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2007/03/26

あれこれとトラブル抱えAESAカーニバルへ

 3月25日(日)、「AESAカーニバル」に行ってきた。

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→ 小生が見逃したリベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)ショーの前半のパフォーマンス。画像は、Charlieさんの「A.E.S.A Carnaval 2007 Yokohama」(「Charlie K's Photo & Text」参照)から拝借つかまつりました。

 その予告というか案内は、過日、「もうすぐAESAカーニバル!」で掲げてある。

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← AESA CARNAVAL 2007 パンフレット(← 拡大できます!)

AESAは1999年、浅草サンバカーニバルの1部リーグのサンバチームを メンバーにした団体として発足し」たもので、「メンバーは、ウニオン、バルバロス、リベルダージ、 サウーヂ、 アレグリア、ウルバナ、クルゼーロ」に、ヴェルメーリョが加わっている(「浅草エスコーラ・ヂ・サンバ協会(AESA)について」参照)。

 小生、本来、今頃は帰省していたはずなのだが、予定外の支障があって、未だ東京に留まっている。
 なので、案内だけして、あとは誰かが撮ってくれるだろう写真とか、誰かのレポートなどで雰囲気を察するだけのはずが、せっかくなので、足を運ぶことに。

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→ ここからリベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)ショー画像。ちょっとだけよ、だった!ヴェルメーリョ(G.R.C.E.S. VERMELHO E BRANCO)のパフォーマンスは全く、見ることが叶わなかった。

 とはいいながら、小生のこと、土曜の夜は早めに寝たものの、何故か朝早く…未明の四時ごろだったろうか…目覚めたもので、再度、寝入ったら、今度は何時に目が覚めるか分からないしと、ブログを書くことに(「食い意地や定められしは下りのみ」)。

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← 見逃したリベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)ショーの前半。というか、見たのは5分か6分だから、ほとんど、見ていない?! 口惜しい!

 書き終え、アップしたのは七時前。なんとも、中途半端な時間。
AESAカーニバル」に行くとして、小生には長丁場である。もう、開き直ってやはり寝ることにした。なけなしの体力温存である。
 目が覚めたのは十一時前だったろうか。なかなかいい時間。前日に買い置きしておいた食パンと牛乳などで優雅にトーストの朝食(兼昼食)と相成った。

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 というか、相成るはずだった。
 食事の時はテレビを見るのが習慣の小生、テレビをオン。
 すると、画面からなにやら不穏な空気が漂ってくる。地震。それも、震度などを告げるだけではなく、津波が何とかとも言っている。そのうち、震源地の地名が輪島近辺だとか、石川がどうしたとか、七尾が何だとかアナウンサーが伝えている。

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 輪島、七尾、石川? それって、小生の郷里・富山の隣ではないか!
 しかも、震度6強だって。
 あのあたりで震度6強の地震って久しくなかったはず。
 というか、小生、こう見えても(どう見えているんだろう?)半世紀を生きてきた。物心付いてからでも、そろそろ五十年になろうかという年頃である。

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 が、物心付いて以来、富山ではそんな地震は経験がない。新潟地震の際、隣県である富山(は富山市)で震度4ほどだったはず(滑稽なエピソードが、その際にあったのだが、いつか書く機会を設けたい)。
 富山市は5弱だとテレビで告げている。
 小生、ダメもとだが、郷里の富山へ電話。

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← ここからアハスタオン(Bloco Arrastão)ショー。

 やはり、繋がらない。親戚の家にも電話。ダメ。携帯もダメ。
 が、郷里の我が家で電話したら、三度目だったろうか、繋がった!
 ラッキーである(その後、他の親戚の家にも電話したが繋がらなかったのだ)。
 父母ともから無事な声を聴けた。

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 驚くほどに揺れたという。父母共に経験がない揺れだという。
 父母は共に齢も相当なもので、介護というかまあ、これまでの親不孝を少しでも解消しようと、年に数回、帰省しているのだが、彼らは体もだが気力のほうも弱っている感がある。
 あれ以上、揺れたらダメだったという。

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 郷里の我が家は築五十年を越えている。木造。屋根瓦が立派。これまで風雪に耐えてきた。でも、富山はもともと地盤自体が弱い(明治以降だけでも度々洪水に見舞われたから、あふれ出した土砂が堆積した、脆い地盤なのである)。
 この重い瓦が地震の際には逆に脅威になってしまう!

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→ ウニアン(UNIAO DOS AMADORES)のパフォーマンス。

 夜にも電話したのだが、父母は二人、これで家屋が倒壊したら、もう諦めるしかない。逃げようにも足腰が危ういのだ。下手に動けばどうなるか、かえって危ないだろう。どうせなら、二人抱き合って最後を迎えたほうが、いっそ諦めが付く…。
 そんなことまで考えたとか。母も怖かったという。あまり感情を表にしない父母がそういうのだから、相当の恐怖を覚えたのだろう。

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← ウニアン(UNIAO DOS AMADORES)の出演者は、もしかしたら高校生かもしれないので、画質は落としてあります。実にユニークなショーだった。

 父が言うには、今回の地震の揺れの程度については、昭和23年(1948年)6月28日に発生した福井地震の時に経験した揺れを思い出したという。地震の規模も同じほど。だが、福井地震は震源が比較的浅く、揺れも被害も甚大だったのである。
 福井市は震度7ではなかったかと言われているほどなのだ。

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→ ここからウルバナ(Unidos Do Urbana)ショー。

 ただし、富山市は震度4ほど。小生が十歳の頃の新潟地震の時と同じほどだったと推測されるわけである。
 やはり、富山市において震度5(弱)というのは、父母共に生まれて初めての経験だったわけだ。

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 父母からの情報で、石川にもいる親戚関係を含め関係筋では被害がないことを確認できた。
 父母の声も聴いた。
(なお、この地震は、正式な名称かどうか分からないが、「能登半島地震」と呼ばれているようである。似たような名前の地震に「1993年2月7日 能登半島沖地震」があったような。結構、被害も相当にあったようだが。)
 ホッとしたこともあり、ようやく、トーストと牛乳の食事にありつくことに。

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→ ここからフェスタンサ(Festanca Festeiro!)ショー画像。

 食事を終えた時には十二時を回っていたろうか。
 
 前夜のうちに充電を終えたデジカメと本をウエストポーチに詰め込んで、いざ、横浜のレンガ倉庫へ。
 その前は通ったことはあるが、中に入ったことがない。話だけに終わっている建築物をゆっくり見る絶好の機会だ。
 そのはずだったが、またまたトラブルが。

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← 余談だけど、写真と画像って、どう違う? 同じ?

 なんと、大森駅から桜木町駅まで京浜東北線で直行のはずが、東海道線の大森・鎌田間で人身事故が発生したのだ。
 鉄道での人身事故。ケースはそれぞれだろうが、月に60件ほど発生しているとか。
 運転手は、しばらくは精神的後遺症に悩まされる(という人もいるとか)。
 昨日の事故がどのような事情に拠るものか、小生は詳細を知らない。

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 いずれにしても、(当人はもとより)家族や友人・関係者も大変だろうが、鉄道や警察・救急の関係者も時間との戦いもあり、大変のようだ。
 駅のホームから眼下の線路を眺めて、こういうところに飛び込む人はどんな気持ちなのか、よほど絶望的なのだろう、あるいは気持ちが抑えられず、衝動的にだったのか、あれこれ思うことがあった。

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← ここからバルバロス(G.R.E.S BARBAROS)のパフォーマンス画像が始まる。小生、何故か、クイーカが気になってならなかった。右端の青っぽい服の彼の歌は迫力があった。

 さて、京浜東北線は上下線とも全線でストップしているというのだ(京浜東北線は、翌日26日、月曜日の午前にも横浜での架線のトラブルがあって、やはり一時全線ストップした!)。
 地震に人身事故(実は、この日、東京モノレールとクレーン車アームが接触するという事故も発生していた)!

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 バスで大森駅まで来たものの(バスに乗る際に、その情報を入手した。というか、バスの運転手がバス停でバス会社の人からそういう情報を与えられているのを、傍で漏れ聞いたのである)、運転再開のメドは立たない模様。
 長年、バイクで移動する生活を送ってきた小生、急に電車での迂回路を考えるといっても、知恵が浮ばない。

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← チームの代表が誰かさん命の方に代替わり。そのお披露目だった。

 が、改札口の前の特設の掲示板に表示してある私鉄も含めた路線図で、京浜急行だと横浜駅に直行できることを知った。横浜駅からは私鉄の路線。あるいは、横浜駅に付くころにはJRも復旧がなっているやもしれない。
 大森駅から京浜急行の大森海岸駅まで歩き。
 小ぬか雨がシトシト降る中、傘も差さずにトボトボと。十分ほども歩いたろうか、大森海岸駅に着く。やはり、改札口にはお客さんが溢れている。かなりの人がJRから移って来たのだろう。

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→ 旗はもっと大きく撮らなくっちゃね。

 大森海岸駅から横浜駅を経由して桜木町駅までの切符を買う。
 小生の目の前を急行が行き過ぎ、鈍行を待つ。
 もう、こうなったら開き直るしかない。ベンチに腰掛け、持参の本を読むことに。

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← マニュエル・ロザンタール著の『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)

 持ってきたのは、マニュエル・ロザンタール著の『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)である。著者のマニュエル・ロザンタールは、ラヴェルの弟子であり友人であるという。そんな著者が記した回想録。

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→ やはり、勢いを感じる。何かやってくれそうという予感。

 ラヴェルの愛弟子だというが、小生は全くの未知の人。
 昨年からドビュッシーやラヴェルらの音楽に惹かれている。
 音楽は曲を聴けばそれでいいようなものの、思えばラヴェルについての本を読んだ記憶がない。

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← 画像では背を向け腰をかがめている彼。タンボリンの演奏をしつつ、ジレトール(指揮者)の役目も果たしての彼のパフォーマンスが一番、印象深かった。

 弟子だと、追従的な内容になりがちだが、図書館でパラパラ捲ってみたら、師の長所を褒めるのは当然として、欠点や音楽上のどういった点に才能があり、どういう点に難があったかを率直に書いている。これなら辟易しないで済むだろう、という判断で借りることに決めたのだ。
 往復の電車の中で五十頁ほども読めたのは、借りて当たりだったという証左だ。

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 内容的には、「1920年代、百花繚乱のパリに生きた芸術家たちの青春群像」というもので、回想録でもあるし、表題をもう少し親しめるものにすればよかったと思う。実に興味深い話が出てくるし、確かに音楽論的な要素は大きいのだが、論というより楽想や着想に纏わるあれこれを興味深く教えてくれるといった趣の本なのである。

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← ご苦労様!

 さて、横浜駅に着いたのは何時だったろうか。13:50頃だったか。ああ、もう開場は勿論、開演にも間に合わない。リベルダージの出演時間である14:20に間に合うかどうか…。
 電車に乗りなれない、まして乗り継ぎに不慣れな小生、ここでまた失敗。

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→ ここからサウーヂ(G.R.E.S.SAUDE)の画像が始まる。小生好みのパフォーマンスが続く。というか、あの紫色の薄い紗(?)に弱い…、スリットスカートにも…。

 桜木町までの切符を買ってあるのに、横浜駅の改札口を出たら、切符は出てこない。あれーー、である。
 改札を出る前に何処かへ向わないといけない、のか。分からん!
 仕方なく、横浜駅から桜木町駅までの京浜東北線の切符を買う。そう、横浜駅の改札を出る頃に、JRは全線の復旧がなったと構内放送があったのである。

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← 薄物に弱いのは、もしかして昨年の浅草サンバカーニバルで我がリベルダージが、ベリーダンサーのパフォーマンスを披露したから、なのか?

 桜木町駅を出た時には14時を回っていた。
 さて、何もトラブルがなかったなら、13時半前には桜木町駅に到着し、みなとみらい近辺か馬車道などを散策しつつ、ゆっくり横浜レンガ倉庫に向うはずだった。
 が、桜木町駅から横浜レンガ倉庫への徒歩での最短のルートなど分からない。

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→ 昨年末のNHK紅白歌合戦での「DJ OZMA」の演出を思わせる趣向が!

 駅で道を聞いたが、雨だし、歩くと十分では無理の可能性がある。
 余儀なくタクシーに乗る。
 結果的にはその判断が正解だった。
 歩きだと、横浜界隈は地理不案内な小生、どこをどう間違えるか、知れたものではないのだ。

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← 大人の遊び心一杯のパフォーマンス、楽しかった!
 
 それでも、横浜レンガ倉庫前でタクシーを降りたときには、リベルダージの出演時間が始まっていた!
 しかも、おまけに2号館内をうろうろしてから、間違いに気付き、1号館へ。
 開場で受付を済ませたときには、14:35分頃だったか。

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 それでも、ギリギリ、我がリベルダージの演技の最後、数分を見れたわけである!!
 これを間に合ったというべきなのかどうか。
 ま、リベジダンサーのダンスを垣間見られただけでも、高い交通費を払った甲斐があったというもの。

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← ここからアレグリア(G.R.E.S.ALEGRIA)のパフォーマンス画像。あっ、Aを撮り損ねた!

 とにかく、もう、開場内に入った時点で、小生、あちこち歩いて疲れきってしまった。
 会場では、演技している最中はデジカメを手にダンスや演奏を撮り、見、雰囲気を味わうが、休憩どころか、次のエスコーラの演技に移る僅かな時間帯も、壁の花(染み?)になって、腰をドッカリ下ろして休憩である。

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 まあ、座り込みつつ、撮影に失敗した画像の削除作業もやっているのだが、情けないこと、この上ない。
 それでも、ライブを見ているうちに、雰囲気が体に喝を入れてくれるようである。
 かぶりつきとはいかないものの、最後まで少々体を揺らしつつ、パフォーマンスを楽しめたのだ。

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 撮影については、デジカメの充電はしたものの、屋内での撮影のための調整・設定が間に合わず、まあ、とりあえず撮ったというだけの出来になった。
 幸い、撮影については(これは予想外だったのだが)高性能の一眼レフカメラを手にしたプロ級の腕前の方も、来場しておられたので、そんなに神経質になって撮影する必要もない。

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 このレポート内では、小生の拙い撮影での写真(画像)を使うことにするが、後日、某氏の写真(画像)を使わせてもらえる(可能性がある)わけである。
 チームのメンバーを初め、同氏の写真を楽しみにされている。

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← ここからクルゼイロ(CRUZEIRO DO SUL)の画像が二枚続く。

 最後に、特別に編成されたという、「AESAカーニバル」も含め、「浅草エスコーラ・ヂ・サンバ協会(AESA)」の運営に携わる方々で成る、その名もAESAバンドの演奏も楽しんだ。
 人気のあるメンバーが多いのか、個人名(愛称)で声援されたりしている。

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 会場を出たのは、18時前だった。終演の予定は18時だが、そこまで居ると、出口(エレベーター)が込むことが懸念される(確か、階段が使えなかった)。
 外に出ると、雨はさすがに上がっているものの、未だうっすら雲が残っている。それでも月影がぼんやり顔を覗かせている。
 晴れていたら、未だ明るいのだろうが、その薄い雲のせいで、宵闇が迫っているような感が強い。

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← この日のために急遽、結成されたという「AESAバンド」だ。オールスターキャスト!

 この海辺の地区の雰囲気は、ロマンチックでデートコースに持って来いの風景や建物、橋が至るところにある。
 カップルが多く、歩いている。
 せっかくなので撮影したかったのだが、デジカメの容量がなくなっていて、撮れなかった。残念である。

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→ 商店街でのパレードだと、運がよければバテリアの演奏を間近で聴くことができる。個々の楽器の演奏を耳元で聴けるのだ(無論、マイクを通じての全体の音がコース上に流れている)。アゴゴ、ヘビニキ、スルド、タンボリン、カイシャ、クイーカ、ガンザ、ショカーリョ…。その点、ステージでのパフォーマンスでは、基本的に全体の合奏を聴くことになる。音楽的調和感という点ではいいのだが。今回、サンバには珍しい弦楽器のカバキーニョの音の印象が薄かったのも、仕方ないのか。

 そんな中、ボンヤリな小生は、またもや道を間違えて、1ブロック分、グルッと一周して、普通なら十分ほどで桜木町駅に着くはずが、駅に着いたら18時を30分も過ぎていた。
 体が重い。あれこれトラブルがあって、歩いたし、ダンスなどに興奮させられ、小生には少々活動し過ぎの感がある。

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 トラブル…。帰宅したら、さらにまたトラブルが待っていた。
 というのは、玄関ホールの入り口の鍵が接触不良か何かで、鍵を差し込み、回してもドアが開かないのである。
 小生、よほど、裏の塀から攀じ登ろうかと、一瞬、思ったりした。

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→ 「AESAバンド」のパフォーマンスに会場内が持ち上がっている中、この光景(画像)を最後に小生は会場をあとにした。

 が、そこはそれ、珍しく知恵を働かせて、なんとか開けてもらったけど、最後までトラブルの多い、ライブの日となったのだった。

 さて、最後だが、レポートと言いながら、本稿はただの日記になっている。ま、例によって例のごとくだが、文章は画像を掲げる壁の背景であり壁紙だと思ってもらえればそれでいい。

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