浮世絵版画に文明開化:小林清親(後篇)
曽祖父やそのまた先祖だと兄弟姉妹や従兄弟の関係も含めると、数十人が明治の世には、主に生地なのだろうけれど、商売などの都合で(売薬さんが親戚にいるし)全国各地、見知らぬ空の下、生きていたはずなのである。
石を投げたら自分の親戚というのは大袈裟だとして、生地の関係者となると、間違いなく誰かに突き当たるに違いない。
こんなことこそ、よしなしごと、他愛もない夢想に過ぎないのだろうが。
← 小林清親画『隅田川夜』(明10) (画像は、「一心 みずい版画」より)
まあ、理屈はいい。とりあえずは、ミーハー精神で東京などの名所旧跡の類いでも全く構わないのだ。
ほんの数世代前の人びとの暮らした風景を、ほんの一瞬でも同じような気分で眺められた…という幻想を持てたなら、もうそれで十分なのだ。
絵葉書風の紋切り型でいいのだ。絵の良し悪しなど自分に判るはずもない。綺麗と思わせてくれたら、それ以上の何を求める必要があろう。
(無論、「岡本綺堂『江戸の思い出』あれこれ」のように、書籍を通じても古今を大いに巡る!)
→ 小林清親画『本町通夜雪』(明15) (画像は、「一心 みずい版画」より)
ということで(何が、ということなのか自分でも分からないが)、今日は小林清親を扱う。
これまで明治や大正、昭和を描く作家ということで、版画では、川瀬巴水や高橋松亭、織田一磨などを扱ってきた(永井荷風ら作家は今回は触れない)。
が、肝心のというか、いつかは扱おうと思いつつ、先延ばしになっていた大御所の小林清親の世界に(といっても、ひたすら作品を掲げつつ、眺めることに徹するだけなのだが)浸ってみたいのである。
← 小林清親画『赤坂紀伊国坂』(明15) (画像は、「一心 みずい版画」より)
「川瀬巴水…回顧的その心性の謎床し」
「川瀬巴水 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 没後50年展」
「高橋松亭…見逃せし美女の背中の愛おしき」
「織田一磨…消え去りし世を画に遺す」
小生には小林清親について格別の知識は持ち合わせていない。
ただ、端緒として頼りとするは「Wikipedia」だが、覗いてみて驚いた。
→ 『清親戯画』(肉筆彩画 明治写) (画像は、「一心 みずい版画」より)
「小林清親 - Wikipedia」で得られる情報はちょっと彼の画業からすると物足りないのである:
小林 清親(こばやし きよちか、弘化4年8月1日(1847年9月10日) - 大正4年(1915年)11月28日)は、版画家。
江戸本所の御蔵屋敷で生まれる。父小林茂兵衛が、その御蔵屋敷の総頭取の地位にあったためである。七人兄弟の末子、幼名は勝之助。維新の際は大坂、静岡などを転々とするが、1874年上京し、西洋画をワーグマンに学ぶ。1876年大黒屋より洋風木版画の『東京名所図』を出版し始め、その西洋風の画風が「光線画」として人気を博し、浮世絵版画に文明開化をもたらした。1881年の両国の大火後、光線画から遠ざかり、『団団珍聞』などに「清親ポンチ」なるポンチ絵を描くようになる。日清、日露戦争では戦争画を数多く描くが、その後、錦絵の衰退により肉筆画を多く描くようになった。浅草小島町、山ノ宿、下谷車坂町に住み、上野、浅草を描いた絵も多い。近世から近代への絵画の変遷を体現した画家として注目される。 墓は竜福寺にある。
← 小林清親画『今戸橋茶亭の月夜』 (画像は、「清親・安治のある風景」より。下記参照)
冒頭、長すぎる前書き(?)で書いた昔日の東京を偲ぶという趣旨からすると、「江戸から東京へ急速に変わり行く東京の風景を描いた明治の画家がいた。最後の浮世絵師といわれ光線画の画家ともいわれた小林清親、そしてその弟子で清親の影法師ともいわれた井上安治」ということで、下記のサイトがいい:
「清親・安治のある風景」(ホームページ:「私の東京再発見(電脳日和下駄)」)
また、「小林清親 - Wikipedia」からの転記文中に「光線画」という(少なくとも小生には)訊きなれない(見慣れない)言葉(用語)が出てくる。
→ 小林 清親『駿河湖日没の富士』 (画像は、「静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:小林 清親】」)
「都会の心情を明治に描いた作家 -井上安治「霊岸島高橋の景」- 伊藤 三平」(ホームページ:「広重のカメラ眼」)によると:
「光線画」とは水や光の輝きを何度も版を重ねて微妙に陰影をつけて表現した作品であり、明治の文明開化によって夜にガス燈が灯るようになった時代背景を的確に捉えた小林清親の独創である。
← 岡本綺堂の『江戸の思い出 綺堂随筆』(河出文庫 河出書房新社) 表紙に「東京名所図 駿河町雪」(小林清親)が使われている。文庫本を手にして、まず、その表紙の絵が気に入ったような気がする。
「小林清親 - Wikipedia」の末尾に「墓は竜福寺にある」とある。
「小林清親墓(竜福院)」(ホームページ:「台東区」)によると、「浅草小島町、山ノ宿、下谷車坂町に住み、上野、浅草を描いた絵が多い。大正4年11月28日滝野川中里で死去、68歳。竜福寺に葬る。17回忌に清親画伯碑が建てられた」というが、その「竜福院境内の小林清親画伯之碑」の画像を見ることができる。
あるいはブログでは、「浅草の風 明治を代表する浮世絵師、小林清親の碑を訪ねました(龍福院:元浅草3丁目)」なる記事が参考になる。
(07/12/20作)
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 2024年8月の読書メーター(2024.09.04)
- 2024年7月の読書メーター(2024.08.05)
- 2024年6月の読書メーター(2024.07.14)
- 2024年5月の読書メーター(2024.06.03)
- 2024年4月の読書メーター(2024.05.06)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 2024年8月の読書メーター(2024.09.04)
- 2024年7月の読書メーター(2024.08.05)
- 2024年5月の読書メーター(2024.06.03)
- 2024年3月の読書メーター(2024.04.02)
- 2023年10月の読書メーター(2023.11.01)
「美術エッセイ・レポート」カテゴリの記事
- バンクシーをも呑み込む現実?(2022.10.27)
- フローベールからオディロン・ルドン作「聖アントワーヌの誘惑」へ(2018.10.23)
- ニコライ・レーリッヒの孤高の境涯(2016.05.18)
- 川合玉堂の「二日月」に一目惚れ(2016.02.25)
- 先手必笑(2015.08.10)
「美術・日本編」カテゴリの記事
- 川合玉堂の「二日月」に一目惚れ(2016.02.25)
- イラストレーター八木美穂子ミニ特集(2014.09.03)
- 異形の画家「小林たかゆき」を知る(2014.09.01)
- 山の版画家・畦地梅太郎の世界(2014.05.23)
- 霧の作家・宮本秋風の周辺(2013.10.15)
コメント