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2006/12/04

中島敦著『南洋通信』

[本稿は、メルマガ(02/12/05)にて公表済みの拙稿である。ホームページかブログに載せたはずだったが、見当たらなかったので、念のため、ここに載せておく。ダブっていたら恥ずかしいが…。(アップ時追記)]


 必ずしも長くはない本書・中島敦著『南洋通信』(中公文庫刊)を一週間あまりを掛けて読んだ。
「中島敦は,昭和16年6月パラオ南洋庁国語編修書記に任ぜられ、日本政府の皇民化教育の方針に添った日本語教科書編纂のためにこれらの島々をめぐる旅に出発し」た。
 『南洋通信』は、その際、中島敦が国の妻や息子達に贈った手紙や葉書などの通信を纏めたものだ。
 本書の紹介は下記のサイトがいい。通信の雰囲気も分かるし、通信の中の印象的な文章も引用してある。また、中島敦が乗ったパラオ丸という船の写真も見られる。上掲の、「」内の引用も同サイトからである:
ぱらお丸 デジタルミュージアム インターネット博物館 教科書 デジタルライブラリー 中島敦 南洋通信 三輪祐児
 
4122039002092_1

→ 中島敦著『南洋通信』(中公文庫刊、中央公論新社)

 ただ、本書で残念なのは、中島敦はただ、葉書を書いたのではなく、彼自らが描いた絵で絵葉書に仕立てている。その絵がまるで見られないことだ。文庫本の限界なのかもしれないが、ちょっとというより、かなり残念であった。
 小生は、たまたま県立神奈川近代文学館で開催されていた『中島敦展』を見てきて、その中で展示されていた中島敦自筆の絵葉書を見る機会を得ている。

 その葉書には子供たちのために自筆の絵を添えたり、漢字をあまり使わないようにするなどの気遣いが見られる。家族への思いが、熱く感じられる展示物だったのだ。それだけに一つでもいいから、その絵を掲載して欲しかったのである。

 中島敦の南洋庁への赴任は、帝国海軍の膨張主義のもとでの一つの小さな逸話に過ぎないのだろうが、しかし、一個の人間として作家としての中島敦の熱い思いが垣間見えるのだ。
 彼は一旦は南洋で喘息が回復することを期待したし、少しは症状の緩和も見られたのだが、やはり望みは断たれ、赴任した昭和十六年(敦三十一歳)の翌昭和十七年に辞任し、その年に没している。
 その間もない死のことを敦は強く予感しつつ、しかし回復への期待を捨てられるはずもなく、南洋の地で家族から離れて暮らしていたのだ。

 本書『南洋通信』での収穫の一つに、「南洋譚」や「環礁-ミクロネシヤ巡島記抄」という一文を見出したことだ。特に後者は、素晴らしい紀行文だ。独り身の小生には、南洋通信での中島敦の身内への思いの熱さには、何処か忸怩たる思いで読んでいることがあった。
 一方、「環礁-ミクロネシヤ巡島記抄」については、ひたすらに中島敦の叙述の手腕に素直に従っていけばいい。まるで南洋の海の波間に身を任せ漂うように。
 中には南洋の混血美人との危うい、何処か幻想的な場面もあったりして(その部分は読者自らが探し出して欲しい)。
 せっかくなので、その中から若干を(必ずしも一番印象的な文章というより、哲学趣味のある小生だから尚更感じた部分を)抜書きしてみたい:

 汽船(ふね)は此の島を夜半に発つ。それ迄汐を待つのである。
 私は甲板に出て欄干(てすり)に凭った。島の方角を見ると、闇の中に、ずっと低い所で、五つ六つの灯が微かにちらついて見える。空を仰いだ。帆柱や策綱(つな)の黒い影の上に遥か高く、南国の星座が美しく燃えていた。ふと、古代希臘(ギリシャ)の或る神秘家の言った「天体の妙なる諧音」のことが頭に浮かんだ。賢い其の古代人は斯う説いたのである。我々を取巻く天体の無数の星共は常に巨大な音響――それも、調和的な宇宙の構成にふさわしい極めて調和的な壮大な諧音――を立てて回転しつつあるのだが、地上の我々は太処よりそれに慣れ、それの聞えない世界は経験できないので、竟(つい)に其の妙なる宇宙の大合唱を意識しないでいるのだ、と。先刻(さっき)夕方の浜辺で島民共の死絶えた後の此の島を思い描いたように、今、私は、人類の絶えて了ったあとの・誰も見る者も無い・暗い天体の整然たる運転を――ピタゴラスの云う・巨大な音響を発しつつ回転する無数の球体共の様子を想像して見た。
 何か、荒々しい悲しみに似たものが、ふっと、心の底から湧上って来るようであった。
 (p.156-7、一部、漢字がパソコンの都合で正しく表記できない)

 『通信』のほうからは、冒頭に紹介したサイトも引用しているのだが、改めてここにも紹介しておきたい:
 

 熱帯の海上の夕焼雲の見事さは、一寸、口ではいえないよ。実にすばらしい見ものだ。頭の真上の空には雲一つないのに、四方の水平線の向うにはずらりと、日本の夏の入道雲みたいな奴が、並んで立上っているんだが、その巨人みたいな、ムクムクした雲共の色が日の沈むにつれて、一刻一刻と変って行くんだ。壮観だね。雲共が海のまわりをとりまいて、オレ達の船を見て何かヒソヒソ話をしてるような気がするよ。その雲共の丈の高いこと!その雲の色がね、赤から桃色から、紫、青、鼠、澄色、黄色と、実に、微妙に変化して行くんだ。時々それに虹なんかが、かかることもあるし、全くキレイだよ。
                              (p.29)

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