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2007/02/12

04年武蔵小金井パレード(1)

 別窓で開く記事「04年武蔵小金井パレード(1)」は、本文上部に付した[]内の注記部分も含めて、04年・武蔵小金井見物レポート&日記です。一昨年までホームページに所収していたもの。画像は、当時、ホームページの容量を超えたため、泣く泣く削除。そのうち、元のデータを発見したら、再度、アップさせたい。本文中の[]内の箇所が画像が挿入されていた場所。文章は、ホームページにアップさせた当時のままです。

 なお、サンバ(ブラジル)用語については、下記を参照:
G.R.E.S. LIBERDADE サンバカーニバル基礎知識 構成要素
サンバ(ブラジル)関連用語解説

 リベルダージの公式ページ:
G.R.E.S. LIBERDADE



04年武蔵小金井パレード  
                                          
[ 以下の文章は、8月2日未明に日記に書いた文章をそのまま生かしました。よって、サンバパレードとは無縁のことにも言及しているし、そもそも文章そのものがメモ風となっている。印象が強いうちに取り急ぎ、書き下ろした結果でもあるので、その点の不具合などは御理解願いたい。また、武蔵小金井([南一番街]=JR武蔵小金井駅南口)で7月31日から始まっていた、『ふれあいカーニバル』の一環としてこのサンバパレードは行われたものであることを注記しておきたい。本文の中では、その辺りには全く言及していないだけに、予め断っておきたいのである。また、サンバパレードにはICU(国際基督教大学)のチーム・ラムズも参加していた。このチームのパレードにも、もっと脚光を浴びさせたかったが、力、及ばなかった。ついでながら、このカーニバルでは、「がんばれ三宅島コーナー」もあった。ちなみに、味の素スタジアムが近いせいなのか、このカーニバルの協力者にFC東京の名前もあった。(04/08/02 up) ]


04年武蔵小金井パレード(1)  
04年武蔵小金井パレード(2) 

04年武蔵小金井パレード(1)」  


ポルタ・バンディラ(サンバチームの象徴であるチーム旗を持つ。華麗な衣装と笑みの反面の、想像以上に負荷のある踊り)

 このところ、サンバパレードの前日、つまり土曜日はタクシーの仕事がある。ということは、日曜日の朝まで仕事だということ。気持ち、そう、三十分ほど早めに切り上げて帰庫した。売り上げ報告などを済ませて、さっさと帰宅。
 土曜日とか日曜日の朝は、環七も空いているので、環七を使って我が町近くの通りへ(ウイークデーの朝は、裏道を主に使う。朝の七時前後には環七は込み始めているのだ)。
 七時過ぎには帰宅できたのだが、やはり長くハンドルを握っていると、神経が昂ぶっているのか、いつものことながら、すぐには眠れない。空きっ腹に、お腹にもたれるようなものを食べてはいけないのだが(二か三時間以内には眠るのだし)、ついつい、ワンタンスープなど啜ってしまった。

 ネット巡りなどし、新聞などホットのお茶を飲みながら、たらたらと眺め、テレビ等を見(好きな、ところさんの「目がテン」を少しだけ見る事が出来た)、さて、やっとベッドに入ろうかという気になる。結構、グズグズしないと、就寝する気になれないのである。
 その時間、なんと九時を回っている。せっかく早めに帰宅したのに、馬鹿みたいなのだが、いつも通りなのである。
 いつもと違ったのは、大概は、就寝しても、日中ということもあり、夏は蒸し暑かったりするし、近所は煩いし、せいぜい三時間も眠ると目が覚めるのだが、八月一日は、珍しく一時半過ぎに目覚めた。つまり、四時間近く眠ったことになる。
 これは久々の快挙である。このところ三時間が限度で、それから仕方なく起き、読書したり洗濯したりネットしたり用事を済ませたりして、夕方近い五時過ぎに二度目の仮眠を取る。起きるのは平均すると七時前後。この二度目の、多くはロッキングチェアーでの居眠りでやっと、とりあえずは体も動くようにはなる。何か、書こうかなという意欲も湧く。外出(買い物)をしようかなという、ささやかな元気も出てくる、というわけである。
 が、当日、一日は、夕方の七時から武蔵小金井でサンバである。つまり、二度目の仮眠から目覚める頃にサンバが始まるわけである。
 となると、小生としては非常に困る生活リズムを強いられることになるわけだ。

 それが、昨日は、最初の睡眠が四時間も確保できた。ありがたい! せっかくなので、ネットめぐりをしたり軽く読書したりして、文章を書く気力があることを感じ取ったこともあり、この数日、掲示板などで話題になっていた、ツバメの巣を巡るあれこれの感想などを纏めてみた。タイトルは、「燕雀の思い」である。
 言うまでもなく、「燕雀 (えんじゃく) いずくんぞ 鴻鵠 (こうこく) の志を知らんや」に絡めたタイトルである。これまでに既に書き終えていて未アップのエッセイが幾つもあるのだが、この雑文「燕雀の思い」は、できるだけ早くアップしたい(多分、メルマガにて)。
 書き終えたのは、四時半頃だったろうか。サンバパレードは、武蔵小金井で七時から。ということは五時半には家を出たい。

 で、雑文を書き終えた後、ネットを軽く巡って、軽食を摂ったりなど、あれこれしていたら、これまた気が付くと五時をとっくに回っている。出発間際になるといろんな用件を思い出してしまう悪い癖が出てしまう。カメラの充電は済ませてある。デジカメのメモリーカードに保存されているデータをパソコンに移し、メモリーカードのメモリーを目一杯、空けてある。

 本日のパレードが夕方の七時ということで、デジカメだと何かと不都合の恐れがあるので、以前、買っていて、使っていないリサイクルカメラも持参する。
 何がデジカメだと不都合かというと、暗いとシャッターを押しても、シャッターが実際に切れるのに、若干のタイムラグがあったりするのだ。サンバでは、主に被写体は、パシスタ(ダンサー)の方たちである。動きは激しい。たまにカメラに向ってポーズを決めてくれたりするのだが、日中はともかく、夜だと、その決めの時間の間でさえもデジカメには短すぎて、ダンサーの方も焦れてしまって、動かれてしまう。で、ソッポを向かれた頃にシャッターが下りる。

 そんなわけで、せっかくのシャッターチャンスを随分と逃してきたのである。仮にこれがダンサーの立場であってみれば、せっかく、ポーズを決めてあげているのに、何、グズグズやってんの、だろうし、そもそも、ダンサーは、路上の観客全ての方にできるだけ公平に踊りを披露しようと心掛けている。カメラ小僧だけのために踊っているわけではないのだ。
 しかも、シャッターが下りない。ってことは、ポーズを決めた自分を撮りたくないのかな、他のダンサーが目当てなのかなと思われかねないのである。
 とにかく、シャッターチャンスを逃したくない。恰好いいところを写真に残したい。

 さて、デジカメとリサイクルカメラなどを持ち、スクーターで武蔵小金井へ。出発は、とうとう5時40分になってしまった。あーあ、これじゃ、スタートに間に合わないかもと思いつつ、逸る心を抑えながら現地へ走る。ルートは、今回は極めてオーソドックスなルートを使った。
 環七と甲州街道、そして(新)小金井街道である。これがお客さんを乗せてタクシーで向うなら、許されない、ド素人のルート選択だが、スクーターでプライベートなのだから、ま、いっか、である。

 案の定、甲州街道は込んでいた。特に味の素スタジアム近辺が。そう、「レアルマドリード・ジャパンツアー2004」ということで、「東京ヴェルディ1969vsレアルマドリードCF」の試合が本日、行われるのだ。しかも、18:55キックオフと来たもんだ。最悪のタイミング。
 こうした試合が行われることは、小生も知っていたが、味の素スタジアムだったとは、知らなかった。迂闊である。ああ、これまたタクシードライバーとしての営業だったら、失格だ。馬鹿だ。煩いお客さんだったら、罵倒されるかもしれない(実際、そんな客も居る)。
 でも、本日はスクーター。渋滞の車たちの間を、いつも以上に無理をしてすり抜けていく。もう、ここまで来たら意地である。

 何が意地かというと、当初、決めたルートを断固、守るということだ。頑固に既定路線を進むということだ。ここが融通の利かない小生の悪いところなのだな。 さて、渋滞の道をすり抜けながら突っ走り、(新)小金井街道に入ると、道は空いている。つまり、味の素スタジアム近辺を越えたら、あとは、スイスイだったということだ。そこさえ、避けていればもっとスムーズだったろうということだ。
 時計を見ると、六時半過ぎ。
 ってことはだよ。スタート時間に間に合うってことではないか! 小生、嬉しくなった。実際、会場の近くには40分過ぎにたどり着き、交通規制されているゾーンを掠めて、スクーターを止める場所を探す。50分近くに連雀通り(噂のスズメだ!)から脇道に入った辺りに止める。 テクテクと会場へ向おうとすると、通りの反対側にダンサーの方が男性のダンサーの方と一緒に会場へ急ぎ足で向われている。ギリギリに凝られた方なのだろう。リベルダージの練習スタジオでも、ライブ会場でも、勿論、パレードでも幾度となくダンスを楽しませてくれてきた<れ>さんだ。

 後ろから声をかけたら、振り返って、にこっとしてくれたが、先方にしたら、そんな余裕などないのだった。
 パレードは未だ始まっていないのだが、スタンバイというのか、車で言えば、アイドリングというのか、バテリア(打楽器隊)の演奏も始まっているし、ダンサーの方たちの、ステップワークも始まっている。ウオーミングアップが始まっているわけだ。
 嬉しい。パレードを見るのは嬉しいのだが、いよいよパレードが始まるという昂揚感を味わうのも、パレードのおいしいところなのだ。前にも書いたけれど、ダンサーの方たちの、弓の弦を目一杯に引かれていて、今にも勢いよくスタートする直前の緊張感とワクワク感、期待感の入り交じった雰囲気を共感するというのは、逃してしまうと、とても惜しく感じてしまうのである。
 いるいる、小生の勝手にファンになっているダンサーの方たちが。<し>さん、<ちょ>さん、<み…ち>さん、<さ>さん、<きょ>さん、<きしゅ>さん、<か…姐>さん、バテリアの後ろには、ダンサー等の世話をされる<よ>さんと、遅れてやってきた<れ>さん、リベルダージの旗を持つ<み>さんも、いるいる。


パシスタ! この笑みを見よ!


パシスタ! その笑みをこちらにも!


パシスタ! ああ、俯かないで!


パシスタ! 蛾のアーラだって?! 妖精のアーラじゃないか!


パシスタ! アップで見せてあげたい!


パシスタ! アップで見せてあげたい! 衣装が手作り!


パシスタ! アップで見せてあげたい!


パシスタ! 一緒に踊ろうよ!


 但し、旗を持つペアは二組いるのだが、もう一組のほうの白い衣装に身を包んだダンサーの方の名前(愛称)が分からない。
 何人かには声をかける。でも、小生の声は通らないので、ダンサーの方がこちらを向いた瞬間に手を振って合図する。スタート前のこんな時に余計な真似なのかなと思いつつも、手を振って挨拶したくてたまらないのである。
 いよいよ七時。バテリア(打楽器隊)の打楽器の音も、胸の昂揚感をさらに掻き立てるように鳴り響いている。サンバの音楽は、カバキーニョなどの弦楽器もあるが(小生がいつか挑戦したいと思っている楽器だ)、メインは打楽器である。手で叩くもの、棒で叩くもの、金属製のもの、木製のものと、楽器の形態は様々だとしても、とにかく、大地に振動を与える、あるいは、大地から心臓の鼓動へ呼応する天地の揺るぎを求めるかのように、打楽器が時に激しく、時にリズミカルに、連打される。

 サンバは、ブラジルの音楽なのだろうが、もとは、楽器と称するようなもの等ない中、ありあわせの日用品、農機具とか、生活雑貨を楽器に見立てて、何かの祭りの折、何かの記念すべきとき、何かの思いを表現したい時に、誰かが歌い、誰かが踊り、誰もが演奏することで、そこにいる全員が音楽と踊りの饗宴に参加するところに特徴があると思う(小生の印象である。専門的には別の説明があるのだろう)。
 踊りにしても、ブラジルなどで生まれたのだろうが(これも推測)、楽器共々、アフリカの臭いがプンプンする。アフリカの舞踏というと、伴奏は、やはり打楽器系のはずである。木の幹を枝を折り取って、叩くとか、棍棒で大地を叩く、あるいは踊り手が足を踏み鳴らすとか、とにかく全身を使い、できるだけ大地の根源に迫る形、天地の始原から遠くない形での音と体の饗宴を、できるだけ洗練されない形で現実化する。

 但し、繰り返すが、ここに書いてあることは、あくまで小生の印象である。専門家の方、まして実際に踊りや楽器の演奏に携わっている方は、違う考え、もっと深い理解と情熱に基づいてやっておれらることと思う。機会があったら、是非、その気持ちや理解を伺いたいものだ。
 むろん、そんな理屈より、サンバは踊る阿呆なのよ、自分が参加して楽しむに限るのよと、一笑に付されるに違いないのだろうが。

 さて、スタートだ。バテリアの演奏の手も力が入る。心臓を直撃するかのような打楽器の響きが高まる。ダンサー達の笑顔が一層の輝きを増す。アンプの脇で歌う方たちの声も響く。サンバでは一般に陰が薄いと思われがちな弦楽器(カバキーニョ)の演奏も、アンプで増幅されている。
 これまた、前に書いたことだが、小生は、サンバの音楽は打楽器がメインと言いつつも、最初にリベルダージのパレードに行った時の耳での印象は、まさにカバキーニョの音なのだった。というのも、アンプで増幅された形で、カバキーニョの弦を掻き鳴らす音が、遠くまで鳴り響いてきたからだし、最初に耳にしたのである。
 そう、最初は、打楽器の響きと、カバキーニョの音でサンバの洗礼を受けたのである。但し、打楽器のほうは、最初は分からなかった。大地の鼓動を感じていても、その正体が打楽器隊の演奏なのだということは、その重要性を含め、気付くのに時間を要した。

 カバキーニョについても、そうだった。音の正体は何処にあるのかと、耳を傍立ててみたりした。でも、カバキーニョの音はすれども、形は見えない。そりゃそうだ。アンプで増幅されているのだし、音の震源地がアンプの脇の弦楽器にあると気付くには、小生は、あまりに音楽音痴、頓珍漢な奴なのである。
 打楽器についても、スタジオへ行って、ほんの申し訳程度だが、実際にやってみて、初めて、その演奏されている方たちの凄さ、練習への熱意、ダンサーとの饗宴を楽しみたいという欲求、あるいはダンサーの方たちの踊りを盛り上げようとする思い、翻っては、サンバパレードを見物する観客達を魅了しようという情熱というか、魂胆という言葉を使いたくなるほどの熱い血の滾りを感じることができたのだ。

 さて、スタートした七時には、まだ、日が落ちているとはいえ、名残の御蔭で薄暮という表現も可能だったのが、スタートして十分も過ぎないうちに、明りというと、武蔵小金井の商店街の方たちが用意した強烈な照明、商店街の店の明りばかりが頼りとなっていた。
 デジカメも、小生が心配した通りの状況である。シャッターチャンスは何度もあったのに、いざ、シャッターを押してみたら、すぐには下りず、下りた頃にはダンサーの方たちはそっぽを向いている。背中や肩や体の半分や、下半身やら、腕先だけ、あるいはダンサーの方たちが背負っている豪華な羽根しか写っていない写真のオンパレードである。時には、パレードやダンサー等を補助するスタッフの背中などが写っていたりして、ガッカリする。
 そうした写真だけを集めたら、結構、乙なというか、悪趣味な写真集が出来上がるに違いない。間違っても、ダンサーの方たちに、そんな写真を見せるわけにはいかない。

 そこはデジカメである。合間合間に慌てて削除する。早めに削除しておかないと、何十枚(百枚以上)も撮るので、メモリーが一杯になってしまう。
 そこで、持参してきた、リサイクルカメラの登場である。半年前に買ったが使うチャンスを逃していたのだが、ようやく日の目を見るというわけである。暗い中だと、デジカメよりもこうした安直なカメラのほうが遥かに役に立つ(デジカメの、ちゃんとした使い方を知らない小生に問題があるのだろうが)。
 やはり、早い。何が早いって、シャッターを押してから、実際にシャッターが下りるまでが、デジカメの比ではない。但し、こうしたリサイクルカメラの困るのは、実際にどのように写っているかどうか、現像してみないと分からない点である。
 あと、デジカメだと、カメラに実際に撮られるだろう構図の見える窓口がある。その小窓は、手を高く翳していても見えるので、観客の頭越しでもその窓の像を確認しておけば、撮ることが可能である。それが、リサイクルだと、ちゃんとカメラの覗き口を覗きながらでないと、どういう角度で写っているか、さっぱり分からない。

 リサイクルカメラは、また、写る枚数も限られている。失敗したからといって、取り直しするわけにもいかない。実際、27枚の制限はあっさり超えてしまった。小生、慌てて近くのカメラ屋さんに入り、新たに購入したものである。
 さて、肝腎のパレードの様子を少しも書いていない。
 パレードの先頭には、(これは小生の推測なのだが)新人らしい方たちが数人(三人)、踊っておられる。名前(愛称)がまるで分からない。顔馴染ではないので、なかなかシャッターチャンスを拾えない。
 それでも、少ないチャンスを生かして撮ったことは言うまでもない。その三人に続く形で、我が、<し>さん、<ちょ>さん、<こ>さんらがいる。もう、デジカメなどのフル活動である。手を振ると、気付いてくれて、シャッターチャンスをくれる…けれども、撮れたかどうかは怪しい…のが悲しい。

 今回は、<ちょ>さんの傑作が撮れた。 ギャラリーは、どのパレードでも多い。が、武蔵小金井の商店街の嬉しいところは、歩道が広いことだろうか。なので、観客の移動も、比較的困難が少ない。肩を擦り合う形だけれど、移動したい場所へは、断念の気持ちが先にたつこともなく、その気になれば移動することが出来た。
 これは嬉しいのである。被写体を撮りたくとも、照明がダンサーらに当っていないと、デジカメでは移りが悪いし、ダンサーの笑顔も映えない。やはり、照明が強めに当っている絶好の場所で撮りたいのだ。
 何度も繰り返すがダンサーの踊りで一番アピールするのは、踊りであることは間違いない。衣装の豪華さ、も見逃せない。けれど、詰まるところ、笑顔なのではないかと思う。絶品の笑顔をいかに振り撒けるかなのだと思う。人の心を和ませ、心を開かせてくれるのは笑顔に敵うものはない。

 そうした笑顔を浮かべられるのは、心底からの踊る喜び、生きる喜びを感じているかどうかにも関わる。時に小生のようなカメラ小僧(中年)のターゲットになりがちなのだが、そんなフラッシュの嵐にも負けない、思い切りと、気風と意気と志。こうした見解は小生の思い込みに過ぎないかもしれないが、断言していいのは、結局は、小生は、その気風という古風な言葉を使うしかない彼女等の姿勢に惚れているのだという点である。

 さて、今年のハイニーニャ(時にはハイーニャと表記される。バテリアの女王)となった<きしゅ>さんの姿も見える。この役目を果たす方は、基本的に単独で踊る。踊りの見事さ、観客へのアピールの度合い、バテリアや他のダンサーを盛り上げさせるその意気や技術、恐らくは人間性というか華の有無が問われる。
 結構、厳しいポジションだと思う。


ハイーニャ! 愛くるしい笑顔だ!


 昨年のパレードでは、そんな役目を果たされているとは知らずに、ハイニーニャの役割を果たされていた<か…姐>さんの頑張りを呆気に取られる思いで見詰めていた。感嘆していた。観客にサービスし、拍手し、笑顔を振り撒き、観客を、パレードを守り立てよう、盛り上げようと懸命だったのだ。


ハイーニャ! 観客を巻き込もうとする気迫!


 その頑張りはさすがに小生も気づいていたが、そうした役割というかポジションがちゃんとあるのだということは、何度かのパレードを経て、いろいろ聞いたり調べたりして、やっと知ったのだった。

                               (04/08/02 記)


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