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2007/02/12

04年武蔵小金井パレード(2)

 別窓で開く記事「04年武蔵小金井パレード(2)」は、04年・武蔵小金井見物レポート&日記。「04年武蔵小金井パレード(1)」の続きです。(1)同様、一昨年までホームページに所収していたもの。画像は、当時、ホームページの容量を超えたため、泣く泣く削除。そのうち、元のデータを発見したら、再度、アップさせたい。本文中の[]内の箇所が画像が挿入されていた場所。文章は、ホームページにアップさせた当時のままです。

 なお、サンバ(ブラジル)用語については、下記を参照:
G.R.E.S. LIBERDADE サンバカーニバル基礎知識 構成要素
サンバ(ブラジル)関連用語解説

 リベルダージの公式ページ:
G.R.E.S. LIBERDADE


           04年武蔵小金井パレード(2)  
                                          
                            (04/08/02 up)

           04年武蔵小金井パレード(1)  
           04年武蔵小金井パレード(2)  


          「04年武蔵小金井パレード(2)」 

バテリア(打楽器隊)! た、た、た、宅麻伸!

 話の順序が滅茶苦茶だが、ここで小生の苦手な話題だが、少しだけ衣装のことなどを。
 ダンサーの方たちの衣装は、購入する場合もあるし、手作りされている方も多い。足(脛)の飾りやカペッサ(頭の飾り)など、手作りされていたりして、その煌びやかさと作りの見事さを見るのも一興かもしれない。背中の羽根さえ、手作りの方も多いことは、小生には驚きだった。それは、自分の好みの衣装を纏いたいという気持ちもあるのだろうし、それぞれの生活の厳しさの中で時間と経費を遣り繰りして工夫しているという面もあるのかもしれない。
 無論、経費を惜しむことなく、衣装に注ぎ込む方もいるのだろう。わざわざ本場ブラジルから購入している方も多い。少なくとも浅草の本番となると、晴れの舞台ということで、全ての面で惜しみなく情熱を注いでいるわけだのだ。
 リベルダージの浅草でのパレード構成は知らない。いろいろなアーラ(役目)があるらしい。蝶か蛾なのか分からないのだが(小生には妖精に見えるのだが)、そうした生き物をイメージした衣装を纏った八人ほどのダンサーの一団がやってくる。その中に、<み…ち>さん、<さ>さんらがいる。手を振ったら、なんとか気付いてくれた。演技に忙しいのに、申し訳ない。


蛾(妖精)のアーラ! 舞台裏でも八面六臂の活躍!


 というのは、自由にストリートを移動できるダンサーとは違って、一連の踊りの流れを集団で形作っているダンサーさんの集団だと、仲間との演技の形や流れを崩してまで沿道にいる誰彼に合図したり呼応したりは、なかなか難しいのだ。でも、目一杯の愛想の篭った視線のビームを貰って、小生、ご機嫌である。但し、カメラに彼女等の笑顔が収まっているかどうかは、保証の限りではないのが悲しい。慙愧の念に堪えないところである。
 そのアーラと演技的に時に絡んだりする形で、リベルダージの旗を持つ役目のポルタ・バンディラ&メストラ・サリのペアの方たちが踊っている。<み>さんと彼女の引き立て役である男性のペア。
 とにかくチームの旗を持って、豪華な衣装で踊るので、暑い中、笑顔を絶やさずに旗を示しつづけるのは、想像以上に大変な体力・気力を要する役目だと思われる。


ポルタ・バンディラ&メストラ・サリ! 体力・技術・情熱・サービス精神!


 ダンサーの方たちの踊りは、個性に満ちている。厳しい練習の日々を経て踊っているわけだが、何か特定のアーラを担っていない限りは、ストリートを蛇行しながら、できるだけ多くの観客に公平に見てもらえるよう踊りまくる。みんながお互いを意識しあっているが、主に意識しているのは、バテリア(打楽器隊)の演奏は言うまでもないとして、やはり観客へのアピールなのだろう(小生の推測である。実際に、本人達に意見を聞いたわけではない)。
 それぞれのパシスタ(ダンサー)が、自分独自のリズム感や音楽性に基づいて、それぞれなりのステップワークを披露してくれる。当然、サンバなりの幾つかの基本的なステップワークや体の捻り方などがあるのだろうが、基本を踏まえたなら、後は、踊り手の個性に委ねられる要素が非常に大きいように感じられる。

 まさに軽快なステップを踏まれる方。優雅という表現を使いたくなる方、ダイナミックさを感じさせてくる方。腰の捻り、体の捻り、顔(首)の位置の決め方、どれを取っても、個性に満ちている。
 個性の典型が笑顔のように思われる。サンバは笑顔が一番である。素敵な、その人の持つ、一番の笑顔を振り撒くのだ。というか、笑顔に尽きるのではないかとさえ、素人の小生は思ってしまう。

 生きる喜びを、ダンサー、バテリア、歌手、スタッフ、そして観客と一体となって心底から感じたい一心なのだと思う。生活の苦労、練習の厳しさ、スケジュールのきつさ(衣装を自分で手作りするという手間暇を含めて)、必ずしも体調が万全とは言えない場合もあろうし、往々にしてあることだが、肝腎の踊るストリートの路面の劣悪さ(武蔵小金井のことを言っているわけではないのです。一般論です)。日中だったりすると、暑さとの戦い。全てが克服すべき困難だったりする。


パシスタ! 子供を見つけて笑顔の交歓!


 けれど、繰り返しになるけれど、ストリートでの、老若男女を問わない方たちとの気兼ねない交流こそが(サンバダンサーの方は子供好きな方が多いような気がする。沿道で子供を見かけると、たまらず近付いて声をかけ、笑顔を交歓し、あるいは手を取って見たりしている場面をしばしば見かける)、サンバの第一の特色であってみれば、これらを困難と思うより、まさにこれらの条件こそがサンバのステージなのだと思えてくる。サンバの醍醐味なのだと断言したくなる。

 バテリア(打楽器隊)には、小生、特に少々後ろめたい思いがある。
 小生、これでも、リベルダージのメンバーなのである。なのに、まるで活動に参加していない。浅草サンバカーニバルの準備作業も手伝っていない。バテリアの一員として一時は顔も出したのだが、それも三回ほどでリタイアしている。顔見知りも何人かいる。もう、顔見せできる立場にない。勝手にサボり、脱落しているだけで、バテリアの面々からしたら、忘れ去られた存在なのだろうが、こっちはどうしても顔見知りの方が頑張っていたりするのを目の当たりにすると、気後れすること、間違いない。

 ま、自業自得なので仕方がない。

 楽器を演奏する方たちの練習に立ち会って、小生、ひたすら尊敬するばかりだった。みんなそれぞれに複数の楽器を演奏できたりする。ライブ活動に日頃は活躍されている方もいる。小生は圧倒されるばかりだった。
 だから、バテリアの傍にいると、演奏されなくても存在感を覚えてしまうのである。無論、写真もパチリパチリである。

 そのバテリアの後ろには、昨年、ハイーニャの役目を果たされていた<か…姐>さんがいる。動きが激しくて、なかなかシャッターチャンスは来ないのだが、それでも何枚かは撮れている(と期待している)。
 彼女の傍には、小生が会場へ向う途上で後ろ姿を見た、<れ>さんがいる。その衣装の迫力の凄いこと。小生には表現する言葉がないのが残念である。日に焼けた体が汗に塗れて、眩しいばかりだ。

 ところで、彼女等に前後して、少なくとも小生は初めてのパートの一団がやって来た。踊り方は、小生が判断するところ、ボイ・ブンバだと思われる。今年のリベルダージの新年会で初めて見て、衝撃を受けた踊りだった。
 ある意味、サンバよりも原始性を感じる。というかサンバには、どこかアフリカの臭いが感じられるのが、ボイ・ブンバにはアマゾンの原住民の臭いが感じられるのである。
 ちなみに、ボイとは牡牛を意味し、ブンバとは、大騒ぎとか爆発音の擬音、太鼓の音だったりする。つまりは、「牛を題材としたブラジルの民間伝承(フォークロア)」のようである。

 ボイ・ブンバ(一応、?を付けて置く。小生が勝手にそう思っているだけかもしれないし)を踊っているダンサーは、八人ほどいたが、みんな若い。踊りがひたすらに激しいのだ。ずっと動きっ放しと言っても過言ではない。踊りの大胆さと動きの激しさ早さ。見応えはかなりのものがある。
[本当に、小生の誤解だった。ボイ・ブンバではなく、「原住民のアーラ」なのだった。(04/10/16 訂正)]

 順番はわからなくなったが、歌手とカバキーニョ(遠目にはウクレレに似た形、大きさの弦楽器。実は小生も持っている)の一団がアンプと共にやってくる。我がショーロのアイドル<こ…こ>さんもいるし、男性の歌手もいる。
 サンバは、ダンサーが華(男性のギャラリーの大半はダンサーに目が行くだろうし、女性でも、踊りが好きな人、衣装に関心のある方はダンサーに視線が釘付けになるのではないか)であるならバテリアは、文字通りバッテリーであり、原動力、ダイナモ装置である。

 ならば、歌手はどうなのだろう。打楽器がメインのサンバにおいて、弦楽器の位置付けというのは、何処にあるのだろう。
 が、しかし、人間の肉声というのは、どんな場合でも、意識の上でメインに来る物のようだ。打楽器は強弱やリズムなどを示せるが、メロディは難しい。だからこそ数少ない弦楽器の意味は実は大きい(と小生は思う)。そして歌を歌うことで、打楽器にも弦楽器にも示せない気持ちや意味や世界を表現する。
 実際、ダンサーの方たちも、よく注視すると踊りながらも、歌詞を口ずさんでいる方がいたりすることが分かる。
 歌詞とかメロディは、打楽器と踊りがメインのサンバにあっても、やはり実は、隠れたメインのリード役を担っているようである。

 さて、小生、武蔵小金井の商店街で急遽、購入したリサイクルカメラでデジカメでは撮り損なったと思われるダンサー等を追い掛けて取り直す。撮り切ると、デジカメも、失敗を覚悟の上で、使う。
 まあ、十分に取ったかなと思った頃、パレードの前半が終わった。
 ところで、本日のパレード、ICU(国際基督教大学)の面々のチーム、ラムズのパレードもある。昨年、武蔵境で見て、そのキュートなダンサーに見惚れてしまった、あのダンサーたちがまたやってくる。見られる。で、実際、いたよ。でも、やっぱり写真撮影は失敗。リサイクルカメラは使い切ってしまい、デジカメしか残っておらず、グズグズとチャンスを伺っているうちに逃してしまった。あとは、肉眼で食い入るように見入るばかりである。それもよきかな。

 八時だったかに後半のパレードがスタート。小生、寝不足などと踊りに陶然としてしまって、頭の中が呆然状態である。体も疲れている。ただ、幸い、その日は家を出る間際に、冷凍のたこ焼きをたくさん食べてきたので(勿論、電子レンジでチンしてだ!)、お腹が空いて困るということはなかった。たこ焼き、さまさまである。
 なので、後半のパレードも最後まで、しっかり見る元気がある。帰ったら、グッタリだろうが、後は野となれ山となれである。今のチャンスを見逃さないこと。

 写真も満足とは行かないとしても(実は前半のパレードの終了間際のバツカーダ(踊りと歌と打楽器隊の演奏との饗宴)での撮影が尽く失敗していた!)、取り捲ったので、後は肉眼に頼ることにした。というか、サンバパレードそのものを楽しむことにした。踊る彼女等に拍手を送り、手を振り、ステップ(モドキ)を踏み、たまに視線が合ったなら、目一杯の拍手を送る。
 パレードもいよいよ、終盤を迎える。

 前半のパレードは、交通規制されている商店街の駅とは反対側の終点からのスタートだったが、後半は、駅から商店街の外れまでとなっていた。そのパレードの終点近くに立つ。そして、顔が合ったら、いや合わなくても、拍手をし、手を振り、祭りの気分を堪能する。終点地点では、ダンサーが集団をなし、パレード中は、どうしても列をなす都合上、時に離れることもあるバテリアとも間近になる。つまり、バツカーダ状態、踊りと歌と打楽器などの演奏との饗宴状態になるわけだ。
 ある意味、サンバの醍醐味がバツカーダにあると思う。

 一番、楽しい時でもある。ダンサーが踊る、ダンサーの踊りはパレード中はバテリアの面々にはなかなか間近では眺められないが、その時は、彼等も間近で見る。バテリアが、ストリートの両脇に分かれる。その間をダンサーらが一人一人、バテリアに演奏をありがとうという形で踊りながら通り抜けていく。ダンサーを乗せようと演奏に熱気が篭る。すると、ダンサーも乗る。ダンサーが乗ると、バテリア達も負けじと手に力が入る。その好循環が実現するのだ。


バテリア(打楽器隊)! ダンサーに負けない笑顔の数々だ!


 無論、観客も乗っている。
 小生の後ろに居た、若い男女は、その醍醐味を前に「すげー、すごくないー」の連発だった。「祭りだよ」の声も。この興奮状態、狂騒の光景に魅せられてサンバの世界に身を投じた人も多いのではなかろうか。
 カメラをポケットに仕舞ったまま、バツカーダに没入できて嬉しかった。楽しかった。

 やがて、ジレトール(サンバの演奏その他の指揮役)の合図でパレードが終了する。バテリアの演奏も終わる。パシスタの踊りも止まる。一気に商店街に溢れていた喧騒が止み、どこか淋しい、物足りない雰囲気が漂う。ただのギャラリーに過ぎない小生でさえ、何か喪失感のようなものを覚えている。パレードの面々は、尚更だろう。

 ダンサー達は、演技が終わると、用意されたお茶か水を飲み、さっさと会場を後にする。いつもながら、挨拶が出来ないのは寂しい。が、サボりマンの宿命である。
 彼女等が去った後、バテリアの面々が残っている。頃合いを見て、更衣室として用意された建物に向かうのだろう。何人かのバテリアのメンバーに挨拶する。彼等が眩しくてならない。

 せっかくなので、ラムズのパレードを見に行こうと思ったが、体がグッタリしていて、動きがトロい。パレードの終盤のバツカーダ状態にやっと間に合った時には、あっという間にそれも終わった。全てが終わった。
 小生は、疲れた足を引き摺るようにしてスクーターのある場所へ。商店街を脱け出たところで、嬉しい驚きがあった。それは、夜空にポッカリと満月が浮かんでいたことである。小生、何故かお月さんを眺めるのが好きなのだ。帰りは、ほぼ正面やや右斜め上に満月をずっと眺めながらナイトクルーズィングを楽しむことが出来た。

 スクーターのエンジンをオンにしたのは、9時15分頃だったか。部屋に戻って時計を見ら、10時15分頃。往復70キロほどのミニツーリング。心地良い疲労感を覚えつつ、シャワーを浴びた。
 さすがに、グッタリしてしまい、レポートを書く元気もなく、テレビを見ながら、あるいは掲示板の書き込みへの返事を書きながらダラダラと過ごして、夜半を回って一時過ぎだったかに就寝した。
 一眠りしてからレポートを書くことに決めたのだ。
 起きたのは4時半過ぎだったか。暑いお茶を飲んで一服して、レポート作成に取り掛かったのは、5時半頃だったか。そして、今、とりあえず、筆を手放す。執筆に二時間半も要した。疲れた!

                           (04/08/02 記)


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