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2008/01/31

ステファニー・バレンティン:顕微鏡下の美

 未だ冬真っ盛りで春は気分的にも遠く、寄る年波で春が待ち遠しいのだが、春の到来を待ち受けているのは小生のようなロートルばかりではない。
 そう、花粉のほうは春を待ちきれないとばかりに飛散し始めているようだ。

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→ 「様々な花粉の電子顕微鏡像」 (画像は、「花粉 - Wikipedia」より)

環境省 報道発表資料-平成20年1月24日-平成20年春の花粉総飛散量等の予測(確定版)について(お知らせ)」(平成20年1月24日)によると:

 平成20年春の花粉総飛散量は、昨年春に比較すると、東日本で1.5倍から3倍と予測され、西日本はほぼ昨年並みになると予測されます。また、スギの飛散開始日は例年に比較して5~10日程度早くなるものと予測されます。

 ということで今日は花粉の話。
 といっても、小生ならでは(?)の変則的なものだけど。

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2008/01/28

ルーク・ハワード(後篇:雲と風景画と)

 気象への関心が高まった、そんな折りしも気球が発明され実用化の一歩を踏み出していた。
気球 - Wikipedia」によると、「熱気球が発明された1783年以降19世紀までフランスを中心にヨーロッパで気球ブームが起き、遊覧飛行や冒険飛行が頻繁におこなわれた」という。
 冒険や遊覧にしか気球が使われないってことはないだろう。
 熱気球がブームとなった頃、海の向うではアメリカが独立し、ヨーロッパでは革命が起き、激動の時代を迎えていた。

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← 『Landscape and cloud study by Luke Howard, c 1808-1811.』 (画像は、「Science and Society Picture Library - Search」より)

 科学の歴史については、18世紀は、「イギリスではブラックやキャヴェンディシュらが気体の研究を行い、酸素や水素が発見される。フランスではラヴォアジェ、ドルトン、アヴォガドロらを経て、19世紀に原子の考え方に行き着く」といった時代である。
 さらに、「18世紀後半から19世紀にかけて学問の分化が進む。ボルタやエルステッド、ファラデーらにより電気学が、カルノーやクラウジウス、ケルヴィン卿により熱力学が、リンネやウォルフらにより生物学の研究が本格的に始まる。ヴェーラーやリービッヒにより有機化学が始まり、染料や薬品の合成、栄養学が始まる。生物学ではラマルクやダーウィンが進化説を、シュライデンらが細胞説を提案する」。

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2008/01/27

ルーク・ハワード(前篇:雲と風景画と)

 ルーク・ハワード(Luke Howard 1772-1864)とは一体、いかなる人物か。
 一言で言うと、雲の分類を提唱し気象学を始めた人、ということになる。

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→ リチャード・ハンブリン著『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社) 本書に付いては、拙稿「水、海、と来ると、次は雲である!」において若干、紹介している。小生が風景画を数ヶ月に渡って特集するようになった、切っ掛けを作った本でもある。いい本に出会えた。

 小生、リチャード・ハンブリン著『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社)を図書館で手にした時、雲の分類がどうしてそんなに画期的なことか、まるで分かっていなかったので、本書にはほとんど(いや、全くかも)期待していなかった。

 雲。誰だって目にすることができるもの。
 が、雲の分類は各人が、あるいは各地域の人が勝手に行なっていて、世界に共通する用語も分類の方法もなかったのだ。
 雲だけに、雲を摑むような状態だったわけだ。

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2008/01/25

反骨の浮世絵師 英一蝶

[「鳥総松(とぶさまつ)」(2005/01/06)から英一蝶(はなぶさいっちょう)についての記述部分を抜粋する(但し、一部改稿の上、画像と追記を付した)。本稿に飽き足らない方は、「美の巨人たち 英一蝶『布晒舞図』」を読むとよかろう。(08/01/25 アップに際し付記)]

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← 英一蝶・画『雷神』 (画像は、「英一蝶 - Wikipedia」より)

 榊原悟著『日本絵画の見方』(角川選書)の中で、日本の伝統的な絵画作品を見る上で、様式や画題、描かれる素材(紙か板か、それとも絹などか)などと共に、描く素材を見極めるのも大事だという話の流れで、英一蝶(はなぶさ・いっちょう、承応元年(1652年) - 享保9年1月13日(1724年2月7日))のことが話題の俎上に登っていたのである。

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2008/01/22

山水画…中国絵画の頂点か

 ブログでのマイブームテーマである「水」「海」「霧」「川」「雲」「空」などの延長で、長々と西欧の風景画を観てきた。多分、もうしばらくはこうした風景画という脇道・寄り道は続くものと思う。
 主に欧米の風景画を、無論、ほんの一瞥程度にしかならないが、それでもそこそこには見てきたが、日本の風景画も見ておきたいし、なんといって中国の風景画…山水画を見ておきたい。いや、観たい。
 93年だったか会社の慰安旅行で台湾へ行き、故宮博物院で中国の至宝の幾許かを観たが、小生の一番の関心事は水墨画であり山水画だった。

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← 郭熙『早春図』(画像は、「経典芸術書画」より)

 台湾(台北だったか高雄だったか忘れた)の何処かの旅行客相手の土産物店でも、物色したのは水墨画だった。無名か、それとも有名な誰かの複製品だったか、水墨画の掛け軸を一品、柄にもなく買い求めたものだった。

 しかしながら、そのとき、どれを買うかで迷ったのも事実。狭いとは言えないショップには何十点という掛け軸が吊り下げられている。その中からどれを選ぶかで迷ったわけではなかった。
 実は、直感でほとんど迷わず、これ、という作品に目が行ったのである。惹き付けられたというべきか。
 が、手元不如意で、やや予算オーバー。
 他に一点、まあまあ気に入ったのがあり、それは予算内に収まる。
 要は、予算内の山水画を求めるか、小遣いでは足りないが(一緒に買物に来ていた同僚におカネを借りて)思い切って、一目惚れした作品を買うか、その二者択一で迷ったのである。

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2008/01/21

トーマス・コール(後篇:新アルカディア幻想)

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→ トーマス・コール Thomas Cole 『Indian Sacrifice』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より)

 ネットに情報を注入しようというわけでもないが、サイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)から、トーマス・コールについての叙述の転記を試みる(斜体部分は本文では傍点):

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← Thomas Cole 『A Scene from 'The Last of the Mohicans』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より) 「モヒカン族 - Wikipedia」によると、「アルゴンキン語族系に属するネイティブアメリカンであ」り、「ニューヨーク州のハドソン川上流、キャッツキル山地に住んでいて、狩猟や魚を捕まえたりして生活していた。18世紀に病気や戦いなどで大勢のモヒカン族が死んだが、ウィスコンシン州にストックブリッジ・モヒカン族として現在でも生き残って暮らしている」。アメリカ人には奥地であり原野であり未開の地だったのだろうが、先住民族にとっては故郷だったのだが…。

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2008/01/20

トーマス・コール(前篇:新アルカディア幻想)

 ハドソン・リバー派の画家を何人か採り上げてきた。
 今回は、「イギリスから米国へ移住し、米国風景画家の父と言われる一人で、父親の仕事を手伝いながら絵を描いていた」トーマス・コール (Thomas Cole)を特集してみたい。
 これまで扱ってきたアルバート・ビエスタッドフレデリック・エドウィン・チャーチアッシャー・B・デュランドらよりはネットでも情報が得られる。

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→ トーマス・コール Thomas Cole 『The Course of Empire Destruction 帝国の興亡』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より。下記する)

 これまで何度か参照させていただいた「理想か自然か―ハドソン・リヴァー派のジレンマ―  生田ゆき」(ホームページ:「三重県立美術館 Mie Prefectural Art Museum」)では、「彼らはある時には第2次世界大戦後の世界の美術地図を塗り替えたアメリカ美術の開祖に祭り上げられ、別の場面ではヨーロッパの偉大な伝統の末席に連ねられ、さらには微細で執拗な細部描写にシュルレアリスムの予兆を見たりと、あらゆる側面からの再評価の声が喧しい」などと、近年再評価されつつあるハドソン・リヴァー派全般について、但し、ウィリアム・ガイ・ウォール(1792-1864頃)の《キャッツキル山脈のコータースキル滝》と、トマス・コール(1801-1848)《コータースキル滝》とを対比する形で鋭く論評されている:

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2008/01/19

アッシャー・B・デュランド

 以前拙稿で、「理想か自然か―ハドソン・リヴァー派のジレンマ―  生田ゆき」(ホームページ:「ひる・ういんど(HILL WIND)」)からの引用文を使い、ハドソンリバー派は、トーマス・コール(Thomas Cole)や「当時のアメリカでコールと双璧をなすとされた風景画家アッシャー・B・デュランド(1796-1886)」らに源流にあるようだ」というくだりで名前だけ挙げていた、アッシャー・B・デュランドを簡単にだが、採り上げてみる。

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← アッシャー・B・デュランド Durand,Asher(アメリカ1796-1886)『ドーバー平野 ダッチ郡、ニューヨーク』(アメリカ美術国立美術館) (画像は、「肉筆複製画・美術品・絵画販売 ハドソンリバー派絵画」より)

 と言いつつ、アッシャー・B・デュランドについては、(少なくとも日本語での)ネットで得られる情報は限られている(ご存知の方にはサイト情報の提供をお願いします)。
 下記するサイトがほとんど唯一の頼りである。

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2008/01/18

海洋画家アイヴァゾフスキー(後篇)

 これより以下は、画像を参照する「Ivan Aivazovsky - Olga's Gallery」(ホームページ:「Olga's Gallery」)でのアイヴァゾフスキーのプロフィール:

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← Ivan Aivazovsky. 「Meeting of the Brig Mercury with the Russian Squadron After the Defeat of Two Turkish Battleships.」 1848. Oil on canvas. The Russian Museum, St. Petersburg, Russia..(画像は、「Ivan Aivazovsky - Olga's Gallery」より)

Ivan Konstantinovich Aivazovsky was born in the family of a merchant of Armenian origin in the town of Feodosia, Crimea. His parents were under strained circumstances and he spent his childhood in poverty. With the help of people who had noticed the talented youth, he entered the Simpheropol gymnasium, and then the St. Petersburg Academy of Arts, where he took the landscape painting course and was especially interested in marine landscapes. In the autumn of 1836 Aivazovsky presented 5 marine pictures to the Academic exhibition, which were highly appreciated. In 1837, Aivazovsky received the Major Gold Medal for Calm in the Gulf of Finland (1836) and The Great Roads at Kronstadt (1836), which allowed him to go on a long study trip abroad. However the artist first went to the Crimea to perfect himself in his chosen genre by painting the sea and views of Crimean coastal towns.

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2008/01/17

海洋画家アイヴァゾフスキー(前篇)

 ひょんなことからイワン・アイバゾフスキーという海洋画家(こういう用語があるかどうか分からない)の存在を知った。
 ブログでのマイブームテーマである「空」「海」「水」「雲」「川」「霧」の一環で、誰か(少なくとも小生にとっては)目新しい、敢えて特集するに値する画家はいないかと物色していた賜物だろう。

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← Gianni Caffiero (著), Ivan Samarine (著) 『Seas, Cities and Dreams: The Paintings of Ivan Aivazovsky 』(Laurence King Pub)

 ひょんなことといっても、このところ毎日のように覗いている「Olga's Gallery」サイトの中をうろうろしていたら、「Ivan Aivazovsky - Olga's Gallery」なる頁というか画家の項に出会ってしまったのである。
 風景画…ではないが、大きくは外れていない。

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2008/01/16

エルンスト・フックス:意外と古風な宗教画?(後篇)

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← 『DANCING WITH DEATH, 1983.』(Mixed media on fiberboard, 100x150cm) (画像は、「Official Webpage of Prof. Ernst Fuchs」より)

 13歳で彫刻を学ぶが、翌年絵画に転じ、「ルーベンスに熱中」。第二次大戦の終戦とともにウィーン美術アカデミーに入学。
 ここでのちの〈幻想的レアリズムのウィーン派〉の育ての親、ギュータースロー教授に師事し(1946~50)、ウッチェロら15世紀のルネッサンス絵画やマニエリスムを研究、すでに精緻な細密技法をマスターして神童と謳われる。

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→ 『THE TEMPLE ISLAND, 1983』(Watercolor pastel) (画像は、「Official Webpage of Prof. Ernst Fuchs」より)

 ギュータースロー「教授は、シーレや幻想画家クリムトなどのすぐれた評論や小説など書いた画家兼作家で、美術家育成者としては特異な存在だった」という。

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2008/01/15

エルンスト・フックス:意外と古風な宗教画?(前篇)

 今日は、拙稿「ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)」の中で名前だけは挙げたが素通りしてしまったエルンスト・フックスをミニ特集する。
 この小文の中で、ズジスワフ・ベクシンスキー著の『ベクシンスキー』(エディシオン・トレヴィル;河出書房新社〔発売〕)なる本の紹介文を載せている。

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→ 『CRUCIFICATION AND SELF-PORTRAIT, WITH INGE BESIDE THE CROSS,1945』(Oil on wood, 155x195cm) (画像は、「Official Webpage of Prof. Ernst Fuchs」より)

 その中でベクシンスキーが、「エルンスト・フックス、H.R.ギーガーと並び称されるファンタスティック・リアリズムの画家、写真家、彫刻家」云々とされている。
 ベクシンスキーH.R.ギーガーと並び称される人物とあっては、エルンスト・フックスの世界に触れないわけにいかない。

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2008/01/14

マットペインティング "どこにもない" 世界を描く

 最近(なのかどうか)、日本でも「マットペインティング(matte painting)」をやっている人は増えているようだ。
 例えば、上杉裕世氏が「アメリカ合衆国で活躍する日本人のマットペインター」として有名だ。
 あるいは、井手 広法氏の名をあげる人も少なからずいるだろう:
CAD CENTER CORPORATION イベント ワークショップ 『 "どこにもない" 世界を描く 』

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→ d'artiste Character Modeling (画像は、「Ballistic Publishing Shop」より)

「マットペインティング(matte painting)」とは、辞書には、下記のように説明されている:

つや消し処理の意
映画の特殊処理技法の一。部分的に造られたセットで撮影した像と、そのセットに連続するよう描かれた絵の合成

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2008/01/13

デューラーの憂鬱なる祝祭空間

 風景画ということで、順不同ながらもルネサンスの頃から近現代に到るまで、いろんな画家を採り上げてきた。
 今日は、満を持していよいよ(小生にとってはいよいよ)デューラー(1471-1528) の番である。
 
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← Albrecht Dürer 『A Young Hare.』(. Watercolour and gouache on paper. Graphische Sammlung Albertina, Vienna, Austria.) (画像は、「Albrecht Dürer - Olga's Gallery」より) 言われなければデューラーの手になる作品とは思えないかも。

 デューラーは、美術ファンならずとも彼の画を教科書そのほかで見たことがあるはず。
 ここでは、専門家はともかく、よほどのデューラーファンでないとあまり馴染みではない、こんなデューラーワールドがあったのかという作品を見てみる。

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2008/01/12

炬燵と美女と猫の浮世絵

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→ 歌川国政『娘に猫』 (画像は、「Cat-City Museum:猫と浮世絵」 あるいはpdf形式だが、「炬燵の娘と猫」)

 炬燵が小道具として美女は勿論、猫などが描かれている浮世絵画像を特集して載せました:
電気炬燵と歩めなかった半世紀?

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2008/01/11

ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)

 オランダ生れのモンドリアンがパリへ出たのは案外と遅い。39歳前後。チーズ、チューリップ、風車で有名なオランダだが、同時に、リベラルな気風や風土、そして「堤防により囲まれた低地」という土地柄もモンドリアンの画風の基本にあるような気がする。
 大地という感覚はオランダ人にはあるのだろうか。
 アメリカや中国、ロシアなどの大陸、それこそ火山と地震の国である日本でさえ、大地の感覚はそれぞれ異なるのだろうし、改めて説明を求められても困るものだとしても、多少なりとも持っている(人が多いだろう)。
 海より低い土地! 堤防に囲まれた干拓地。オランダ語のネーデルラント自体、「低地の国」「低地地方」を意味する普通名詞に由来する(オランダが低地という話については既に触れた)。

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← イヴ・サンローラン、モンドリアンルック (画像は、「モンドリアン・スタイル(Mondrian style)」より)

 地に根差しているという感覚より、もっと違う感覚がモンドリアンなど一部のオランダ人にはあったのでは。
 風景というのは天然自然にそこにあるのではなく、人の手が加わって、時に如何様にでも変貌しえるという人工的な土地に生まれ育ったものでないと分からない感覚。

 小生は、湾岸地域にある会社で13年、勤めた経験がある。当然、埋立地である。会社の目の前に首都高速、会社と湾岸道などを挟むように運河が走っている。近くにはモノレール。
 ちょっと歩けば地下鉄が走り、小生が働いていたビルの屋上にはヘリポート。轟音が鳴り響くかと思ったら、羽田空港に離着陸する飛行機の音。

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2008/01/10

ピエト・モンドリアン(承前)

ピエト・モンドリアン(前篇)」の続きです。
 引き続き、ピエト・モンドリアンの変貌ぶりを追っていきます。

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← Piet Mondrian 『Night Landscape / Landschap bij nacht.』 (c.1907/08. Oil on canvas. 35 x 50.2 cm. Private collection.) (画像は、「Piet Mondrian - Olga's Gallery」より) 空間そのものが妖気を孕んでいるような。ゴッホの「星月夜」を思わせるが、もっと怜悧か。

ピエト・モンドリアン - Wikipedia」:

1917年にはテオ・ファン・ドースブルフとともに芸術雑誌『デ・ステイル』を創刊。ここで彼らの唱えた芸術理論が「新造形主義」と呼ばれるものである。モンドリアンは宇宙の調和を表現するためには完全に抽象的な芸術が必要であると主張し、水平・垂直の直線と三原色から成る絵画を制作した。

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2008/01/09

ピエト・モンドリアン(前篇)

 西欧の絵画を主に風景画で、順不同に(多少は歴史を追って)あれこれの画家や作品を見てきた。

 今日は、ずっと先になってから扱うつもりでいたピエト・モンドリアン(Piet Mondrian)をちょっとメモっておきたい。
 やはり、気になる存在だし、あの有名な作品の不思議な魅力は、たとえ小生如きにその秘密の一端をも解き明かすことは叶わないとしても、遠望か眺望か近視眼風にか、とにかく普通はあまり脚光を浴びせることのない彼の風景画など初期の作品を通じて、想念を膨らませてみたい。
 とにかく画風の変遷という意味でも、これほど興味深い画家はいないのでは。

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← Piet Mondrian 『Windmill in Sunlight / Molen bij zonlicht.』 (1908. Oil on canvas. 114 x 87 cm. Gemeentemuseum, the Hague, Netherlands.) (画像は、「Piet Mondrian - Olga's Gallery」より) この絵をひと目見てモンドリアンだと気づく人は多くはいないだろう。ゴッホより凄まじい色遣い! 直近の転記文を参照のこと。

色彩:世界=身体の分節 《モンドリアン展/ハ-グ市立美術館所蔵》 伊東 乾」(ホームページ:「artscape」)から、申し訳なくも前後の脈絡なく、一部、転記させてもらう:

「陽光下の風車 Mill in sunlight 」(1908) は、真昼の太陽が風車の建物の頂の真後ろに隠されながら輝いている、その逆光に逆らって眼を凝らそうとする視覚の幻惑に基づいている。凝視するということ。直ちにゴッホが想起されるが、網膜上にちらちらする黒い点や網状のイリュ-ジョンなど、モンドリアンの視線の強度はゴッホを凌駕しているようだ。

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2008/01/07

森の中のフリードリヒ

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← Handel 『Arminio』( Alan Curtis (指揮), Il Complesso Barocco (オーケストラ), Dominique Labelle (Vocals), Geraldine McGreevy (Vocals), その他  Virgin) (画像は、「Amazon.co.jp: Handel Arminio 音楽 George Frideric Handel,Alan Curtis,Il Complesso Barocco,Dominique Labelle,Geraldine McGreevy」より) 後出の転記文中に「アルミニウス」という名前が垣間見えるはず。その「アルミニウスという人物は、ドイツ民族にとっては極めて特別な意味を持つ人です。AC9年、オクタヴィアヌス帝(=アウグストゥス帝、カエサルの養子)の時代、強大な力をもったローマ帝国に対して、ゲルマン民族のうちの一部族でしかなかったケルスキ族の首長アルミニウスが、トイトブルクの森(ウェストファーレンの山地)で、ローマの総督クインテリウス・ヴァルスの率いるローマ軍を打ち破ったのです」。「1737 ARMINIO」参照。

 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒとは、「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ - Wikipedia」によると:

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(ドイツ語:Caspar David Friedrich、1774年9月5日 - 1840年5月7日)はドイツの画家。グライフスヴァルト出身、ドレスデンで没する。フィリップ・オットー・ルンゲととともに、ドイツのロマン主義絵画を代表する。宗教的含意をふくむ風景画によって知られる。カスパル・ダーヴィト・フリードリヒとも。

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2008/01/06

ウィリアム・ターナー(後篇:悲劇のロマン派画家)

 本稿をつづりながら、彼の作品を若い頃から晩年に到るまでの変化に付き合ってきて、時代の変化に敏感すぎた悲劇の画家、最後のロマン派画家ターナーをつくづく実感させられた。
 とにかく、作品を見る際には画像を拡大して欲しいのは勿論だが、描かれた年代にも注視しておいてほしい。
 デッサン力も観察力も抜群だった。かのルーク・ハワードの気象学(雲学)も知らないわけではないし、ある意味、コンスタブル以上に雲や霧や空気に敏感だった。
 けれど、誰よりも時代の潮流を肌で感じていたのだろう。

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→ Joseph Mallord William Turner『Ansicht von Orvieto(オルヴィエートの眺め)』 (1828-1829) (画像は、「Ansicht von Orvieto」より)

 さて、今回(後篇)も、「ウィリアム・ターナーの経歴と作品」を参照してのターナー回顧を続ける。

1828 二度目のイタリア旅行に。今回は油彩画を制作する。「オルヴィエートの眺め、ローマにて制作」。イタリアの風景であるが、すでに大気と光の効果が中心となり、ローマの展覧会に出品されるも理解されない。

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2008/01/05

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(前篇)

 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーという画家の絵は、結構、好き嫌いがハッキリしているようだ。
 小生は二十年ほど前、展覧会で実物を観る機会に恵まれ、迫力に圧倒され、いい悪いは分からず、ただ魅入られてしまった。

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← Turner, Joseph Mallord William 『Sunrise with Sea Monsters』 (c. 1845; Oil on canvas, 91.5 x 122 cm; Tate Gallery, London) (画像は、「WebMuseum Turner, Joseph Mallord William」より) 是非、クリックして拡大して観るべし。凄みを感じないだろうか。「波の力強さ、風のエネルギー、大気中の光のゆらめきといった写実では表現しきれない自然美を表現しようと、写実性を離れて事物の輪郭をあいまいにし、印象派に通じる画風を追求した画家」とよく言われたりするが、印象派さえもとっくに凌駕しているように思える。ある種の象徴主義? それとも抽象表現主義? きっともっと突き抜けている。これがターナー!

 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775年4月23日 - 1851年12月19日)は、「ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー - Wikipedia」によると、「18世紀末~19世紀のイギリスのロマン主義の画家。イギリスを代表する国民的画家であるとともに、西洋絵画史における最初の本格的な風景画家の一人である」という。

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2008/01/02

宮沢賢治から昇亭北寿へ飛びます!

宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」をベースに配信している「宮沢賢治 「Kenji Review」」というメールマガジンを愛読している。
(メルマガ配信と同時に(相前後して)、ホームページにもメルマガと同じ文面が載るようだ。)
 このメルマガ(記事)の内容は、今回は特に小生にはタイムリーだった。好きな宮沢賢治の話題であり、且つ我がブログでも時折採り上げている、これまた小生の好きな(浮世絵)版画と賢治との関わりを話題の俎上に乗せてくれているのである。

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→ 昇亭北寿『江之嶋七里ヶ濱』(1818~29) (画像は、「江の島の浮世絵 昇亭 北寿」より。HP:「江の島(江ノ島)マニアック」) 以下に続くどの作品(一枚は除く)についても言えることだろうと思うのだが、現代の刷師らの手で改めて刷り直してもらったなら、さぞかし見栄えがまるで違うことだろうにと思う。画像で目にするものとは、多分、江戸の世に刷って売りに出された色合いとは随分、違うのではなかろうか。

2007.12.22 第461号(「松の針」) 」では、まず同人誌仲間である保阪嘉内宛ての手紙が紹介されている。
 この手紙の文面がまた興味深いが、ここでは勿体無いが素通りする。

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2008/01/01

前田常作:曼陀羅画に壺中天!

 明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。
 今年もよろしくお願いいたします。

 …ということで、今年の第一弾。
 多分、豊かな世界が描き示されている曼陀羅画の世界。というと、故・前田常作氏!

出来たばかりの郷里の公園を散歩した」なる記事を大晦日の日にアップした。
 話題の焦点の場所は「富岩運河環水公園」。

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→ 『浄土曼荼羅図』 (時代 鎌倉時代 世紀 14c 素材 絹本著色 寸法 H-89.8 W-41.3) (画像は、「ミホミュージアム - MIHO MUSEUM」より) 詳しくは、「解説 - MIHO MUSEUM」にて。以下、全ての画像が拡大可能です。

 郷里の家から歩いても十分ほどの公園。
 当然ながら、その公園に行ったことがあるし、写真も撮ったことがある。
 その折に撮った画像を上掲の記事に載せたい。
 が、撮り溜めた画像のファイルを覗いても元の画像が見つからない。
(多分、先月(11月)、パソコンに画像ソフトが異常な徴候を示したので、専門家のアドヴァイスもあり、多くの画像をファイルごと、ごっそり削除した、その際に、運河での夜景の写真、雪景色の写真類の元データも消滅してしまった…のかもしれない。)

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