浅草・我がチームは3位! (オフ会へ)
さて、パレードコースでのスタンバイエリアの出発点に立つ。その地点で、山車類とダンサー陣とが合流する。パレードのポジションは、先頭のペースキーパーから始まって、太陽のコミサン、ポルメスなどと続き、最後の虹のアーラまで、21もの種類がある。
それらの各ポジションの人たち、アーラの人たち、山車類が、それを見守り監督するリーダー的スタッフの方たちの指導のもと、間隔を一定に保ちながら、早くもなく遅くもないスピードでパレードが粛々と、でも楽しげ且つ躍動感たっぷりに進行していくわけである。
→ 小生らが押した小アレゴリア「望遠鏡と天球儀」の部分像。この小アレゴリアの周りには、書籍を小脇に抱えた学者軍団が取り巻く。画像には天球儀をまともに捉えきっていないが、冥王星が惑星の座から降格したという話題もあって、「タイムリーなアレゴリアだ」という声を山車を押している最中に沿道のお客さんから聞いた!「そう、タイムリーでした」と応じたっけ。誰が作ったのかは分からないが、深い紺色の本体に金地の縁取りという色のバランスやセンスといい、秀逸の作品の一つに数えてもいいのではないか。
この一定のスピードというのが重要でもある。パレードの各アーラが間延びしては格好が悪いとか、印象が情けなくなるということもあるが、パレードそのものを一定の時間内に収めなければならないという決まりがある。その時間より早いのも、遅いのも減点の対象になるのだ。
そう、浅草サンバカーニバルは、単なるカーニバルではなく、コンテストの場、なのである。ダンサーの活躍ぶり、山車類の出来具合、陣営、衣装、音楽(音響)、多分スタッフの活躍ぶり、そしてマナー(品行方正ぶり)も含めた、団結力・人間力・総合力が問われる。
それぞれに点数の評価の対象になると同時に、パレードの進行ペース(時間配分)も評価の対象に入っているわけである(審査や審査員による評、我がチームのパレード画像情報などについては、この頁の末尾を参照のこと)。
アレゴリアやアプリアーラ、小アレゴリア押しも踊らないまでも、にこやかに、が原則。でも、なかなか微笑を浮かべるというのは容易ではない。
小生は、サンバレポートでは散々、笑顔がテーマだ(特に写真を撮る時には)と語っているくせに、いざ、自分がやるとなると、難しいと不平を言う。
逆に言うと、だからこそ、パレードをする人たちの、常に絶やさない笑顔が凄いと感心するのだけれど。
小生らが押す小アレゴリアの目前には、「アポロンアーラ」の四人が赤いマントを羽織って踊っている。いずれも逞しい肉体美を誇る。
その前には、「太陽をあがめるアーラ」の16人が純白の衣装を身に纏って踊り行く。
けれど、前のアーラとの間隔を保つことに神経が向うばかりで、みんなの踊りを眺め愛でる余裕は小生には余りない。
時々、沿道の人たちの様子を見る。パレードコースを練り歩くと(生意気。押し歩くと)、沿道の人たちの様子がよく見えると、パレードをする人たちが言うけれど、それは本当だ。
パレードであり、カーニバルなのである。祭りなのだ。別に一緒になってめちゃめちゃに踊らなくてもいいから、あなた踊る人、わたし見る人、という截然と分離されたような光景というのは、ちょっと寂しい。
にこやかに、あるいは手を振ったり、拍手したりしてパレードを見守ってくれる人も少なからずいるのだけど、多くの人は、いかにも日本人らしく(?)無表情。
内心は、感激したり、びっくりしたり、あれこれ思っていることだろうけど、そうした気持ちを表に表さない心性がパレードに如実に現れるわけである、なんて。
前で踊るダンサー陣の踊りを邪魔しないよう、かといって、前進する際には間が空かないよう、細心の注意を払って山車を押す。ダンサーの踊りのパターンを飲み込んでおかないといけない。振り付けによっては、大きく一歩、後退する場合もあるからだ。
その踊りの流れを見切りながら、押し続ける。
← 小アレゴリア「望遠鏡と天球儀」の正面像。パレードでは、船の上にガリレオをイメージさせる外国人が乗ってパフォーマンスする。
やがて審査員席を通過する。その頃にはゴール地点も見えてくる。最後の頑張りどころだ。
そして、ゴール地点。そのラインを超えたら、一切、演技してはならない。パフォーマンスはライン手前で終えないといけないのである。
ゴールのラインを超えたら、あとは、山車を一気にコースの端っこに押していく。浅草のスタッフの人たちがスポーツドリンクを振舞ってくれる。大塚製薬もスポンサーなので、ポカリスウェットである。
しかし、飲む暇もなく、山車押しは続く。今度は、通りに沿って押して、またもとの浅草寺境内の広場へ戻さないといけないのだ。
昨年は、パレードコースの最後の地点で、若干、待機する時間があって、パレードを終えた我がチームのメンバーが終結し、やがてコースを後にする光景を目にすることが出来た。
パレードを終え、手応えを感じたのだろう、バテリアのリーダー格の人がやはり女性のリーダー格の人を肩車していた。やりきった、これならいいところへいける。
そんな晴れ晴れした表情が印象的だった。
実際、去年は一昨年の屈辱の五位から、入賞の三位へジャンプアップしたのだった。
でも、今年は、早々と山車を外へ出すように指示されたので、メンバーの表情が伺えない。やはり、われわれ押しのスタッフよりも、実際に演技しているメンバーのほうが実感や手応えを感じ取っているはずなのである。
晴れ晴れとした表情なのか。それとも、やや苦しげな、厳粛な表情なのか、知りたかったのだ、けれど、そこは、裏方なのだ。後ろ髪を引かれる思いをしつつも、コースを後にする。自分たちの役目をとにかく果たすことだ。
パレードコースを仕切る仕切りを越えると、今度は、すぐ脇を車が走っていることもあり、山車は路肩近くを押すことになる。前も書いたが、路肩は道路が緩やかだけど斜面になっている。そこを真っ直ぐに押すには、前方向だけではなく、横方向へも押す(あるいは引っ張る)必要があり、しかも、前後には、パレードを終えた出演者たち、あるいは一般の人たちも歩いていて、早くも押せないし、ゆっくりもおせなくて、本当に最後の踏ん張り所なのである。
が、我々四人で押す小アレゴリア(地球儀)は、図体がやや小さい。が、最後の「太陽の恵み」のアレゴリアは巨大で、巾も広ければ、高さもあって、秋口ともなると巨大な葉っぱを生い茂らせている桜並木の下を移動させるのは、結構、ギリギリで神経を使う。まして、最後の浅草寺の境内直前には商店街を通る必要があるので、狭いし、上には電線が縦横に走っていることもあり、時には、スタッフの方が山車の上に上り、手で(!)電線を上にずらせて山車をくぐらせる場面もあった。
→ モレーナちゃんとのツーショット! 後ろの自転車は小生のものじゃないよ。
とにもかくにも山車を広場の元の位置に戻す。そうして着替えのために会館の五階のフロアーへ向う。やはり階段で。ああ、もう、階段は嫌だよ!
その前に、広場から会館へ向う途中で我がチームのポルメスチームの方たちを見た。
人気者で、ちょっと歩くと、誰か通行人に呼び止められ撮影をねだられる。気さくに応じる。
小生、デジカメは会館なので、携帯電話のカメラで撮影させてもらう。曇天でもあるし、時間も六時前ということでやや薄暗くなっている。写りが心配だが、とにかく撮影できたことが嬉しい。
彼らは、なかなか前進できない。豪華な、それだけに、重いだろう衣装を身に纏って、パレードしてきたばかりなのに、気さくに笑顔で応じるのが、なんとも凄い。
友達が多いのか、既に着替えを終えたサンバ関係者・仲間が通りかかるたびに、挨拶を交わす。親しい仲間の実に多いこと!
脱衣所で衣装を脱ぐ。私服に戻る。ホッとする。フロアーにいる顔見知りの人に挨拶する。ご苦労様。お疲れ、そんな挨拶が方々で交わされている。手応えはどうだったのだろう。分からない。優勝の文字がちらついているのか、どうなのか。
しかし、これはある意味、無理な相談でもある。評価は他人が(審査員などが)行うわけだし、仮に力を出し切ったとしても、時には他のチームがその年は輝いている可能性もある。また、各チームは、とりあえずは当日は自分たちの演技で精一杯のはずである。
パレードする全チーム、ライバルチームであろうと、その演技の様子を見知ってはいないのである。
大概、パレードが終わって、当日のビデオや写真の整理が終わった段階で、他のチームのパレードも含め、全貌を冷静に振り返ることになるわけだ。
そこは出場している各チームの仕方ないところであろう。
が、それにしても、手応え感触というのは、なんとなく肌で感じるものではないか。
会館の外に出る。既にアレゴリアなどの解体作業が始まっているはずである。
そう、アレゴリアはパレードが終わると同時に解体されるのである。
ここがサンバであり、カーニバルなのだ。何ヶ月もかけて、手弁当でチームの自費で、せっせと作り上げてきた山車を、パレードの余韻も漂っている境内で即座に形を失っていく。多少は、部分的には残す場所・箇所もあるようだが、基本的には形が消滅するわけである。
せめて優勝チームの山車そのものとはかなくても、その模型を何処かのサンバ会館なりに保存するということも将来はあってもいいのではなかろうか。踊りもだが、アレゴリアも創意と知恵と汗の結晶なのだし。
そんな中、小生は躊躇っている。実は、小生、オフ会の誘いを受けていたのだ。それも、土曜日というサンバの日に。
さすがに山車押しは決めたことでもあるし、やりきりたかったが、六時以降はどうするか、迷っていた。
というのも、オフ会に誘ってくれたメンバーは、小生のほかに三人がいたのだが、その一人は東京の人だが、他の人は、他県(それも関東でも中部でもない)遠くの人で、こうしてオフ会に集まるのも年に一度あるかどうかなのだ。
今回は東京でやるということで、小生のことを思い出してくれて、誘ってくれたのだった。
しつこく繰り返すが腰の重い小生、この数年、飲み会に誘われても、断る。というか、誘おうという気にさせないような雰囲気をやや意識的に滲み出している。
それなのに、ネット上での数年の付き合い、それも、最近はほとんど覗くだけのサイトになっているサイトの方が誘ってくれた。
嬉しくてならない。
でも、それでも躊躇ってしまう小生。
← ツーショット第二弾。手の先が微妙!
すると、偶然だろうが、某サイトへの書き込みで、もっと外へ出ないとダメ、という意見を貰った。まるで関係の無い記事内容への小生の書き込みに対するレスが、「もっと外へ」というものだったのだ。
なんとなく、そのレスに背中を押される気持ちで、小生、とうとう、オフ会の誘いに乗ることにしたのだった。
会場(境内)の端っこで時間を確かめてみると、夕方6時20分頃だった。既に何度か戴いていた、その着信履歴を頼りに、電話する。
(実は、メールも三度ほど試みたのだが、アドレス不明で送信できなかったのだ。後で分かったことだが、戴いたメルアドが間違っていたのだった!)
ネット上での付き合いの人に初めての電話。出た相手の生の声。ふわふわしたイメージ上の人が肉声という形に収斂した瞬間。不思議な感覚だ。ネットの先の、架空の人物ではなく、一個の人間、生活する人が電波となってやってきている。
待ち合わせ場所を決める。サンバカーニバルは浅草だが、他の三人が集まっているのは、23区の対角線の先に近い場所なのだった。
またしても、地下鉄という迷路を使う必要がある。浅草駅で路線図を見ながら、しばし呆然。
どの路線を選んでいいのか分からないので、とにかく目的地へ繋がる路線を乗り継いでいくことにした。
ああ、地下鉄の構内を長々と歩き、階段を(またしても)上ったり降りたりし、電車を乗り継ぎ(乗り継ぎに失敗し)、草臥れ果てた体を引きずるようにして、約束の町へ。
すぐにもベッドに倒れこみたかった、そんな気分だったけど、オフ会が翌日になったりすると、起き上がれるかどうか覚束ないし、オフ会へ行くという踏ん切りがつかなくなる恐れがある。
とにかく、土曜日は外出の日、外を出歩く日と思い定め、現地へ向ったのである。
さて、ネットでしか知らない人たちと現実に東京の某所で会った。会食をしたのである。数年ぶりにチュウハイを、それも二杯も飲んだっけ。
それぞれの人は、確かにああ、この人がネット上で受けていた印象どおりの人だなと感じさせられるのが不思議。年齢は別にして、高木美也子似の人、風吹ジュン似の人、景山民夫似の人。
小生は誰に似ているだろうか。
居酒屋での三人に加わったのは、7時半過ぎだったと思う。気が付いたら、閉店時間の11時前になっていて、散会。女性が二人おり、二人が同じところに泊まるということで、駅に折り立った時に買ったケーキをプレゼント。おいしそうなケーキだった。でも、居酒屋で少々温まってしまって、味が落ちたかもしれない。
→ 大人気の二人。って、手前の二人じゃないよ。ポルメスの二人に次々と撮影の依頼が。いつもの素敵なスマイルで応じる。小生も相乗り。でも、デジカメがなく、携帯電話のカメラで。綺麗に写せなくてゴメン。
オフ会は、楽しかった。それぞれの人柄に触れた感じ。ああ、この人があんなサイトを運営しているだと改めて納得したり。
店を出て、また駅の構内へ。電車を何度か乗り継いでわが町の最寄の駅へ。階段、階段、また階段。ああ、今日は階段の日だ。夏は怪談の季節なのであって、階段の季節ではないはずだ!
我が部屋に辿り着いたのは、夜半を回って、零時半頃だったか。
帰り際、コンビニで朝のための弁当類、それと夜食を買って帰る。居酒屋で食べたかったが、疲れすぎていてお腹が減っているのだけど、食べる元気がない。久しぶりのチュウハイを二杯も飲んで、酒に弱い小生、酔ってしまって、駅の階段を上り下りするのも辛かったが、電車に乗り込もうとしたら、足元がぐらついて、あやうく寝込んでいるお客にぶつかりそうになってしまった。たった、二杯のチュウハイでここまでふらつくのだから、相当に参っているのだろう。
部屋に戻ってもすぐには眠れそうにないので、シャワーを浴びて気分をリフレッシュ。コンビニで買ってきた冷麺を食べ、ヨーグルトを食べ、熱いお茶を飲んで、やっと人心地付いた。
そして、浅草の結果を期待を篭めて見る。でも、ただの押しスタッフには我がチームのパフォーマンスの全貌など分からない。あるいは予想外の結果も。
そして、我がチームは昨年に続き、三位だった。悔しい三位かもしれない。誇るべき三位なのかもしれない。小生などが言う立場にないのは重々分かっているのだけれど。
ベッドに入ったのは、一体、何時頃だったろうか。こんなにも疲れ果ててベッドに横たわるのも久しぶりだ。
それでも、決めたことだけはやりきったのだ。それだけで十分である。
肝心の浅草テーマのことその他の感想は、後日、改めて書いてみたい。
[(注)浅草サンバカーニバルの審査結果については、「浅草サンバカーニバル公式ページ:第26回」の「審査結果」の頁を覗いてみてください。
また、「浅草サンバカーニヴァル」の審査員の一人である中原仁氏のブログ「中原仁のCOTIDIANO」で、近々、同氏の講評・審査の説明があるはずである。
なお、2006年08月25日付けの記事「中原仁のCOTIDIANO週末は浅草~河口湖」に早くも非常に興味深い記述を見出す。「今年の浅草サンバ、実は隠れた見どころがある。というのも来年度から出場チーム分けとレギュレーションが変わるからだ」として、以下、その説明が施されている。関係者ならずとも必読かも。あるいは常識として既に知っていた人も多いだろうが。]
[ ネット上で見つかる今年のカーニヴァル画像(もち、我がチームの画像が載っているものに限定。随時、追加予定):
「MSN-Mainichi Daily News Photo Specials」
「ナナシ的エンタメすたいるNet 第26回浅草サンバカーニバルを見に行く」 (06/08/28 追記)]
[ 「Charlie Kaw, Photos and Texts」でリベルダージパレード画像集第一弾「その1:スタート地点」として「Asakusa 2006.8.26 G.R.E.S Liberdade vol.1」がアップされた。見ごたえがある。「以降、「その4:ゴール付近」までを予定してい」るとのことで、以後も楽しみ。 (06/08/29 記)
「Asakusa 2006.8.26 G.R.E.S Liberdade vol.1」
「Asakusa 2006.8.26 G.R.E.S Liberdade vol.2」
「Asakusa 2006.8.26 G.R.E.S Liberdade vol.3」
「Asakusa 2006.8.26 G.R.E.S Liberdade vol.4」
以上、予定の画像が全てアップ完了とのこと。 (06/08/30 追記)]
[ これまたお馴染み、人気サイトの「今朝の浅草・江戸ネット」の中の「あほまろ写真館」をクリックすると、「あほまろ写真館」といった頁が開かれる。この頁の中の「8月26日 第26回 浅草サンバカーニバル」なる項をクリックすると、「浅草サンバカーニバル公式ページ:第26回」なる頁が顔を覗かせる。
その公式パンフレット画像の何処でも(小生はモデルさん!)をクリックすると、「浅草サンバカーニバル」なる参加チーム全ての出場順(予定)表が開かれる。
あとはお好みのチーム名をクリックするだけ。たとえば、「G.R.E.S. LIBERDADE(エスコラージ サンバ リベルダージ)」など、クリックしてみると、あーら不思議!
内緒だけど、「今朝の浅草・江戸ネット」の最近の日記の中に、ある自転車に乗った女性が写っている。その自転車、小生が先週、買った自転車のデザインに酷似! (06/08/30 記)]
[ 「ハタノのホームページ」にてリベルダージも含め、「2006年 8月 浅草サンバカーニバル」の画像が一杯。表情がいいね!(06/09/05 記)]
[ 「浅草サンバカーニバル(2006)スナップIndex」にて、例年のごとく、全チームのパレードの様子(画像・写真)を載せてくれています。勿論、リベルダージの様子も! 06/09/10 記)]
[ 「浅草サンバカーニバル(2006)スナップIndex」さんのサイトが更新され、リベルダージの様子がたっぷりになりました。「G.R.E.S. LIBERDADE
(エスコラージ サンバ リベルダージ)」は、「その1」から「その8」まであります。見応えあり。小生の姿も写っている! (06/09/12記)]
[「カーニヴァルテーマ「太陽」(1)」から「カーニヴァルテーマ「太陽」(8)」にて、我がリベルダージの浅草サンバカーニヴァルテーマ「太陽」の、各アーラについての雑文を綴っています。
なお、文中に頻出する用語については、「サンバ(ブラジル)関連用語解説」を参照願えればと思います。 (06/09/16 記)]
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