ウィリアム・ターナー(後篇:悲劇のロマン派画家)
本稿をつづりながら、彼の作品を若い頃から晩年に到るまでの変化に付き合ってきて、時代の変化に敏感すぎた悲劇の画家、最後のロマン派画家ターナーをつくづく実感させられた。
とにかく、作品を見る際には画像を拡大して欲しいのは勿論だが、描かれた年代にも注視しておいてほしい。
デッサン力も観察力も抜群だった。かのルーク・ハワードの気象学(雲学)も知らないわけではないし、ある意味、コンスタブル以上に雲や霧や空気に敏感だった。
けれど、誰よりも時代の潮流を肌で感じていたのだろう。
→ Joseph Mallord William Turner『Ansicht von Orvieto(オルヴィエートの眺め)』 (1828-1829) (画像は、「Ansicht von Orvieto」より)
さて、今回(後篇)も、「ウィリアム・ターナーの経歴と作品」を参照してのターナー回顧を続ける。
1828 二度目のイタリア旅行に。今回は油彩画を制作する。「オルヴィエートの眺め、ローマにて制作」。イタリアの風景であるが、すでに大気と光の効果が中心となり、ローマの展覧会に出品されるも理解されない。
1834 「国会議事堂の炎上、1834年10月16日」を制作。より大気と光の効果を求めた作品も描くようになる。
← Turner, Joseph Mallord William 『The Burning of the Houses of Lords and Commons, 16th October, 1834(国会議事堂の炎上、1834年10月16日)』 (1835; Oil on canvas, 92 x 123 cm; Philadelphia Museum of Art) (画像は、「WebMuseum Turner, Joseph Mallord William」より)
1842 「吹雪-港の沖合いの浅瀬で信号を発しながら、測鉛で水深を測りつつ進む蒸気船。作者はエアリアル号がハリッジを出港した夜、この嵐のただ中にあった」をロイヤル・アカデミーに出品。荒れ狂う海の船上のマストに自分の体をしばりつけて観察したという伝説も残る。
→ J.M.W. Turner 『Snow Storm - Steam-Boat off a Harbour's Mouth(吹雪)』. ( 1842. Oil on canvas. Tate Gallery, London, UK.) (画像は、「William Turner - Olga's Gallery」より) 「1842年に制作された『吹雪-港の沖合の蒸気船』では蒸気船はぼんやりとした塊に過ぎず、巨大な波、水しぶき、吹雪といった自然の巨大なエネルギーを描き出している。印象派を30年も先取りした先駆的な作品であったが、発表当時は石鹸水と水漆喰で描かれたなどと酷評された。この作品を制作するために、ターナーはマストに4時間も縛りつけられ、嵐を観察したという逸話が残っている」という。
1844 「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」をロイヤル・アカデミーに出品。
← J.M.W. Turner 『Rain, Steam and Speed - The Great Western Railway. (雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道)』. (The Great Western Railway. 1844. Oil on canvas. The National Gallery, London, UK. ) (画像は、「William Turner - Olga's Gallery」より) 本作については、下記する転記文を参照。
サイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)から、ここに掲げた『Rain, Steam and Speed - The Great Western Railway. (雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道)』について記述している部分を(前後の脈絡を欠いてということになるが)転記する(斜体文字は本文では傍点):
しかし、これらの船(『戦艦テメテールが解体のため最期の港に曳かれていく。一八三八年』や『イングランド、リッチモンド・ヒル風景。摂政の宮誕生日に』などの画に描かれる船=弥一註)たちは少なくとも時間、空間の同じ線に沿って動いている。これが、ロンドン万国博覧会と同年のターナーの死に七年だけ先立つ『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』では、道なす川の最後の風景がまったく別の一本の線で断ち切られてしまっている。蒼古たるテムズの流れに改めて寄せられた悲歌と見るか、鉄道時代の否み難い英雄的な力への幻視と見るかで、この異様な絵に対する評価は真っぷたつに分かれてきた。しかし偉大なアーティストの常のごとく、真相はあれかこれかといった単純なものではない。この絵の中のターナーの位置はひとつ所ではなく、二箇所である。ひとつは川面の小さなボート、彼がいつも乗っていたような小さな船の中なのであり、なおかつ、彼がその車窓から風雨の感じ、(そう無茶というわけではない)汽車の疾走感をもっと良く体感したい一心で首を突き出したという有名な逸話の残っている汽車の中なのである。→ Turner, Joseph Mallord William 『The Fighting "Temeraire" tugged to her last berth to be broken up 1838(戦艦テメテールが解体のため最期の港に曳かれていく。一八三八年)』 (; Oil on canvas, 91 x 122 cm; National Gallery, London) (画像は、「WebMuseum Turner, Joseph Mallord William」より) 転記文で対比されている船の像の載っている画の一つ。
ひとつだけはっきり言えることがある。この絵のモデルは、橋梁王アイサンバード・ブルーネルの新鉄橋が通ったばかりの河畔の小村メイドンヘッドにはちがいないのだが、それをターナーがどこか全然ちがう始原の場所に移してしまっているということだ。川そのものが一本のその往昔(かみ)の巨大な大道(ハイウエー)であり、この果てなき空間を彼がかつて描いたあらゆる川――ロアール、ライン、セーヌ、エクス、メドウエイ、そしてテムズ――の水が満たし、明滅する薄明の光芒の大いなる屍衣(かたびら)の中を悠々と流れて行く。しかしこの茫々と文目(あやめ)も分(わ)かぬ水色情趣、湖と紛(まが)われるような無方向性あればこそ、走り抜ける鉄道の決然たる方向性、というか力の簒奪ぶりがくっきりと鮮やかになるのである。実際にはターナーは、左側にある人馬の通る古い橋の角度を少しうそに描いて、向うの方では川を渡るというより川に従うように見えるようにしている。ところがこちらの新橋はたしかに横切る(クロスする)のだ。水と石の大きな流れが鉄と煙の線に切られる。わざわざ新しい世代のもの書きたちに、昔は水にたとえた百代の過客たる時間も今や汽車百台の貨客ですとか何とかわざわざ教えてもらう必要など、ターナーには毫(ごう)もなかったわけだ。 (p.422)

← J.M.W. Turner 『Mortlake Terrace, 1826,』 (National Gallery of Art at Washington D.C.) (画像は、「William Turner - Olga's Gallery」より。本稿では、1840年代の作品画像を三つ、載せている。それらとそれまでの作品とを見比べると、際立った変化が生じている。卓抜したデッサン力と観察力を持って、時に古典に取材した古風なテーマで描いたりもしたターナー。が、時代の変化をターナーであるがゆえに誰よりも敏感に嗅ぎ取っていたのだろう。人物像がやがてムンクになりフランシス・ベーコンのように、あるいはバスキアのように描かれていくように、風景も晩年のターナーが描いた風景と化していく…。
1851 チェルシーにて死去
ターナーというと夏目漱石の名を連想する人も少なからずいるだろう。漱石こそ、日本に最初にターナーを紹介した人。
小説『坊ちゃん』や『草枕』などにターナーの名が登場する。
今回はこの話題は採り上げないので、下記のサイトなどの記述を参照願いたい:
「【楽天市場】~ 西洋アンティーク ~ 版画 ターナー:アンティークショップ NominoIchi ターナーと漱石」
→ ジョン・ラスキン著『風景の思想とモラル―近代画家論・風景編』(内藤 史朗【訳】 (京都)法蔵館)
(以下、08/01/04 追記)
ターナーというとラスキン。そう、ジョン・ラスキンである。
この記事を書いたのは昨年。でも本稿をアップするに際し、ラスキンの話題を載せようと、ジョン・ラスキン著の『風景の思想とモラル―近代画家論・風景編』(内藤 史朗【訳】 (京都)法蔵館)を借りてきて年末年始と読んできたのだが、正直、本書にはガッカリ。眼高手低の逆(?)というわけでもないが、あまりに絵画を教育(啓蒙)に生かそうという発想の臭みが、つまりは教育臭が強すぎて、辟易してしまった。
絵画を教育に ? ! ま、考え方はいろいろあっていい。本書にしたって、実例に即しての論の筋立てになっているのだが、この本と完全に同時平行(図書館から借り出した日も、読み始めた日も、読了した日も同じ。シャーマは机に向って、ラスキンは寝床でという読み分けをしていた)して読んでいたサイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)や、本書を読む前に、ケネス・クラークの『ザ・ヌード』や『風景画論』を読んできていたこともあって、論旨の雑駁さとは言わないまでも粗さ、教育へのこだわりの強さが論理の強引さに繋がっていて、読めたものではなかったのかもしれない。
ターナーを擁護したじゃないか? でも、ちょっとね。本書にも世のターナー批判に抗し、ターナーを擁護する論陣を張っているのだが、どうもピントが合わない。
しかも、である。ラスキンの素描や山岳などの絵画は実に素晴らしい。
そう、眼?手高なのである。だから、始末に負えない。
ラスキンの作品展があったらいいなと思わせるんだもの。困るよね。
(07/12/11作 08/01/05 追記)
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コメント
「正直、本書にはガッカリ」 - 英国国教会の黴臭いような抹香臭いようなのはこの副題からいた仕方ありませんね。お目当ての「ヴェニスの石」や「ターナー評」なども出て来たようですが、ワーズワースにも繋げているようですね。
ゴシックからルネッサンスへの流れをひきつけて、そうした「場」を説明するようになると、どうしても元々求めているものがオカルト的な決着を持つようですから、なかなか啓蒙では終わりませんよね。
投稿: pfaelzerwein | 2008/01/06 09:06
pfaelzerwein さん
ラスキンの雲についての論文があるらしく(小生、未読)、島崎藤村にも随分と影響を与えたとか。
「空と山を眺め描くのみ…ラスキン」で、ラスキンの作品を幾つか紹介していますが、もう、惚れ惚れする:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/11/post_b715.html
マジにラスキン展をやってほしいもの(多分、過去にあるのでは)。
彼の啓蒙的な姿勢と裏腹に、自然観察力は非凡極まる。
そのラスキンがターナーの絵を買っている。教育的見地じゃなく、描写力にと思いたいです。
実際、1840年代に入る前のターナーの絵はコンスタブルに引けをとらない。
だけど、ターナーはターナーになっていく。ラスキンの思惑や期待など関係なく!
投稿: やいっち | 2008/01/06 18:39
リクエストです。
ジョン・コンスタブルの考察もっ!!
是非っ!!
やいっち視点でっ!
投稿: おっす!! | 2008/01/09 23:06
おっす!! さん
来訪、ありがとう。
小生には偉そうなことを言えるほどの見識はないです。
作品が好きかどうかだけ。
ただ、同時にどうせ作品を鑑賞するならより深く味わいたいと思うだけなのです。
コンスタブルの名前を出すってことは、コンスタブルが好きなのかな。
おっす!! さんの感想もお聞かせくださいね。
コンスタブルについては、下記があります:
「絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(後篇)」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/11/post_b92f.html
「絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(前篇)」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/11/post_dd44.html
投稿: やいっち | 2008/01/09 23:36
戦艦テメテールが解体のため最期の港に曳かれていく、の絵は見られませんでした。
膨大なコレクションから、一部を借りたわけですから、それも当然かと。
私は初期の水彩画が一番好きですね。
晩年の、輪郭のボヤけた作品はイマイチです。
好きなものは一部だけ。
彼の色づかいは素晴らしいの一言に尽きます。
いい画家を教えていただき、ありがとうございました。
TBしてみましたが、うまくできたか心配…。
投稿: 砂希 | 2013/12/08 20:57
砂希さん
コメント、メッセージ、ありがとう。
ターナーの世界は素晴らしいです。
コンスタブルのような世界や印象派風な世界から、どんどん様式を変えていく、その妥協のなさ。
輪郭のぼけたような絵は、彼の探求心の賜物でしょうね。やがては、抽象表現に至る予兆を嗅ぎ取ってしまう。
小生の一番好きな画家は、クレーです。絵というか、その世界に惹かれるのは、フリードリッヒ。
無論、日本にも好きな画家がいます。
TBされていないよです。こちらからやってみましたが、どうでしょう。
投稿: やいっち | 2013/12/08 22:42