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2007/12/28

アルトドルファー追記

 サイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)を昨夜からボチボチ、読み始めている。

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← ヴェステルボッテン River Byske, Vasterbotten (画像は、「ヴェステルボッテン(スウェーデン) 壁紙」より) 手付かずの原風景、であるかのような…。

 内容紹介によると、下記の通り:

原初の森に分け入り、生と死の川をわたり、聖なる山々に登る―人間は風景をどのように見、創りあげてきたか。これまでの歴史学の手法をすべて捨て去り、大いなる小説を読む感動を与える風景論の名著、ついに刊行。
第1部 森(リトアニアのバイソンの地にて;林道―森を抜ける道;緑林の自由;緑の十字架)
第2部 水(意識の流れ;血また流れる)
第3部 岩山(デイノクラテスとシャーマン―高さ、至福、そして崇「高」;垂直の帝国、脳髄の深淵)
第4部 森と水と岩山(再びのアルカディア)

評者・吉田 直哉(演出家、文筆家)/ 読売新聞 2005.04.17」から一部を転記する:

 風景は人の心がつくりあげたものだという。だから記憶が変容すれば風景も変貌(へんぼう)する。人間の内面と外界の年代記は、玄妙に連動しているのだ。――著者の作業仮説である。
 この仮説を実証し、風景のなかから神話と記憶の鉱脈を掘り起こすために、圧倒的な量のエピソードが積み重ねられる。その素材はこれまで永いあいだ、史料の名に価しないとして忘れられていた民衆の日常の心と、同様に軽んじられてきたヴィジュアルな資料なのだ。
 まったくの門外漢にも、歴史学の手法とその語り口が劇的に変わりつつあると痛感させる、きわめて価値ある大著である。
 「何百万もの人命を根こぎにすることと、何百万もの木々を熱心に保護することが、決して矛盾しなかった」のは、ドイツの森の神話的記憶と民族の精神が深く関わっているからだ。そのことを証明するために、著者はポーランドとリトアニアの境界で森を伐採していた、著者自身の親族のユダヤ人の話からはじめ、森に生息していたバイソン、ゲルマンの森の異教性の記述から、アメリカのヨセミテに及ぶ「伽藍(がらん)の森」「緑の十字架」へと、資料を考察していく。

 かなり毀誉褒貶のある書である。立場によって評価が大きく異なる。
 著者がポーランド系のユダヤ人ということもあるのだろう。
 また、従前の歴史学からは相当に食み出した<歴史学>の書とは看做し難い性格が強いからでもあるのだろう。
 ま、何事にも門外漢の小生、できるだけ虚心坦懐に読んでいきたい。

「原初の森に分け入り、生と死の川をわたり、聖なる山々に登る―人間は風景をどのように見、創りあげてきたか」の、恐らくは後段に筆者の重きがあるように思える。風景はそこにあるのではなく、何万年にも渡る人の営みと思いいれとで、こうあってほしい風景像が作られていく側面もあった。

 風景を見るとは人間社会を見ることとまでは言わないとしても、当代の世界観・宇宙観・人間観、そして宗教観や政治状況を直接間接に投影することでもあった。
 社会に背を向けるという姿勢であっても。
 見たいものを見るということであっても。

 血塗られ、刈り込まれ、焼かれ、動植物相が無理やり変貌させられ、はるかに広がる草原も元はと言えば木々が伐採されつくした惨状の末であり…。

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→ サイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社

 ところで、本書の中でアルブレヒト・アルトドルファーが登場する場面があった。

 小生は、既に下記の稿で、幾つかの画像は紹介している:
アルトドルファー:風景画の出現(前篇)
アルトドルファー:風景画の出現(後篇)

 本稿では、本書アルブレヒト・アルトドルファーがどのように扱われているかを通じて、本書の性格の一端を見てもらおうと思う(下記転記文中、斜体となっている言葉は、本文では傍点である)。

 話の前後の脈絡を欠いての転記となるが、御寛恕願いたい。

 16世紀の初め頃にはさまざまな民族の風俗習慣を比較する著作を書いたある人物はその著の中で、最初のゲルマン人を牧歌的な姿に描いている。ゲルマン人たちは互いを「兄弟(ブルーダー)」と呼び、森のアルカディアに住んでいた…。

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← アルブレヒト・アルトドルファー(Altdorfer, Albrecht) 『聖ゲオルクと龍(Saint George in the Forest)』 (1510) (画像は、「WebMuseum Altdorfer, Albrecht」より) 画像は拡大してみるべし。

 こうなるとゲルマンの森、彼ら民族の祖(みおや)たち、そして彼らの近代の末裔(すえ)たちをちゃんと評価しようとすれば、まずそういう決意が、次に微妙な扱いが必要になった。それら森の居住者たちは活力を喪失したイタリアの都市住民とは区別されるほどには野蛮でなければななかったが、野獣的という古き責めをこうむるほどに野蛮であってもならなかったからである。このゲルマン的異質性をそなえた主役に特に森そのものを仕立てたのはアルブレヒト・アルトドルファー[一四八〇 - 一五三八]の鴻業であろう。アルトドルファーは素描、木版画、そして絵画を通して、その驚くべく密生し鬱蒼とねじれた形態をもってイタリア芸術で試みられたいかなるものともはっきり異なるのだと言い募ってやまないゲルマンの木々と森のイメージをひたすら産みだすことに成功する。
 けだしドナウ川沿いのアルトドルファーの生地レーゲンスブルクは、まさしくツェルティスに代表される愛国主義的人文主義と、その弟子たちによるゲルマンの古代史と地誌への肩入れの重要な中心地ではあった。しかし彼はまたある宗教的世界の人間でもあった。その世界では、十五世紀中葉以来、彫刻家や建築家が、教会のインテリアを生けるあずまやをもって飾り、柱や丸天井から巻き蔓や葉が出てくるのである。南ドイツに見られる最も凝った生ける教会堂を見ると、葉の密生した曲がりくねった大小の枝がのびていった生きた天然の天蓋となっていた。そうしてみると、アルトドルファーの木々の何本かはたしかに意図的に、そして幻想的に様式化されているように見えはするが、明らかに緑の聖堂と部族の住う所双方を支える土台たることを狙ったものなのである。
 この聖なるヒロイズムの植物世界を単に絵にしたというだけでなく、実際生長しているようにも感じさせる驚くべき一幅が一五一〇年ころ、アルトドルファーによって描かれた(挿画)。その質素な額の中では、シダ、常緑樹、そしてオークの豊かな森が菩提樹のパネルに貼られた羊皮紙のほとんど全面をびっしりと覆う(初期の高地ドイツ語で菩提樹を表す "Linde" は、マイケル・バクサンドールの指摘によると、その木ばかりでなく聖なる森ひとつをも指した)。右下にごく小さく開かれた空間が、山から見える景色とうことで、奥行きと距離のまともな感覚をやっとそこだけ与えてくれる。
 この絵の主題は見かけ上は、龍を殺そうとしている、というかなぜか龍に敬意を表しているとしか見えぬ聖ゲオルク(ゲオルギオス)である。そして彼に地獄の力に対峙する騎士というキリスト教の兵士(miles Christianus)の典型としての定型表現が施されているにもかかわらず、(すでにして小さな作品の中の)対決のおもちゃじみたミニチュアを見る、この作品の真の英雄は、このキリスト教徒の戦士であるばかりでなく、トイトブルクの森でもあるのだと感じられてくる。このゲオルクはまた一人の擬似へルマンである。このパネルは、アルトドルファーが教会を葉叢で飾ることで聖なる空間を創造する伝統を細心の注意を払って絵画に移し変えたという理由からだけでも、風景画における真に革命的な作品である。だからと言ってアルトドルファーの葉叢がそれと分からぬほど様式化されているということにはならない。実際はまったくその逆であった。彼がデューラーやレオナルドの科学的厳密をもって描いたのはたしかなのだが、この絵を見ると、単なる細かい写実の積み重ねなど、見る者があたかも葉叢によって窒息させられ目隠しされるといった感じに森が何もかもを呑みこんでひとつにしてしまう驚くべき感覚によってあっさり超えられてしまっている。われわれと視覚的奥行きのありうべき手掛かりの間に立ちはだかる緑のカーテンが、ナラティブというか物語りの可能性をほとんど圧殺している。聖ゲオルクと龍は、葉の壁の一隅の正面に閉じこめられてしまって、もはや舞台の主役たちではなく、前舞台(プロセニウム)カーテンの前で導入の役をつとめるコーラスたちにすぎない。葉がさらなる葉の上に光を放ち、みっちりと刺繍された群葉のパネルの中、積み重なり折り重なっていくのを前に、物語られているのが森そのものであることをわれわれは卒然と理解し始める。このゲルマンの森は歴史劇のための「小道具」ではなくて、歴史そのものなのである。(p.121-2)

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コメント

アルブレヒト・アルトドルファーについての自主研究は進んでいませんが、挿絵と上に書いてある内容は興味深いです。

画自体の植生などはドナウ河畔にもありえそうなのですが、かなりデフォルメされているのは確かで、心に描こうとしている原生林などはとっくの昔に消滅していたと認識しています。

勿論それがゲルマンの伝説である「パルシファル」を描いているとなると、まさしく再び二百年ほど先にやってくるドイツロマン主義の世界観ですね。

それは神聖ローマ帝国の思想的な世界観の表れたマニエリスムの典型かもしれません。

しかし、現実に南ドイツの教会の様式を見るとき上のような木造の扱いは、むしろドナウから離れたスイスやオーストリアに顕著でそれも異なった方法であることに注意が要ります。それゆえにこうした絵画での手法がやはり特殊であることが際立つようです。

「ゲルマンの森」の概念は元々かなり抽象的で伝説的な概念で、あまり具象的な概念や描写ではないと感じています。

投稿: pfaelzerwein | 2007/12/29 05:58

pfaelzerweinさん

サイモン・シャーマ著の『風景と記憶』は、どうやら全編に渡って、人の眺める風景は人の営みが影響を与えた(敢えて汚染したとは言わないまでも)、人の気配と歴史と足跡の濃厚な、人為の、そう人が(あるいはその都度の政治的・宗教的・民族的影響力の上で支配的な人たちが)望むような風景なのだという主旨が(も)書かれているよう。
読む人の立場によっては、瑣末な、教科書ではまかり間違ってエピソードの一つでさえ、取り上げられないような歴史の隘路のあれこれ、人によっては(立場によっては)もう、そんなこと今更採り上げるなよと言いたくなるような、そんな事柄で埋まっています。

日本人の大好きな古寺の庭。中国の山水画に描かれる山紫水明の境。ドイツの黒い森(植生がナチスドイツらの手によって、あるいは時の権力者や企業家らの手によって変更されたり)。アメリカのハドソンリバー派らの描く壮大な山々や草原、オーストラリアのエアーズロック…。
人類が百数十万年前に原始人として、アフリカの故郷から世界に広がり(この時はアメリカ大陸やオーストリアなどには辿り着けなかった)、数万年前(5万年前後)に新人が新たに世界に広がり、いつしか、世界隈なく人の足跡を残した。
ついには月世界にも。いつかは宇宙へ?

世界に原風景は、人の想念・観念・情念の中にしか残っていない。
その意味で、逆に言うと原風景はずっと描き続けられる、残り続けるという言い方も可能なのかも。

神話は常に作られ続けるのでしょうね。

投稿: やいっち | 2007/12/29 14:49

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