:00

かぐら川さん
明けましておめでとうございます。
コメント、そして情報、ありがとう。
リンク先の日記、覗いたら、小生、読んでいた(!)ことに気づかされました。
己の不明を恥じるばかりです。
一ヶ月先の試験のことで頭が一杯だった…なんて、言い訳にもならないですね。

>前田常作さんには何度かお会いする機会がありました。

前田常作さんの風貌(横顔)は、本文でもリンクを貼っている「このまちの人 ロングインタビュー vol.1 前田常作さん」などで拝見させてもらったことがあるだけ。
どのような経緯で何度か会われる機会を持つようになったのか、とても羨ましい。

当該の日記、文末に追記させてもらいました。

今年も不甲斐ない小生ですが、どうぞよろしくお願いします。

投稿: やいっち | 2008/01/01 18:50

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