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2008/01/21

トーマス・コール(後篇:新アルカディア幻想)

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→ トーマス・コール Thomas Cole 『Indian Sacrifice』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より)

 ネットに情報を注入しようというわけでもないが、サイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)から、トーマス・コールについての叙述の転記を試みる(斜体部分は本文では傍点):

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← Thomas Cole 『A Scene from 'The Last of the Mohicans』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より) 「モヒカン族 - Wikipedia」によると、「アルゴンキン語族系に属するネイティブアメリカンであ」り、「ニューヨーク州のハドソン川上流、キャッツキル山地に住んでいて、狩猟や魚を捕まえたりして生活していた。18世紀に病気や戦いなどで大勢のモヒカン族が死んだが、ウィスコンシン州にストックブリッジ・モヒカン族として現在でも生き残って暮らしている」。アメリカ人には奥地であり原野であり未開の地だったのだろうが、先住民族にとっては故郷だったのだが…。

 ところで歴史を見るこうした手掛りの伝統を持たない国の川画家に何ができただろう。これはアメリカ風景画の第一世代にとってとりわけ切実な問題だった。ルイス=クラーク探検隊がミズーリ川源流に遡って以来、国の運命は大陸を横断する川の流れに沿って開けていくということがはっきりしたからである。どうやらそのミズーリ川を太平洋につないでいくれる「西の大河」はないらしいと判ると、ジェファーソンの落胆は大きかった。それでもハドソン川、オハイオ川、ミシシッピ川はそれぞれのやり方で、新共和国の流通を担う大きな循環系を形成していた。  ハドソン・リヴァー画家たちのパトロン――ルーマン・リードとかダニエル・ウォッズワースといった人たち――はおおむね商業と銀行業で財をなした人々だったが、自ら「パトロン(patroons)」としての意識をはっきり持っていた。この川の両岸の農地を支配してきたオランダ移民(ニッカーボッカー)の血を引く末裔だという認識である。だから彼らは、蒸気船や石炭船が行き交い、雑貨(ドライ・グッズ)を山積みにした埠頭の向こうにはむさくるしい酒場や倉庫が見えるといった、日々の商いの景色ということでハドソン川を見たいとは思わなかったようだ。こうした風景をとはっきり言ったトーマス・コールあての唯一の注文が、ターナーの『イングランドとウェールズのピクチャレスク風景』を出した英国の出版社からのものだったのが皮肉である。この出版社が潰れたため一八三五年にコールが一生懸命描いたドックや蒸気船のスケッチが実際に「高貴なるハドソン風景」をという期待に沿ったものであったかどうかはわからぬままである。

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→ 『モヒカン族の最後』(J・フェニモア・クーパー作 /N・C・ワイエス画 /足立康訳  福音館書店) 「北米大陸でイギリス軍とフランス軍が戦争をしていた頃、父親の救出に向かった美しい姉妹が護衛のインディアンに裏切られ、壮絶な戦いに巻き込まれる大冒険物語。現在唯一の完訳本」だという。白人からすると裏切りだろうが…。映画化もされている。映像美の見事さでも有名な映画。それとも映像美化? 掲げた本の表紙はN・C・ワイエス画である。ワイエス…。そう、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth,1917-)の父で有名な挿し絵画家。「Newell Convers Wyeth Biography」にてその画業の一端を垣間見ることができる。

 一般にハドソン・リヴァーの画家たちは「ワイルドな」野生風景と産業の川の雑然たる機械風景との往還を宿命づけられていた。ところでヨーロッパでなら画家たちが、(新しいロンドン・ブリッジやゴシック・リヴァイヴァル様式の国会議事堂がそうだが)建物は新しいのに連想させるものは古い、要するに「ピクチャレスク(picturesque)」な場所に目をつけることで、すすと煙の川に歴史の衣裳を着させることができたのに比べて、アメリカの画家たちにあるものと言えば幸福な未来への夢だけであった。だけと言っても、これを徹底してやったのだ。一八三六年刊のトマス・コールの『アメリカ風景論』を見ると、ライン河畔の「古城の聳える岩山……葡萄に覆われた小山、古い村々」と、ハドソン川の「天然の威厳」をことさらに対比している。「その岸には神さびた廃墟もなければ君侯の城こそないが、町村はさかえ、たしかな趣味があることが感じられる」、と。
 しかし(ここが面白いところだが)、聖寵(state of grace)を受けた文明状態がほとんど自動的に「道もなき荒野」から立ち上るというコールのヴィジョンに細部(ディテール)を与えてくれたのはハドソン川とは別の、コネチカット川であった。『マサチューセッツ州ノーサンプトン、マウントホリオーク。嵐のあと(オックスボウ)』を見ると、描く彼自身が画中にいて、『風景画論』によれば、「木々の繁る山に囲まれた人気ない谷のふところ」を見下し、「エナメル色の草地、波打つような広々とした耕地を見、[そばの]ゆっくり屈曲して流れる銀色の流れ」を見ているのである。細かい点を見ると、テムズ河畔のアルカディアの定番イメジャリーとどこもちがわない感じがするのだが、しかしこのコールの絵には絶対にアメリカだというところがある。左上からの対角線で二分されながら、嵐吹き荒れる原始の荒野(過去)が川を越すと、快晴の空の下、広々と広がる手入れの行き届いた畑(未来)に変る。羊たちはのんびりと草を食(は)み、気どりのない家々からは炊煙がたなびき上る。(コールが地誌学者が言うのより大分高く描いた)山々が地平線に聳えるが、聳えるというより威圧的な感じはない。

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← トーマス・コール Thomas Cole 『The Oxbow aka The Connecticut River near Northampton』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より) 転記文の中で『マサチューセッツ州ノーサンプトン、マウントホリオーク。嵐のあと(オックスボウ)』という題名で論じられている作品。この画だけでもクリックして拡大したほうがいいかも。

 その川はどうかと言えば、奇妙な具合にU字湾曲(オックスボウ)の中に捉えられていて、川の大きな湾曲というよりは完全にひと閉じした輪(ループ)のように見える。この絵の勘所だ。たしかにボートは浮んでいるが、この川がどこかに流れて行くという感じはしない。そして同じように、入植と牧歌的無垢、文明と野生のバランスも完璧に均衡したまま魔術的に凍結されている。コールにとってそれはあらゆる意味で強いられた停止の瞬間であった。折りしもコールがそのために大歴史画連作『帝国の興亡』を描きつつあったパトロンのルーマン・リードその人が、一息入れて別種の絵を描いてはどうかと言っていた。そこでコールはエデン神苑の無垢から帝国の自滅にいたる全文明を貫流した仮借ない時の流れから身を退け、ありえないような完璧な時間と空間に安らごうとしたのかもしれない。
 こうしてコールに突破口を開いてもらって以降のアメリカ画家は、産業や企業をアメリカのアルカディアの中にちゃんと同居させてみせるのが皆巧みだ。(以下略) (p.424-6)

                             (08/01/02)

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