愛のファンタジア(リベルダージ新年会番外編)
[画像は全て、Charlie K.さんの「Charlie K's Photo & Text」からのものです。サンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)主催による「2007年リベルダージ New Year Party」の模様を写したものです。「2007 Liberdade New Year Party」にて全ての画像を見ることができます。地の文と画像とは別物と思ってください。なお、本編は「花小金井パレード番外編:地上の熱帯魚たち」の姉妹編です。]
言葉というのは、受肉された心なのではなかろうか。
それとも、肉体としての心の悲鳴であり歓喜であり溜め息、それが言葉なのではないか。
言葉が受肉した心であることの証左は、言葉が肉体から発せられるということだけではなく、言葉が常に誰かに向って発せられていることでも分かる。
言葉とは交歓なのである。
言葉とは交わりそのものなのだ。
……そして人は自らの無力を知る。
何ゆえの無力なのか。
それは愛する心を身の内に覚えるが故の無力感なのである。
そこに人がいる。愛する人がいる。
そこ、すぐそこにいる!
なのに、自分は何もできない。
可能なのは肉体を震わせること。世界は愛に満ちていることをひたすらに己の肉体で示すこと。
ここに一個の愛があることを分かって欲しい!
愛と愛とが孤独なままであってはいけないことを痛切に感じている誰かがいることを分かって欲しい。
生きて、命があって、心臓がドキドキしている。
愛の血が脈打っている。
髪の毛の一本一本が生の悦びに撓っている。
伏せられた、あるいは開かれた目の輝き。
肉体は、ただそこにあって息衝いているだけで、もう、エロスである。
何故なら、交接を願わない肉体など論理矛盾だからだ。
(以上、前口上「愛のファンタジア」序章)
でも、肉体は、肉体なのだ。肉体は、我が大地なのである。未開のジャングルより遥かに深いジャングルであり、遥かに見晴るかす草原なのであり、どんなに歩き回り駆け回っても、そのほんの一部を掠めることしか出来ないだろう宇宙なのである。
肉体は闇なのだと思う。その闇に恐怖するから人は言葉を発しつづけるのかもしれない。闇から逃れようと、光明を求め、灯りが見出せないなら我が身を抉っても、脳髄を宇宙と摩擦させても一瞬の閃光を放とうとする。
踊るとは、そんな悪足掻きをする小生のような人間への、ある種の救いのメッセージのようにも思える。肉体は闇でもなければ、ただの枷でもなく、生ける宇宙の喜びの表現が、まさに我が身において、我が肉体において、我が肉体そのもので以って可能なのだということの、無言の、しかし雄弁で且つ美しくエロチックでもあるメッセージなのだ。
(「裸足のダンス」より)
俺は、その手応えと、その断末魔の愉悦の悶えとを餌にして今日まで生きてきた。夜毎に現れる肉と心とを失った魂の切っ先が、今度は俺の喉笛を狙う。なんという悦楽。なんという報恩。
ああ、なのに、あの肉を裂くザクッザクッという感触が薄れてしまった。あの人の俺に残した唯一の形見だったはずなのに、俺の心の手から洩れ零れてしまった。痩せ衰えてしまったのだ。あまりに賞味し嘗め尽くし過ぎたのか。
欲しい! 俺が生きるための杖を。俺は肉を欲する。血の熱さと滴りを。腸の蠢きを。俺が生きる支えはそれだけなのだ。あの日、もがくあいつの足がバタバタとし、やがてピンと伸びきって、赤い脂塗れの白い体が山の峠の脇道の雪に沈み込んでいった。
(「朱に染まる日」より)
ある日、ふと、あの人の影が私の心をかすめていった。手を差し出したら触れられると、思った。勇気を出して手を出したよ。
でも、あの人は、いなかった。ねじれの位置であの人は、見知らぬ誰かに微笑みかけるだけなんだ。もう一度、冗談でもいいから私に微笑みかけてほしい。
けれど、交差する二つの直線は、もう、決して交わることはない。世界は三次元。否、四次元。否、もしかしたらそれ以上の次元が輻湊している。私は、白い闇の海の底で、海の上の大気を思う。もう、歩きたくない。歩けば歩くほど、あの人から遠ざかるのだから。
けれど、生きているということは、歩くってことなのだ。
だから、私は歩く。ひたすら遠くへ。ただ歩くために。
(「私は歩く人」より)
声を上げること。今、自分にできることはそれだけ。
きっといつかはあなたを抱きしめられると信じて、私は白い闇に爪を立てるのだ。
(「あなたを抱きしめたい…白い闇の中で」より)
何か知れない何かがある。それは、迷ってやまない、不安に慄く心だ。それだけが確かなのだ。そして、今の自分には、それだけでも、十分なのだと思う。
(「在るということの不思議、そして祈り」より)
そして心底からの願いはただ一つ、自分を救って欲しかったというありえなかった夢だということを知っているからだ。そうした夢が叶うのは虚の世界でしかありえないのだ。だから、この世を見詰めつつ、その実、白昼夢を見るのである。
(「夜 の 詩 想」より)
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