井上安治:影法師切なる思い描きしか
小林清親のことを調べていたら、彼には影法師と呼ばれる存在のあることを知った。
「影法師」とは、辞書的には「光が当たってできる人の影」ってことのようだ。
時代劇や何かで似て非なる言葉(存在)に「影武者」役の人物が登場することがある。この場合は、身代わりってことか。
← 白土三平(作)『忍風カムイ外伝 コレクションDVD-BOX 2』(中田浩二(声) エイベックス )
(ちなみに、「影武者」って言葉(存在)を初めて知ったのは、黒澤明監督作品の映画『影武者』ではなく、隆慶一郎の小説『影武者徳川家康』ではなおのことなく、漫画家・白土三平の『忍者武芸帳 影丸伝』かあるいは『カムイ伝』か『サスケ』でのことではなかったか。…ところで、「現在『カムイ伝第三部』の構想が進んで」いるとか! 小学生の頃から大学生の頃まで、どれほど読んだことか。自分でも気づかないほどに影響されているのだろう。「白土三平ファンサイト」を覗いてみる? いや、いっそのこと、「2009年劇場公開予定映画「カムイ外伝」公式サイト」(監督:崔洋一、脚本:宮藤官九郎、主演:松山ケンイチ……ケガ、直ったの?)へ飛んでみるか。エキストラ募集中だっていうし。…ん? もう締め切られたのかな? …先月、終わっている!)
おっと、脱線。白土三平ワールドに嵌まったら、当分、出てこれなくなる!
→ 井上安治「東京真画名所図解 駿河町夜景」(1884-89(明治17-22)) (画像は、「川越市/《所蔵作品紹介1》井上安治「駿河町夜景」」より) 下記する。
どこかでわりと最近、「影法師」という言葉が耳馴染みになっているなと思ったら、「TV朝日系列のドラマ“はぐれ刑事純情派”の1993年のエンディングテーマ曲で、堀内孝雄さんが歌」っていたのだった:
「影法師」
でも、小生の覚束ない記憶の行李(こうり)の隅っこに何か「影法師」に纏わる思い出…でなければ、かすかな印象のようなものがある。
小生の味噌にも劣る、泥濘(ぬかるみ)のような脳髄の中を鼻をつまみながら掬ってみると、そのうち、小生は「影法師」から「影踏み」をいつしか連想していたらしいのである。
「影踏み」なら、子供の頃、誰しもとはいかないだろうが、ある程度の年輩の方なら、ああ、やったことあるって、思わず声が上がるのでは。
← 井上安治『霊岸島高橋の景』 (画像も含め、「都会の心情を明治に描いた作家 -井上安治「霊岸島高橋の景」- 伊藤 三平」を参照。この絵、及び、左記のサイトについては下記する。) 霊岸島近辺も小生は、営業柄、ウロウロしたことがある。
調べたら、「影踏み鬼 - Wikipedia」って言葉がちゃんとネットにある。
「影踏み」もだが、「おしくらまんじゅう」なんてのもあって、道具の要らない遊びは昔は必須だったのだ。遊び場所だけはたっぷりあった。いや、遊ぶ時間もあった。夢中になって遊べる心があった。子供にも、親にも…?
……ここまで来て、ようやく、記憶の井戸の底から弱々しい声で呼びかけてくるものがあることに気づき始めた。
そうだ! 小生には、「影踏み」って題名の掌編があったんだ!
三年前のちょうど今頃、作った<ボク>もの系の小品だ。自分では佳品だと思っている。
地味な作風なので、自分でさえ、思い出すのに時間が掛かるのも無理はない…か。
せっかくなので、ちょっと読み返してみる。やっぱり、いいじゃん!
「影法師」は季語ではないが、何処となく冬の季語であっていいような気がする。あるいは芭蕉(笈の小文)の「冬の田の 馬上にすくむ 影法師」なんて句の印象が強いから? それとも、冬の日は影法師が寒そうだから? 降り積もった雪面に映る影の輪郭線が時に惨いほどに鮮やかだから?
→ 明治17年竣工の浅草橋。井上安治画 (画像は、「都会の心情を明治に描いた作家 -井上安治「霊岸島高橋の景」- 伊藤 三平」より。下記参照のこと。)
井上安治(いのうえ やすじ)が小林清親の影法師とも呼ばれる存在だったと知ったのは、前にも紹介したが、下記のサイトを覗いてのこと:
「清親・安治のある風景」(ホームページ:「私の東京再発見(電脳日和下駄)」)
ただ残念ながら、この頁には井上安治の作品が「浅草橋之景」しか載っていない。せめて画像が拡大できればいいのだが。
やはり、せっかくなので井上安治を紹介するサイトを検索しつつ、彼の作品の画像も幾つかは載せてみたい:
「川越市/《所蔵作品紹介1》井上安治「駿河町夜景」」(「川越市公式ホームページ」より。←何故かアドレスが異常に長い。どうして?)
← 井上安治画「浅草橋夕景」(明治十三年) (画像は、「都会の心情を明治に描いた作家 -井上安治「霊岸島高橋の景」- 伊藤 三平」より。詳しくは本文参照のこと。)
ここには以下のように紹介されている:
安治は師匠である小林清親(1847-1915)に、西洋から取り入れた遠近法と、光と影の効果的な使い方によって描き出す、いわゆる「光線画」を学びました。この作品ではその手法を用い、暗闇の中で、当時には珍しい電灯(アーク灯)と月に照らし出されて行き交う人々や建物が浮き立つように描かれています。この場所は多くの錦絵に描かれていますが、師匠の清親が雪の日の同じ場所を描いた先行する作品があります。安治はそれを元に駿河町の夜景版を描いたことになります。安治の父親は現在の川越市幸町の呉服商・高麗屋の出身であり、現在安治の墓所も市内の行伝寺にあります。
→ 井上安治作・東京真画名所図解より「小梅」 (画像は、「新タワーのページ 井上安治の小梅シリーズ[東京真画名所図解より]」より。これも下記参照)
と、検索していったら、井上安治を紹介してくれている下記のような立派な、うってつけのサイトが見つかった。こんな時は、サイトに出会えて嬉しい反面、自分の出る幕じゃないって思い知らされて、がっかりというわけではないが、拍子抜けの気分である:
「都会の心情を明治に描いた作家 -井上安治「霊岸島高橋の景」- 伊藤 三平」(ホームページ:「広重のカメラ眼」)
井上安治の傑作『霊岸島高橋の景』に即する形で彼を紹介している。なるほど、この画を(まして実物で)見たなら、ゾッコンとなるのは必定だろうと思う。
ここでは、「画号は安治の他に安二、安はる、探景とも号している」というくだりだけ転記させてもらう。あとは、当該のサイトで読んでもらいたい。
← 井上安治作・東京真画名所図解より「小梅曳舟の雪」 (画像は、「新タワーのページ 井上安治の小梅シリーズ[東京真画名所図解より]」より。これも下記参照)
「木村荘八「柳橋界隈」」(ホームページ:「台東区」)なる頁は、表題の如く画家の木村荘八を紹介する頁だが、井上安治の画を幾つか載せてくれている。
どうやら、「木村荘八「両国浅草橋眞図」(昭和26年6月 『柳橋界隈』互笑会編)」の中で木村荘八が井上安治の画を評している、その部分が引用されているようだ。
そろそろ書き終えようか、でも、もう少し画像が欲しいなと思って、検索していたら、下記のサイトを発見:
「新タワーのページ 井上安治の小梅シリーズ[東京真画名所図解より]」
このサイトでも同じ場所の今昔の姿を対比させている。東京に新しい、これまでの東京タワーの倍に近いような高さのタワーが立つということで、風景の変化が予想される。そんな地区を描いた絵が井上安治にあるからなのだろう。
冒頭近くで書いたように、井上安治は小林清親の影武者と呼ばれたりすることもあった。独自性も時代の変化もあって(江戸から明治へ)発揮しつつあったのかもしれないが、明治22年に26歳に、まさに夭逝している。
いよいよ輝こうかという時に没してしまった。惜しい。
影法師という言葉に改めて切々たる思いを抱かされつつ、本稿を終える。
(07/12/20作)
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